カザルスホール復活!なるのか?林真理子さんと日大に期待する | 巡礼者のブログ

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今年最後の主治医の時間。友人とタラタラ長電話して、前の豊島さんと藤井王位の再放送観ながら、おでんで呑んでる。おでん、何日作ってる?もうひと月は過ぎてるのだと思うけど。


年末年始、たぶん、やっぱりおでん?で、存在と呑むんだと思う。よく存在もおでんと炊いたんに飽きない、というか、呆れてしまうくらいなのだが。


きょうもモーニングとか、豚カツ朝定食に行けなかったが、年末年始に行くのか?というより、そもそも、モーニングも豚カツ朝定食もやってんのか?とか。


友人から聞いた話だと、カザルスホール復活!という話があるらしい。日大のヤバかったトップが退いて、作家の林真理子さんが、学長ではなく、理事長になる、ということで、カザルス・ホール復活、ということらしい。


日大というと、相撲部とゴルフ部という印象しかないので、あんまり、文化の香りという学校?で、更に、カザルスホールをぶっ壊す宣言で、日大=野蛮な学校、非文化的な組織、という風にしか思っていなかったのだが、カザルスホール復活、となると、俄然印象が変わる。というか、林真理子さんの様な人をトップにすることでしか、日大の印象は変わらなかった、ということだと思う。


尤も、大昔だと、アグネス論争というのがあって、林真理子さんはその当事者であった。この論争は、どちらが下品か?というか、本来の意味での女性の地位というのが問われていた問題で、自分からすると、アグネス・チャンの方が下品、と思っていた。


その論争をある程度知っている一般人の一人としては、林真理子さんの日大トップは、悪い人選ではないと思う。六大学だと、法政だけ?女性の学長、ああ、名前が思い出せない。江戸の音、を書いた先生。今は他の大学はどうなっているのかは知らないのだけど、自分の中では、評価最低というか、野蛮そのものでしかなかった日大への期待度が出てきた。教授会と理事長の対立?という構図になるのかもしれないけど。


まあ、最悪だった日大の血の入れ替え、ということで、自分としては、今回の話には好意的、というか、ちゃんと理事長を選んだんだから、内部の人は応援しないと。


とにかく、放置されていたカザルスホールの改修というのがどうなるのか?特にパイプオルガンがどうなるのか?って、具体的な問題は既にある。日大はどうするのか?と。パイプオルガンをどうするか?だけで、日大の印象は、ハッキリと変わる。


日大というと、神保町と駿河台の虫食い駐車場は、日大の土地となっている様なのだが、十年以上は、その状態は改善されていない。それが本の街という意味を低下させている。自分からすると、それは日大の責任だと思う。失われた神保町と駿河台の十年、それ以上、として。


カザルスホールは、そもそも、主婦の友社の企画であり、その敷地であった。主婦の友社で、林真理子さんの本が出たことがあるのかは知らないが、主婦の友、というイメージと、林真理子さんの印象は遠い気がするという先入観が自分にはあるのだが、主婦の生活と、いい意味でのフェミニズム?というか、女性の地位、あるいは収入の向上、という意味で、女性向け出版社と、フェミニズム的な表現者が、カザルスホール復活、ということで、話が進んでいたとすると、これは、どう考えてもプラスの印象である。


三省堂が立て直しをして、更にカザルスホール復活、日大の案件というのが、上手く噛み合えば、低調だった神保町と駿河台の復活というのはあり得ると思うし、神保町の本屋さんでも、若手の経営者さんが出てきたのか、本来の古書店に戻るという動きは感じているので、街の再生というのはあるのかもしれない。


だが、手遅れというのもあって、楽譜や音楽関係の古書店である古賀書店さんが、クリスマスイブに廃業されてしまった。その前に、一度行って、少し本を頂いたのであるが、古賀書店さんの廃業は、自分にとっては悲しい。


しかし、その一方で、カザルスホール復活、というのは、日大だからそもそも仕方ない、というのはあるが、林真理子さんの就任で、事態は変わるのかもしれない。ゴルフ部と相撲部があれば安泰、という日大=日本大学のイメージも実質も変わるのかも知れない。


自分は極貧なので行けなかったのだが、ゲルハルト・ボッセの休日、という企画で、書店街の電柱に、その簡易なポスターが貼られていた時代を思い出す。神保町、駿河台には、個人的には、そういう街であって欲しいのだ。本やレコードの戦利品を、さぼうるとかで見直して、コーヒーが嬉しかったりする、という街であって欲しいという、全く個人的な希望がある。


林真理子さんと、それを支持している日大の人たちに期待したいと思っている。