変化が自覚されていない以上、人事政策も人々の働き方も変わらない。多くの会社では一〇年前あるいは二〇年前と同じように人を配置し、仕事を配分し、同じようなやり方で作業をつづけている。ところが、グローバル化した日本経済であるからそうした仕事の値段だけはこの一〇年間ですでに一〇〇%以上も高くなっている。そうしたコストがサービスや製品価格に転嫁されるから、日本は世界一の高コスト国になり、皮肉なことに最も競争力のある企業や産業が海外に流出せざるを得なくなるのである。


有能な若い社員がカバン持ちや配車係をやらされている場合がある。上司もそれを何とも思っていない。なぜなら「俺も若い時はそうしたものだ」という体験があるからだ。しかし、ここで大きく違うのはその「俺」が若い頃は日本の賃金はアメリカよりも欧州よりもはるかに低かった。だからそれで良かった。ところが今の若い社員に、会社は競争相手のアメリカの同じような社員よりかなり高い給料を支払っているのである。


この事実の重みが自覚されていない。パソコン社員という言葉があるそうだ。パソコンはスイッチを入れてから立ち上るまでには時間がかかる。いちいち仕事のたびに点けたり消したりしていては手間どってしかたがないからオフィスが開くとパソコンはつけっ放しにしておくのがふつうだ。ところが日本のオフィスにはどうやら若い社員をパソコンのように使おうという慣習があるようである。つまり上司が呼んだらすぐに応じられるようにつねにリアルタイムで待機させておこうというのである。


気の短い上司にはそれが気持良いというのは判るが、ここにもひとつパソコンと人間との大きな違いがある。パソコンの電気代はいくら日本の電気料金が高いといってもパソコンの提供する働きにくらべれば微々たるものでほとんどタダのようなものだ。ところが人間の料金は世界一の高賃金である。一時間遊ばせておけば何千円というコストが飛んでゆく。

ディマジオと別れたあと、マリリンにはモナコのレーニエ公との結婚話がもちあがった。当時モナコ公国は経済的な苦境に立だされ、レーニエ公は、アメリカの話題性のある美女と結婚するべきだ、というギリシヤの海運王アリストテレスーオナシスの勧めで、結婚相手を物色していた。そこでマリリンにも白羽の矢がたったというわけだったが、その後レーニエ公がグレースーケリーとの結婚を発表したために、この話は立ち消えになった。


その翌年の一九五六年六月、マリリンーモンローは、劇作家のアーサー・ミラーと結婚した。マリリンは三十歳になっていた。ミラーとモンローは、一九五〇年にハリウッドで知り合い、何度か手紙の交換をしたりしていたが、ディマジオと離婚したあとマリリンがハリウッドに見切りをつけてニューヨークに出たために、二人はそこで再会した。マリリンは、自分が肉体派の女優として見られることに不満で、ニューヨークのアクターズースタジオでリーストラスバーグについて演技を学ぼうとしていた。


また、若い頃から知性に憧れていたマリリンは、よく本も読んだ。トマスーウルフやジェイムズージョイスといった難解な作家から、さまざまな歴史書や詩にいたるまで、彼女はむさぼるように乱読を続けた。ナポレオンの伝記を読みはじめて皇后ジョゼフィーヌのことを知ってからは、この皇后を扱った本をひたすら読みあさったこともあった。またトラファルガー海戦の英雄ネルソン提督の愛人レディーハミルトンが、最初は小間使いだったことを知って、彼女の生きかたを尊敬した。


やがてエイブラハムーリンカーンが、彼女のとくに崇拝する人物になった。マリリンは転々と住居を変えたが、死ぬまでリンカーンのポートレートを身近に飾り、リンカーンのゲチスバーグでの演説文も、いつも目につく場所に掛けていた。マリリンが初めて愛したアメリカの大統領が、リンカーンだったのである。


そんなマリリンにとって、すでに『セールスマンの死』などの作品で名声を博していたアーサー・ミラーは、ヒーローだった。ミラーの風貌にはどこかリンカーンに似たところもあった。後年、マリリン自身がいっているように、結婚した当初、二人の関係は「先生と生徒」の関係だった。マリリンは結婚するにあたって、ミラーに合わせてユダヤ教に改宗し、全身全霊をこの作家に捧げようとした。

対立していた市民なり団体なりが、保護活動の熱心な支持者に変化することも珍しくない。もともと対立するということは、その土地に自分なりの愛着があるということだ。そういう人が地域のためになると納得すれば強い味方になるというわけだ。さらに言えば、保護などのプロジェクトを行う場合に、立場の違う人たちに集まってもらい、徹底的に話し合う「仲介役」をビジネスとして行っている会社もある。日本で同じことがなぜ出来ないのか、と研究者に聞いたときに「いや、時間もお金もないから」と言われたことがある。そうなのである。ニュージーランドでは、こうしたところに、しっかり予算をつけているのだ。


保護の仕組みづくりも「コマルコ」の例のように柔軟だ。行政、企業、自然保護団体、地元のマオリ人コミュニティ、地方自治体、大学研究室、地元の有志など、発案者は誰でもよい。プロジェクトが立ち上がったらそれが実行可能かどうか、科学的なアセスメントを行い、説明会をひらき、最終的に異なる立場の人たちが「参加」できる体制を作る。姿勢と仕組みさえ確立できれば、前に動き出すことが出来るのだ。「ニュージーランドと日本の保護は、なにか違う」と、日本の研究者や自然保護関係者と一緒に首をひねりながら話し合ったことがある。その答は、かつて、ドンーマートン博士が話してくれた言葉の中にあると思う。私が「なぜ、動物を守るのですか」と尋ねると、ドンはためらいなく、こう答えた。


「それは、人間の責任だからです」日本人は、自分たちは自然の一部であるとか、輪廻転生で生まれ変わったら虫になっているかもしれないとか、自分たちは自然に寄り添った存在であると考えるのが普通であるように思う。しかし、ニュージーフンドの人と接していると生物学的な意味で人間も自然の一部であるけれど、自然に対しては「人間こそが責任を負っている」と考えているように感じる。これは、自然と対峙する立場をとるキリスト教の影響かもしれない。キリスト教の世界では、神は世界を創造したあと、人間にそれを託して出ていってしまった。神に託された人間は自然を管理していく権利がある、という前提があるからこそ、環境問題が十分理解されていなかった移民初期には「人間が自然を征服して、人間にあった形に管理」した。


そして後に、これが実は環境破壊であることに気づいた時からは「人間がしっかりと責任をもって自然を管理して、持続可能な将来を保てるようにする」と変わったのではないか。自然を管理することは人間の責任である。これは日本人には馴染みきれない考えのように思える。しかし、現在のように人間が意識的にせよ、無意識にせよ、環境をここまで変えてしまった今、「どんな生きものの命も大切に」という一見温かいメッセージに包まれた曖昧な態度では、人間がもたらした危機で苦しんでいる生物は救えないのではないか。物事は進まないのではないか。決然と自然保護・環境改革を進めて行くニュージーランドを見ると、責任を受け止めることこそが、将来を決める鍵なのだと考えさせられる。