きたない話なので、読まない方がいい、とか、でもリアルな話とか | 巡礼者のブログ

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主治医の診察。二週間ぶり?に豚カツ朝定食を食う。朝から豚カツでなくてもいいのだと思うが、たくさん食うと存在は喜ぶ。もうちょっと健康的な?朝ご飯がいい様な気もするのだが、食えば喜んでくれる。きょうはお酒さんあり。


お酒さんのタイミング、なかなか難しいというか、お酒さんがある日の方が、眠りの質は良い。夜食があると早く起きれるが、眠りの質はイマイチ。何もしないと爆睡の傾向?なかなか難しい。


モーニングページから抜けられないのが、単なる習慣の問題なのか、あるいはまだ意味を無意識的に感じているのか分からない。普通は?続けることが難しいという話は見ることがあるのだが、抜けられることが難しいという話は、今のところ見ていない。逆に言えば、習慣の怖さというか、惰性の恐ろしさというか。


これから、きょうも連続でニラと厚揚げの炒め物をするのだが、多分、片栗粉の問題は、テフロン加工なりのフライパンを買わないとどうにもならないのだと思う。きょうはフライパンは見なかったが、存在の好きな庄内米が、昨今のことから考えても激安で出ていたので、買う。庄内米とブレンド米の差が、想像すると怖い。


まあ、この様に、完全に主夫の修行?をしているのであるが、フライパン、近所でそれっぽいのがない、というか、普通に安いのはあるのだが、蓋と一緒になっていて、厚みがあるのがナイ。根性入れてレミパンとか目指す?のか?レミパンもモデルチェンジして長いし、なんとなく新しい方は、普通のフライパンになってしまったのが、買う根性を持てない理由だと思う。やっぱり奥薗先生に問い合わせをして、同じフライパンを探した方が、結果も再現性があって、自己評価が落ちない?のではないか?と。


以前使っていたフライパンは、洗っている時に本体と柄が離れてしまい、ぶっ壊れた。お料理している時ではなかったのが、不幸中の幸い。因みに、無水鍋も、同じ理由で成仏した。そういう場面を二度体験していると、リベットで本体と柄を繋いでいる製品を買うのは危険。でも一体成型と多分、高いし。レミパンよりも。蓋もついてて一体成型となると、値段が怖い。そうするとレミパン、ということに落ち着くのだろうか?


ホントは、理想というか、自分に根性があれば、鉄のフライパンを使いたい。ちゃんと使える能力がないのと、鉄製で蓋がついてるとなると、きっと物凄く高いのだと思う。鉄のフライパンなら、鉄分にもなるし、鉄瓶買って白湯を作るとか、そんなに考えなくていい。鉄瓶、白湯用に、とかなり前から悩んでる。しかも口が広いのを、となると、かなり選択肢は限られるし、管理も値段も楽ではない。あとは、燃料費の高騰ということで、鉄瓶、考え直して、単に広い口の瓶かヤカンに鉄を入れて白湯を作る方がいいのかも知れない。が、鉄の塊って、意外と高い。


その様に、主夫の修行をしている訳?なのだが、存在からすれば、健康第一、ということで、ヘンに考え込んだり、必要な予算をケチったりしない方がいい、というのが存在の感覚である。とはいえ、物価と光熱費は上がっていく。


それでも根性、ということで、ガス代の請求は、目標以上によかったし、ほぼ値上がり前の水準には戻った。完全に主夫である。


先日、お尻さんから血が出ていることに気がついたが、下着に染みた血も、現在の洗濯機と洗剤の威力で、落ちるという経験をして、そこまで落ちるものを洗濯で使うのは怖いと、却って思うのであった。洗剤をやめて、洗濯ボールにしていた時代もあるのだが、数年前に、その愛用の洗濯ボールが消えたり、良さそうな洗濯ボールを見つけたと思ったら、いつ配送されるのか分からないという品物であったり、と、惰性で洗剤を使っていた。一発で血が落ちるのを見て、やっぱり洗剤はヤバい、と。重曹は持ってはいるが、洗濯で重曹を使ったことはまだない。


お尻からの血も止まったのだが、何か別の病気?ではないのか?と、肛門科に行くのも考えるのだが、肛門科は、名医という評判もあって、やたら混んでいるのと、待った割には、一瞬で診察は終わるという、ある種の情けなさを感じるので、なるべく肛門科には行きたくはない。ただ、お薬さんは、よく効く。流石は肛門科の名医である。


そんなことになる前に、ウォッシュレットを導入するのが予防になるらだろ、と思うのであるが、便座の電気代が怖いのと、直腸までキレイにしないと、という強迫観念が生まれるのが怖い。しかも、それを意識すると、いつまでたっても洗ってしまう、という恐ろしい状況になるので、安い出物を発見しても、買う根性が出ない。ボケた老後のことも考えると、オムツを便器で洗えるとなると、危機管理として、そういう備品があった方がいい、と思うのである。本来の目的とは違うにして、でも。


いろいろ考える、想定してしまうというのは、恐ろしいもので、自分が介護される場合の責任とか、存在が先に呆けた場合とか考えると、おトイレに、それくらいの装備をしてもバチは当たらないと思うのである。


とはいえ、呆けたらどういう行動になるのかも分からないので、ウォッシュレットをお尻を洗うもの、という意識もなくなってしまい、別の目的で使うとか、使わない、とかになるのかも知れない。人様の呆けたらどうなるのかというお話を見聞きすると、もう、完全に自分に責任が持てないという状態を想定内にしないといけない。


モーニングページは、やめてもいいのに止められない、ということからすると、最初からオムツをする生活という習慣にしてしまえば、オムツに疑問も持たず、習慣としてオムツをする、となり、それ以上の迷惑にならないのかも知れない。ウォッシュレットよりオムツを買っておいた方がいいんではないか?とか、お金さんが許せばウォッシュレットを買っておく、とか、主夫の修行としてはあってもいいのではないか、と。


頭はボケなくても、直腸はボケる、ということは想定内なので、その周辺の筋トレをした方がいいのではないのか?とか、考えることが具体的であるのが恐ろしい。しかし、現実である。


昔はまだ、和式便器というものがあったので、踏ん張るという体勢が自然に出来たのであるが、洋式便器で踏ん張るのは難しい。最悪の場合は、便座の上に乗るというのはあるが、昔はあれで、邦人の犠牲者はかなり出たらしい。そこまでしないにしても、普通に座って、上体を前、後、まえー、うしろー、とやると、かなり解決する場面があるので、便座の上は最終手段である。


お尻の血、の話から、リアルになり過ぎたのかも知れないが、日常にあっては大事なことである。