ドアーズのボーカルと作詞を担当したジム・モリソン。もう1人の「モリソン家」の人物を話しておく。
George Stephen Morrison。
1917年1月7日〜2008年11月17日

以下画像はWikiより。



米海軍軍人で最終軍位は少将。太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争に参戦。



1964年1月撮影、スティーブン執務中の写真。

手前はジム・モリソン、21歳!

恐らく1963年からスティーブンが艦長を務めた米空母「ボノム・リシャール」艦内か。

スティーブンはジムの父親。

モリソン家は長くカルフォルニアを拠点に父親の勤務に同行。子供時代ジムは父の任地先メキシコに自家用車で移動中、インディアン家族の交通事故死を目撃。その後の作詞や音楽活動に大きな影響を受けた事はドアーズファンには広く知られている、と思う。



1964年ジムはUCLA映像科に入学。翌年レイ・マンザレックと出会いドアーズを結成する。

父親のスティーブンは1964年8月にはベトナム トンキン湾上のボノム・リシャールにいて所謂「トンキン湾事件」の指揮を執っていた。

ベトナム トンキン湾の公海上で米海軍艦艇が北ベトナムの魚雷攻撃を受けたとされる事件は米軍が本格的にベトナムへ介入するきっかけとなり翌年には爆撃機による北ベトナムへの大規模攻撃「北爆」を開始。激化するベトナム戦争に米国の若い世代に反発が高まり、それはドアーズのみならず音楽へも大きな影響を与える。

1968年ドアーズの3rdアルバムから

邦題「名もなき兵士」、当時彼等制作のPV。

(北爆や死体等過激な描写あり。当時ニュースでは普通に流れた映像ばかりだけど)



生涯軍に尽くした父と多分その父を誇りに思っていた息子。その父親がアメリカがベトナム戦争介入へのきっかけとなったことを記者会見で指摘されたジムは自分を「孤児であり天涯孤独」と答えていたが胸中はどうだったろう。


因みに米空母ボノム・リシャールはジムの誕生年と同じ1943年起工。以来改修を受けながら太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争を歴戦。

やがて大型ジェット戦闘機が発着出来ない同艦は余剰となり1971年7月2日艦長スティーブンも出席し引退式典が行われた。



ジムがパリで亡くなったのはその翌日3日だった。





高校生の頃買ったドアーズのアルバムに収録。

映画「地獄の黙示録」で再評価を受けたドアーズは日本未発売のアルバムが発売された。

自分が最後に買った1枚。

ジムの死後、残されたジム自身の詩の朗読にドアーズのメンバーが曲を付けたもの。

今聴いてもとても良い。