純セレブスピーカーは、コロナ生活対策と、宗教オバサン対策になり得るか? | 巡礼者のブログ

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主治医の診察。施設に顔を出して、友人とオンライン呑み会ならぬ、現地実況写真呑み会。電話しながら写真撮って送る、とそれだけ。iPhoneならではの写真の楽しみ方。死して屍、拾う者無し。

もうコロナで宴会も出来ないので、実況中継呑み会である。来年の四月ごろに、自分は生きているのか、死んでいるのか?死ななかったにしても、インフルエンザだとしても、コロナにされて、汚れ者扱いになるのか?歌はよめないので、写真撮るくらい。

帰りに近所の書店さん寄ったら、子どもたちは割と元気なのだが、読みたいと思える本がない。因みにジュンク堂書店大泉学園店さんには、多分品切れになるマイナーな本は注文してある。純セレブスピーカーの論文が掲載されている雑誌である。

純セレブスピーカー、まだ手をつけられない、というか、どう、だるまさんに穴を開けるのか?と計測しているのだが、安冨先生の様に気合いで派手に開ける根性がない。そうなると、純セレブスピーカーの論文は役に立つのかもしれない。

天井にぶら下げるやり方もやってみたい気がする。そういうやり方の原型で印象に残っているのは、某所の書店さんで、小さい瓢箪にスピーカーを着けて、天井に設置してあったものである。

これがいい音で、売り物にもなっていたのだが、自分がだるまさんのスピーカーに手を出すのは、予想していなかった。純セレブスピーカー的なものの原体験は、この書店さんでである。

だるまさんのモデルは、現物に触れたことがあるのだが、とっても綺麗な音で、面白いと思った。四月までは、通院以外は、多分、殆ど外に出られない状態になるだろうし、純セレブスピーカーは、お篭りモード時代の友になるのだろう。

四月まで、封鎖があったとしても、ないにしても、団地は外に出ない時間が増える人たちもいるだろうから、ウチのシステムをあんまり鳴らすことは出来ないのだと思う。

今も、隣では老々介護になってしまっていて、それもあって、システムが使えない。と、そんな風に気を使っているのだが、お隣はそんな事は知らない。しかも、お隣には、六回も宗教の勧誘をされている。団地暮らしというのは、そういうのが苦手だ。

そんな訳で、純セレブスピーカーは、お隣対策にする、という事もある。しかし、宗教の勧誘というのは、本人は善意でやってるところが怖い。それって、他人を支配する欲求だ、という自覚を持ってない、という怖さだ。

純セレブスピーカーが、宗教勧誘対策になるかは、一般的には分からないのだが、団地暮らしだと、そういう使い方を考えてしまう。開発した安冨先生と片岡さんは、そんな使い方をされるとは想定していないと思うが、不本意な使い方であるのは、多分間違いないと思う。

異教徒と邪教には純セレブスピーカー、となると助かるのだが、多分、それは間違った使い方である。