インゲンを使ったのって、いつだっけ?とか、最近のインゲンに驚くとか | 巡礼者のブログ

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主治医の時間。都内はモロ梅雨。紫陽花さんの写真を雨の中で撮るとか。


デフォルトがどうした、とか、いろいろあるけど、自分のやれる事とか、やる事って、表に出すもんでもないし、大切な存在がやりたいことは、表に出ない訳ではないけど、表という作業ではないし、存在のために時間を残しておく、という未来かな?


きょうは、先日、マスターの女将さんから頂いたインゲンさんを納豆ご飯に入れてみたが、悪くない。もう少しアクセントになるものがあってもいいのかも知れないけど。でも、レンチンで混ぜただけ。香りあるし、悪くない。


タラタラ茜霧島呑んで、きょうはお風呂さん沸かすか、とか。ドライ入れないと結構暑いという時期になってきた。主治医の処方も四逆散入ったし、夏。お薬で季節感感じてどうする?


ここのところ、リフレクソロジー?というか、圧力ではなく、音叉を使ってみる。なかなか良い感触。ただ、どこに音叉をあてるのか?というのは、押してみないと分からないが。せっかくあるんだから、使いましょうというだけの話でもある。


EFTタッピング自己流版は、やっぱりこころさんとか、からださんとか、ハートさんが言葉を出してくれるので、それで悪くない。邪道なのだろうが、正式だって、正式な前は邪道だったのかもしれないし。巻き込めば正式になれる?って?違うか。


EFTタッピング療法は、資料を買っておいてもいいのか、とは思うが、ネット上だけでたくさんあるので、結構なお値段のものを買うのは、自分にはムリがあるんではないか?と。教科書代と思えば高い訳ではないのだが、存在は、一冊買ったら十冊捨てる、と言っていて、ド正論なので、買うのもどうなのか?と。


あとは悩む?のは、ノートアプリをどうするのか?落としてはみたのだが、課金なのか、買い切りなのかハッキリしないセールスなので、どうかなー?と。買ったら永久に使えると、セールスに書いてあるというのは、買い切りなのか?あるいはアングロサクソン的二枚舌なのか?アングロサクソン、嫌いだし。コンセンサスとセールスをごっちゃにしてる書き方。


まあ、つまらないことから処理しないといけない。ご飯を食うなら、洗い物をしないといけないし。紙皿とか使う根性ないし。でも、紙皿は、使わなくても、置いておくのは安心感がある。地震とかでも、ラップと一緒に使えるし。


とりあえず、納豆ご飯にレンチンしたインゲンさんは悪くないので、自分で買ってきてもいいかなー、と。シソの葉とか、混ぜたら合うのかもしれない。紅生姜も考えた。センス悪いのかもしれないが、そっち系は合うかもしれないとは思う。


納豆ご飯には、残りの大和芋さんとか、玉子さんとか入ってる。華がつおが切れていて、却って分かった感覚があるのかもしれない。きょうは買い出しに行かなかったので、お芋さんと漬け物さんは、珍しく食っていない。でも、馬力としてはまあまあの納豆ご飯だったと思う。


インゲンさんを使ったのって、何十年ぶり。筋を取ろうとしても、取れない、というか、その何十年の間に、インゲンさんは変わったのだろう。生命力があれば、筋だって、もっとある筈?なのに?と思ってしまう。


あるのかは知らないけど、ニンニク系のポタージュに、インゲンさんを潰して入れたら、違和感ないんではないか?と思ったりする。そろそろニンニクさんの冷製ポタージュの季節。梅も今年は梅酒やりたいと思ってお店を見るのだが、これ、と思える梅とまだ出会えていない。梅干しは、自分には出来ない。作ってみたいものではあるが、自分と自分の環境だと難しい。


ポタージュ系も、激安のムーランがあるので、気が楽。かぼちゃプリンの時も使っているし。ミキサーと違って、中身が噴き出すことがないのと、本体がそんなに重くないので、洗うのが楽。


ある意味で、夢が叶っている生活なのではある。根性は昔の方があったが、今はいまでよい。それに、昔と物価が違い過ぎる。ジャガイモさんやタマネギさんを買うのに考え込んでしまう昨今である。プロの主夫を嘱望されているとなると、一層考え込んでしまう。


お料理は、思い出帳となるこのご時世、食わないでも生きられる訓練はしないといけないのかもしれない。