主治医の時間。買い出し。断捨離後の通信環境の体感と更なる通信環境の断捨離を考える。
最近、意識しないと食わない、というか、食うという発想が欠けている。いつもおんなじもの食ってるから、からださんは、怒るを通り越して、呆れている。だからだ、と思うが、からださんは、食うことに期待してないみたいだ。
断捨離後の通信、低速で将棋中継を外で観れるし、通信量いらないし、体感的には、Wi-Fi環境とそんなに変わりない。都内だから電波はあるし、切れない。
ウチに帰っても、Wi-Fiなしの方がいい通信まである。速度を見ると、確かに違うのだが、ダウンロード以外、特に速度とか要るのか?
こうなると、果たして光回線とか、要らないのではないか?毎月お金さん要るし、要らないんではないのか?家電とか、殆ど使わないというか、受信と、宅急便屋さんとのやりとり位だし。
体感的、というか、都内の一人暮らしで、という意味では、自分に限っては、光回線とか、断捨離した方がいいのかもしれない。
まだ決めてはいないのだが、体感的には、そうだ。
iPadとかテザリングていいし、PCは使ってないの長いし。
となると、光回線とかWi-Fi環境とか固定電話とかも断捨離対象。
震災の時、家電とか機能しないし、機能したのはPHSだったが、今やPHSというサービス自体が消えたし。あれは良かったのだが。
あらゆるものが断捨離対象。お金さんも節約になる。その分でフィルムで撮る、とか、現像するとか。
これで、この調子だと、完全なブレサリアンとかは難しいかもしれないが、食わないとか、逆にお料理の食材買って、保温調理とポリ袋調理を研究する、とか。
もうちょっと、マシな食事をすれば、感覚も変わるだろうし。とにかく、からださんとハートさんは、呆れていて、食うことに期待していない。
洗脳を解いているのか、洗脳されまくりなのか?
でも、都内で一人の生活、となると、高画質とかは知らないけど、果たして光回線とかWi-Fi環境とか要る?のか?というのが、この二日間の実感。
人様にはおすすめ出来ないけど、そうとしか思えない。
将棋中継とか、外でも、お金さんの心配をしないで観れるし。将棋中継に縛られて、Wi-Fiに支配されなくていいし。
流行り病のことは別として、もっとお外に出られる、Wi-Fi環境に縛られたり、探したりする必要ないし。
断捨離が、更なる断捨離を呼ぶ、という、断捨離スパイラル?
最後の断捨離は、自分自身。
そんな訳で、お金さんを節約できて、本来のモバイルが出来る、ということだ。