1908年(明治41年)小坂鉱山の産出物や物資を輸送する為に開通した小坂鉄道。
開業時は国鉄よりも狭い軌間762ミリが採用されアメリカボルドーウィン社製の蒸気機関車や日本では珍しいアメリカ型の木造客車が使われました。小坂鉄道レールパークの展示写真より。



小坂鉄道レールパークには1926年雨宮製作所製の蒸気機関車が貴賓車と共に保存されています。



雨宮製作所は戦前主に日本国内の中小私鉄向けに各種鉄道車両を供給したメーカーです。762ミリ軌間の機関車ながら堂々たるスタイル。





1962年国鉄と同じ1067ミリ軌間に改軌されるまで使われました。



連結された1915年製の貴賓車。皇族や鉱山会社幹部の視察用に使われました。






鉱山の稼働用に秋田県で最初に発電所(水力)が作られ電気が通った小坂町。余剰電力を生かし1928年に勾配のきつい小坂〜小雪沢間が電化。戦後の石炭不足から1947年には茂内まで電化区間が延長されました。

小坂鉄道レールパークの展示写真より。

1962年の改軌により馬力の大きいディーゼル機関車が使われ始め電化区間は非電化に戻ります。



余談ですが東日本の交流周波数は50Hz。

西日本はアメリカから発電機を導入したので60Hz、東日本はドイツから発電機を導入したので50Hzだと言われます。

勿論秋田県の他の地域は50Hzですが小坂町は鉱山の発電所から給電されていた為に1980年代まで60Hzが使われていました。周波数が変わる際に家電製品の買い替えでひと騒ぎあった話を思い出しました。

小坂鉱山は鉱山の開業にあたり発電機や機関車などシステムを一式アメリカから導入したのでしょう。



秋の夜長のボブ・ディラン、「Simple Twist of Fate」。