排便で解放してしまう、とか、またCS60に行く気になったとか | 巡礼者のブログ

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大爆睡の日。きのうの夜は、あまりにもからださんが捻れて辛かった。逆に言えば、辛さはメッセージであるから、逆にこの体感を使うことで、気持ちの問題も、からださんの問題にも対応できるチャンスであると感じていた。


あんまりにも辛かったが、トイレへ行き、辛い体勢から用を足したら、辛い体感と痛みが消えてしまった。


なんなんだ、と拍子抜けして、きょうはチャンスだったのだが、と。しかし、昔、某所のセドナ版というところで、マスコットになっていたのが、ブリ助という存在であったのだから、排便と同時に問題を解放してしまうというのは、その通りである。


が、自分で、特に音叉を使ってどうにかしたかった。ギャグのようで、真理をそのまま体験したのであるから、それはそれで意味のあることである。


それでも、ある意味で悔しいので、何か解放の手立てはないか?と。この時間からお風呂を沸かすのはうるさいし、と、仕方なく、冬場の外着上下を着て、更にお布団を掛け、発汗をすることに。


ボクサーの人の減量でもあるまいし、とも思うが、顔から汗もたれる様になって、全身も多分同じ、ということで、全身を拭いて、着替える。


これでどうにかなっているのかは別として、少しはスッキリとはする。その結果が大爆睡。これはこれでよかったのかもしれない。きょうはお風呂を沸かして、これで昨日の辛さの再発がなければよい。


ただ、きのうの苦しい状態に自分で対応していて難しかったので、そろそろCS60にまた行かないといけないかもしれない、と思う。なにしろ、流行り病以降、外で動く自由がなかったし、筋肉は落ちているし、人と会うとか、外呑みとか激減したし、からださんも、こころさんもおかしくなっている。


そして、多分、副腎疲労の類いなのだろうし、ここはCS60に行ってみようと。問題はお金さんとの相談だけである。シンクロというのか、きょうは藤原直哉先生のCS60治療体験の動画もあがっていた。


自分の場合は、全身、むちゃくちゃに痛いし、老廃物の類いが、ぜんぶその場で出る訳ではないから、あとが怠いのが何日か残る。


でも、最初の施術から、顔が変わるというか、いまどきの言い方なら、顔がシュッとするというか、小顔になるというか、あれは驚いた。


いまはCS60のデバイスもずいぶん進化しているというから、当時とは体感も違うかもしれないし、お金さんも結果的に楽になるかもしれない。


あるいは当時と違って、自分には音叉もあるから、施術のあとに、自分で自分のケアをし易くなるかもしれない。自己流EFTタッピング療法も使えるのが判ったし。排便で辛さが消えたりするのも、きのうが初めてであったし、ひょっとして治り易いからだになってきているのかもしれない。


治りやすいからださんになっているとすれば、普段の主治医の治療や、自分自身でのケアとかあっての賜物なのかもしれない。


そして、先日、やっと分かった、大切な存在に優しくしてもいいのだ、という認識が、これまでとは全くちがう。何十年と抱えている問題が、氷解し、ここはCS60も受けていいタイミングだと思う。


大切な存在のおかげで、食事の質も上げているし、存在の魂が寄り添っていてくれることで、人間っぽくなる方向で、時間が流れている。


あすは先生の本番もあるし、できるだけ心豊かに過ごしていける時間を感じていきたいと思う。