憲法と国連憲章は、ほぼ同時期に成立したこともあって、表現や基本的な考え方の上で、多くの共通点が見られる。だがそれだけではなく。その後の冷戦下で、起草当初の意味が変質し、創設時とは違った方向をたどった点でも、両者は類似している。また、冷戦の終焉が、憲法と憲章のそれぞれに、新たな課題を突き付けていることも見落とせないだろう。
第二次大戦後の国際平和機構については、すでに一九四一年の八月十四日、米英の共同宣言である大西洋憲章で、「広範で恒久的な一般的安全保障体制の成立をまって」という文言にその構想が表れていた。だがこの時点ではまだ、日本は米英とは開戦する前だった。
国際連合を意味する「The United Nations」という名称は、米国のフラックリッールーズベルト大統領が考案し、一九四二年元旦に、二十六力国の代表が枢軸国に対して共に戦い続けることを約束した「連合国宣言」で初めて使われた。これは、日本による開戦直後で、国際連合のもともとの意味は、枢軸国に対する連合国に由来していることに注意を喚起しておきたい。
その後米国、旧ソ連、英国、中国の四力国は、四四年八月から十月にかけて、米国のダンバートン・オークスで会議を開き、戦後機構の構想について詳細な検討をした。この会議では、前半に米英、旧ソ連、後半に米英、中国の会議が開かれ、合わせて四力国の共同提案という形をとった。米、英、旧ソ連の間には、三力国が中心になって戦後体制を維持する点では一致していたが、英国は、米国が推す中国の資格については疑問視する一方、解放後のフランスを主要国に入れるよう試みた。