昨日NHKで放送された「未解決事件」。
1949年7月5日に発生した当時の下山国鉄総裁が礫死体で発見された「下山事件」がテーマでした。
敗戦から4年。満州や海外から多数の復員兵が復職した当時の国鉄。戦後の混乱と壊滅した経済から彼等を養う事は出来ず政府は9万5千人の解雇を計画。戦後米国の後ろ盾で結成された国鉄の労働組合は混乱。下山国鉄総裁が組合と交渉をする前日の事件でした。
新たに発見された当時の検察捜査資料を基に犯行は朝鮮戦争の勃発を前に米軍の諜報機関が反共イメージを日本国民に植え付けるべく、旧日本軍の諜報組織を使い実行した事件であると伝えていました。
戦前から戦後の混乱期の世情は祖母や親戚、父からよく聞かされていました。戦時中の軍部や憲兵隊、警察の横暴、取り締まり。市民同士の相互監視。戦争が終わっても食べる物も仕事もなく困窮。そんな最中の事件でした。
手元の国鉄労働組合土崎工場支部1984年発行「三十二年の歩み」から一枚。
1950年(昭和25年)5月1日秋田市広小路をゆくメーデーの行進。
情報量が多い実に興味深い写真です。



背後に角形車体のバス。

正に敗戦後資材不足から簡易工法で車体を作られたボンネットバス。撮影場所から土崎方向から秋田駅に向かう秋田市営バスか。



車体色は不明ながらクリームと臙脂のツートン、境目に白帯か。後方の切り落としたような車体が印象的。



こちらは秋田市交通局発行「走りのあゆみ半世紀」から1950年頃撮影の秋田駅前バス乗り場。



後方の秋田駅には進駐軍専用の待合室が有ることから日米講和条約締結の1951年9月以前か。



奥のバス2台は戦時型ボンネットを持つシャーシながらも簡易(工法)車体ではなく戦前の流れを組む当時標準的な車体。



秋田市交通局は前述の「走りのあゆみ半世紀」によると敗戦直後の1946年旧日本軍の放出車を8台購入したとあります。元々軍用でバスとして使われていたのか、それとも軍用トラックを払い下げ後に簡易車体を載せたものか。今となっては知る由もありませんが興味深い一枚です。



遠藤ミチロウ「先天的労働者」