素子、あるいは少佐の死 | 巡礼者のブログ

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主治医の診察。先生の命日反応もあって、このところ具合が悪い。今日もそうだ。

 

そういう時期に、少佐、あるいは素子の訃報。

 

自分は声優さんの名前は知らない。だが、素子として、少佐として、自分の中では生きている。

 

現代のオーケストラは、性能を求めて、その結果、個性を失っている。

 

その中で、このオーケストラと分かる、この指揮者と分かる、このパートと分かる個性は少ない。

 

だが、自分には、素子として、少佐として、その音色と語り口は、そのまま生きている。

 

そういう存在は、自分にとっては、決して死ぬことはない。

 

あるいは、自分の中で、語る存在として生き続ける。

 

そこには、死は存在しない。

 

その様に、素子は、少佐は、存在している。

 

死んだ人は誰もいない。

 

自分の中では。