中古品の売れ残りの山と、思想のある製品が少ないご時世 | 巡礼者のブログ

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叡王戦の日。施設に顔を出す。


最近、某所でお鍋を探しているのだが、売れているものが珍しい、というか、売れ残っている物が多いというか。ル・クルーゼ、とか、それ系のお鍋である。


ル・クルーゼとか、もともと、値段が高いというか、ある種のブランド物なので、高く売りたいという値段のものが多い。安いものだと、あるいは、そんなに安くないものでも、ホーローがダメになってる、とか、さらにそれで錆も出ている、というものが多い。


その値段を見てしまうと、これなら新品を買った方がいい、という値付けに見えてしまう。


とはいえ、そもそも、ル・クルーゼとか、とっても重いお鍋なので、値段の中に送料も含まれているもの、となると、安い値段だと、利益よりも、赤字になるのではないか?というものもある。


そうなると、保証とかも考えると、普通のお店で、新品を買った方が、となる。


ひょっとして、相場?がル・クルーゼの、「一度しか使っていません」と説明されているものにはあるのかもしれない。


そもそも、新品同様、だとしても、何かあった時に責任をとってもらえる訳でもないし、新品、であっても、お店さんの様に対応できる訳でもない。


そして、一度でも使ってしまえば、立派な中古品であるし、ホーローの様な微妙な、かなり弱い技術のものだと、値段というのは、相当考えないといけない。


実際、多くの売れ残りを見ると、そりゃ、売れないのは自然なことだ、と感じてしまう。


たまに、明らかに断捨離目的で、程度は悪くないもので、この値段のものなら、買ってもいいかな?と思うものはあったが、「博打とすれば、この値段なら、買っても」というものがある。


が、そういうものは、売れている。それも自然なことだと思う。


別にお鍋でなくてもいいのだが、近所の古着屋さん、ヴィンテージ物、と称して売ってる。Tシャツでも、⁇という値段。当然、売れない。当然、潰れるお店もある。いつの間にか、ドラッグストアになっていたりする。


値段をつける、というのは、物であれ、サービスであれ、難しい。食べ物屋さんにしても、同じ値段なら、美味くて、入りやすい方が、お客さんは入る。


そうなると、お鍋の中古、とかなると、売れない値段だと、ずっと売れていない。少なくとも、安くても、程度の悪いものは売れ残る。


売れたとしても、送料もいるし、梱包するとか、送る、となると、大変な作業だと思う。


安くしても、売れない、売れても作業とか連絡が大変、となると、「売ろうとしたのが、そもそもの間違え?なんではないのか?」と、品物の履歴を見ていると、思う。少なくとも、売ろうとしている人は大変、場合によっては、「徒労」?なんではないか?と、思う。


しかし、何で、一度使ったものが、この値段なのか?とか、それが相場なら、新品をお店で買った方がいい、と感じてしまうのは、仕方がないことだと思う。


そうなると、ゴミに出した方がいい、となるが、今どきは、お鍋なぞゴミに出すには、お金さんが要る。


自治体がやってるリサイクルセンターみたいなところはある。でも、粗大ゴミを売る、って、直接のお金さんではないにしても、それをセンターに出すための時間とか、手間とか、人件費とかある。


となると、リサイクルって、物凄くコストが掛かっている、と想像できる。


ル・クルーゼのお鍋の中古の売れ残りの山、とか見ると、多分、最初は、オシャレなブランド雑貨、ということで買って使った人、殆ど使わなかった人がいる、ということになる。


そういう自分が、なんで、ル・クルーゼなぞを見ているか?というと、小さな、インスタントラーメンとかのお鍋が、かなり前に壊れたので、なんとなく、ル・クルーゼの小さい片手鍋をみていたのが始まりだった。


インスタントのタイラーメンとか、そのためのお鍋なら、もっと軽くて安いのがいいのだと思うが、なぜか、ル・クルーゼの片手鍋の現物には触ったことがあって、安かったら買ってもいい、と、特に考えもなくて、検索したのである。


なんで、それなら、普通のラーメンのお鍋を買っていなかったのか?というと、魅力を感じた片手鍋に出会ったことがないからである。


魅力がなければ、お部屋にあっても、なんだかなあ、と思う。


その点、ル・クルーゼの片手鍋は、昔、近所のお店に並んでいて、感触は悪くなかったのである。


逆にいうと、魅力がないものは買わないし、ブランドとは別に、ピンときた片手鍋さんには出会いがなかったのである。


そうなると、そもそも、魅力って何?という話になる。パートナーさんとか、先生とか、友だちとかと同じように、お鍋でも、「ウチで使う」ある種の「親和性」が感じられないと、台所に置く気になれないのである。


ウチのお鍋は、小さいのは成仏してしまったが、大きいのは、はかせなべ、が毎日活躍している。何が魅力か?とか、親和性か?というと、「その思想が気に入っている」というのが大きい。


逆に言うと、思想のあるラーメンのお鍋、は見たことがない。そういうのがあったら、その思想が気に入ってくれて、買う人が出てくる、とも思う。


はかせなべ、だと、如何にも思想、と見えてしまうが、別の思想を感じるお鍋だと、昔のレミパン、である。平野レミさんのレミパン、である。


たまたま自分は、はかせなべは、好きなのであるが、昔のレミパンも思想のあるお鍋だと思う。たまたま、ラーメンサイズのをみたことがないので、買っていない、というだけの話しだ。


ブランドで売る、のではなくて、思想で売る、というのは、普段から使うものでは、最近、減っている様に感じる。お鍋ではないが、昔のApple製品とかも、思想が気に入って使っていたのであるが、いまのiPhoneなぞ、思想はなくて、要らない機能ばかりで、値段は高いので、もうiPhoneでなくてもいい、と感じてしまう。


物を売る、という時代は、ずいぶん昔に終わっているのであるが、終わってしまった一つの理由は、思想を感じるものがない、ということだと思う。


となると、それでも売らないといけないのなら、「思想を追求した結果」の製品なら、需要がある可能性があると思う。


新しいレミパンをみたら、結構、えっ?という感じだった、というか、レミパンもなのかー、と、かなり驚いてしまったのであった。