車窓に人の姿が見えなくなると、前日までに降り積もった雪で白銀の世界が広がりだした。なだらかな山が幾重にも連なる手つかずの大自然のなか、朝鮮族の運転手はためらう素振りも見せずに全速力で突っ走った。少しでも運転を誤れば谷底に転落する大惨事となるが、乗ってしまった以上、運を天に任せるしかなかった。延々と続く山並み。昼すぎに大きな峠を越えたところで、平坦な山脈から一つだけ突き出た細長い山が見えた。白頭山だ。頂上付近が積雪で白くなっている姿から、中国で長白山と呼ばれるのも無理はないと思った。陸の孤島、長白県に着いたのは夜の七時ごろ。一〇年前に泊まった朝鮮族の女性社長が経営するホテルを訪ねると、朝鮮語が通じないホテルのフロントで、彼女はホテルを売って山東省に移住したと知らされた。韓国の企業が経営するある工場の支配人になったそうだ。
翌朝、町の中心にある市場の前で、延吉市で紹介された朝鮮族密輸商と会う約束をしてあった。恵山市からの脱北者は彼らの助けがないと、朝鮮族の多い延辺や大都市に逃れることができない。現れたのは四〇代半ばの女性だった。身を刺すような冷たい風が吹き荒れるなか、彼女と一緒に鴨緑江まで行き、川沿いを歩きながら、対岸の恵山市の事情を聞かせてもらった。「ここ数年、脱北者は少なくなっている。取り締まりも厳しくなったからね。むしろ、恵山から来る強盗のはケが問題かもしれない。数週間前にも強盗が現れ、川の近くに住む小学校教師の一家を皆殺しにして、現金だけ盗んでいった。恵山では食べていく手段もないから、どんどん物騒になっていくみたい」