母の気持ち(36w6d) | ママソムリエールのバンコク滞在記

ママソムリエールのバンコク滞在記

天職のソムリエールとして長年勤務、途中育休&復職を経てキャリアアップに邁進。そこで夫のバンコク赴任により退職し駐妻へ。駐妻のキャリアの模索や、母としてソムリエールとしてバンコク生活を意味のあるものにしたいと奮闘する日々を綴ります。

こんにちは!

バンコク在住のママソムリエールですウインク

先日の妊婦検診で、数ヶ月お世話になったリング(ペッサリー)を外しました!

そして内診したところ、すでに子宮口が1センチ開いているとのことガーン

とはいえ、娘の出産のときも切迫早産の絶対安静だったのに、実際に生まれたのは予定日の6日後で、5分間隔の陣痛に2晩も苦しめられ、最終的に陣痛促進剤で生まれましたからね、今回もそんなにすぐに生まれないとは思っているのですがキョロキョロ


このリング(ペッサリー)、私は妊娠15週で子宮頚管長が1.8センチしかなく(普通は4センチ以上)、16週に主治医のBoonsri先生の勧めで子宮口を塞ぐ処置として取り付けました。

取り付けた当時はネットで調べても日本においては情報が見つけられなかったのですが、よくよく調べると、日本では子宮脱(子宮が落ちてでてきそうになる)の症状の予防や、避妊器具として用いられるようです。妊娠の切迫予防には使われていないようですね。

取り付ける時は、担当医が素手で3秒程度で取り付け、痛みは一瞬でしたが、その後3日間くらいはお腹の中で引きつれるような鈍くて強い痛みがあって、なかなか大変でした💦

そして今回外すにあたって、担当医から「少し痛いですよ」と3回も言われてドキドキしていたら、素手で取るのですがこれまた2、3秒で外してくれて、痛いのは1秒もなかったので楽でした照れ

赤ちゃんは臨月に入って急激に大きくなっていて、あと一週間おなかにいてくれれば、第一目標の2500gになってくれそうです!そして予定日の11月中旬なら3000gは超えそうなので、そこまでいったらなんの問題もなしですねウインク

担当医には「これからいつ生まれても良いけど、やっぱり2500gを超えたほうが安心かなぁ」と言われました。

もう間もなく赤ちゃんに会えるのかと思うと、不思議なような、新生児育児が怖いような(笑)

今回の妊娠は、出血して切迫流産から始まったんですよね。。

妊娠の判明とともに片側の卵巣に嚢腫(のうしゅ)が2個あるのがわかって、その卵巣からの卵子でできた子だとのことで、担当医からは「弱い妊娠なので、流れるかもしれない」と言われていました。



↑初めての診察してもらった時の胎嚢の写真。きれいに丸いのが健康な胎嚢。これは形がいびつで弱い状態。

二人目がほしかったので、妊娠は大喜び!と同時に、流産しちゃうのかな?どうなるのかな??といろいろ考えました。

正直、弱い卵子で、成長しても身体が弱い子になるなら、健康な卵子からの子の方が安心かも、と思ったりもしました。

流産してしまったら仕方がない、その時は改めて娘がいることを幸せに感じて、また私の元に赤ちゃんが来てくれることを待とう、と、流産してもショックを受けないように、自己暗示をかけてました。

でも、そんな弱い妊娠にも関わらず、娘の時より1ヶ月も早く、15週の時におなかの赤ちゃんの胎動を、確かに感じました。その元気なことビックリマーク

「ママ、僕は頑張ってるよ!」と必死に言っているようで、まだ数センチしかないのに、弱い卵子からで栄養も少ないだろうに、でもおなかの中で確かな生命力を感じたんです。

「流産したら仕方がない」じゃない、私は母としてこの子を守らねば!!

すでに娘がいる身でありながら恥ずかしいんですが、この時初めておなかの赤ちゃんの母親の覚悟ができました。

そして同時に、幼い頃に自分の母親に言ってしまった暴言を思い出しました。

それは6、7歳の頃、朝に妹と二人でリビングで遊んでいた時のことです。よく母には、私→「太った?」母→「なによ、太ってないわよ」のような母イジリをするコミュニケーションがありました。

母が私と妹を産んだあと、2回流産をしていたことを思い出した私は、「お母さんは2回おなかの赤ちゃん殺しちゃったんだよね、ダメだね〜」と冗談で言い、それを妹も真似して復唱していました。

いつもなら「なんて事いうの?もう!」とか怒ったふりして軽く返してきそうな母から、何も返事がきません。異変を感じて母を見ると、目から涙が溢れていました。

私は初めて見た母の涙に驚いて、状況がよくわからずにいました。が、とても傷つけたのがわかりました。

今思うとゾッとする発言ですが、当時は父がよく見る刑事ドラマを一緒に見ていたので、「殺す」って言葉を覚えたてで、遊び感覚で使ってしまったんです。

状況に気がついた父が「お母さんに何した?」と少し青ざめた顔で聞いてきました。私が何も言えないでいると、母は涙をふいてきて「何でもないわよ。さぁ、遊園地行くんだから早く食べて出かけるわよ」と、いつも通りに戻っていました。

私はその日の遊園地の記憶がありません。母の涙を見たショックで、数日間ぼんやりしていたように思います。

それから徐々に大きくなるにつれて、私の発言がどれだけ母を傷つけるものなのか、わかってきました。

私の実家は、物心がついた時には毎年必ず、家族で水子地蔵のお寺に行き、お参りしていました。それは流産した二人の赤ちゃんのためだったと言うことを、改めて知りました。

そのお寺は引っ越してから遠くなりましたが、両親は今でも毎年必ずそのお寺に行ってます。


娘が生まれて、おなかに赤ちゃんがいる今、流産をもししたらと思うと怖いです。そして、未だに私の母が流産をした時の辛さはわかりません。

でも、今でもその二人の赤ちゃんを大切にしているのを感じます。

私は妊娠は娘の時も今回もわりとすぐに授かりましたが、切迫の体質のようで、妊娠の継続は弱いのかもしれません。ここまで来れたのはおなかの赤ちゃんの生命力が強いのもあると思いますが、もしかしたら、ほんとにもしかしたら、母が流産した二人の赤ちゃんが、私の妊娠を助けてくれたのかもな、なんて思うこともあります。

少し前に娘が、
「おなかの中は暗いんだよ」
「ママの声は大きくて、パパの声は小さく聞こえた」
「おへそを引っ張ると痛いの」
「ママのお腹の中から出たくなかったの」
「出る時はとても痛かった」
と思い出したように話し出した時がありました。

全てがほんとか(娘の想像もある?)わかりませんが、おなかの中でも赤ちゃんは意識があるんですよねおねがい

妊娠、出産は、本当に神秘的だと思います。

産後は忙しい現実にげっそりしそうですが、母になれる喜びを、命の大切さを噛み締めてやって行こうと思いますウシシ