再開発より、地元の暮らし方の維持が大切なんではないか、とか、地域で生活すること、とか | 巡礼者のブログ

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完全徹夜で主治医の診察。今年度の担当の保健師さんとの面接。この前、徹夜で地獄だったが、何で今回はそれがない?過覚醒ないし。でも、脚がつりまくって辛い。どこでからださんとこころさん、あるいはハートさんがバランスしているのか?いないのか?あるいは呑んでるから?なのか?とりあえず、担当の保健師さん、まともな方みたいで、大丈夫そう。ただ、中井久夫先生のお名前は知らないという。とりあえず、今年度も問題になりそうな案件について知っていただけた、というか、保健師さん驚いていた。


完全徹夜なのに、どうして過覚醒がないのか?というのは謎。ただ、存在にも付き合ってもらって、豚カツ朝定食にしたのだが、若干、重いかなー?という感触。完全徹夜だと、そりゃ、朝から豚カツ朝定食だと、普通?は?もたれるのではないのか?意外と自分は消化器官は安定している。夕方は、お弁当ののり弁当とか、十年以上振りに買ったけど、最近のお弁当屋さんって、凄いというか、ウチで食べても充分にあったかいし、昔より油の違和感とかないし、これ、ホント、特売でいいの?って内容。ひょっとすると、あしたも食べるかもしれない。豚カツ朝定食も凄いけど、お弁当屋さんも凄い。


きのうは、冷蔵庫の在庫ということもあって、奥薗流のお揚げとおねぎさんの炒め物とか、それをもっと乱暴にやったらどうなるか?とか試して、更にねぎま納豆さん、と、夜に三つのおねぎさんの献立、とか、暴挙。でも、ひょっとして、その大量のおネギさんで、過覚醒になっていない、という可能性もあり得る。普段と違うのは、そこだったから、ホントにそうなのかもしれない。


それで?なのかも?しれないけど、脚のつり方が酷い。大した距離を歩いた訳でもないのだが、流行り病以降、ホントに運動不足だし、しかも他人に触ったことがない。あるのは、主治医が採血してくれる時と、健康診断で保健師さんが心電図のセンサーつけてくれる時、とか、それだけ。これは、相当にヤバイんだと思う。そういう視点からの統計とか、あるのかは知らないが、それでおかしくなった、とか、これからなる、という人はいるんじゃないか?存在とは魂とかこころさんとかとのやり取りだし。それがなかったら、どうなってたんか?と考えると、なかなか恐ろしいものがある。新しいタイプの孤独死とかあるんじゃないか?とか。別に高齢者さんに限った話ではなくての話として。


呑み会にしても、FaceTime呑み会が普通だし。それはそれで、別の意味で良いのであるが、呑みたいお店さんが復活してない、とか、ひょっとして廃業する、って可能性あるし、これは痛いな、と。地域文化の一つの守護神であるお店さんなのに。そうすると、あっても、チェーンの立ち呑み屋さんとか、そっちになってしまう。そこも素晴らしいチェーン店ではあるのだが、地域文化の代表がまだ復活してない、って、痛すぎる。


そんな状態で、きょうも存在と呑んでるのだが、あす、お出かけに、と思ったところ、ではなく、たまたま動画が取り上げていた神社さんに行く?とか言ったら、それいいね!という話になって、具合が悪くなければ、その神社さんに行ってみるか、という感じである。生まれた街の神社さんだし、いろんな用事も足せるし、お茶屋さんから食堂から、選択肢も土地勘もあるし。生まれた街なのに、存在と一緒に行ったことがない、というのも不自然かもしれない。


ただ、その神社が盲点というか、その周辺はそれなりに知っているのだが、えっ!こんなとこに神社あったの?と、驚いた。ホントに盲点。というか、知られないように?そこにあるんじゃないのか?というほどの盲点。その近辺はけっこう使う場所、お店さんもあるのだが、そうかー、という感じ。


あした、日食だの、新月だの、いろいろ暦的にはあるのだが、そういう日の神社さんにお参りに行く、って不思議な感じ。まだ行けるかどうか、脚の具合とかあるから分からないけど、バスに乗るだけで行けるし、お茶屋さんとか、食い物屋さんには困らないから、ちょっとゆっくりさせて貰うとか出来るし。脚の状態次第ということで。


ただ、ちょっと前には何件かあったアロマオイルとか、そっち系のお店、どれだけ生きてるのか?と。流行り病で撤退が続いて、まだやってるお店さん、あるのか?とか。流行り病以降、お店さん、そこの街でもかなり変わったし。アロマオイルとか、フラワーエッセンスとか系のお店さん、って、どこでも、少なくとも都内では根付くの大変だし。新規で入るところがあったのかは知らない。知る限りでは、一件しか残っていない。


あとはずっと前のことではあるが、そこの好きな立ち呑み屋さんもなくなってるし、流行っていても、時の流れがあるし、再開発の都合でどいてくれ、とかあるし。そういうヘンな合理化って、日本人の弱さでもあるんだろーなー、って。庶民の伝統まで、水に流していいのかよ?って。


とはいえ、まだ昔ながらのお店は残っている方の街ではある。いい意味で、庶民してる、というか。逆に言えば、再開発が難しい、というか、それはいい意味でよかったんだと思う。維持費を出した方がいいんじゃない、という土地柄。外からも人は来るけど、本質的には地元の人たちの街である、というのが、その街の良さだと思う。


お味噌汁のお味は、その家その家で違っていることが大事、というか、そういう良さ自体に意味がある、というか。


そういうのを、文化、というのだと思うが、同じ都内でも、神宮外苑の話とか、そっちの利権の人たちって、そういうのが分からないんだろーなー、というか、利権=カネ、ってことなんだろうなー、と思う。


そういうのを、野蛮人って言うんだと思う。


人間には、人間であるための空間というのが必要なんだと思う。


って、ことは、神宮外苑は、人間を人間にさせないための計画?なのかも知れない。