お料理の機会を増やしたい | 巡礼者のブログ

巡礼者のブログ

ブログの説明を入力します。

主治医の時間。施設に顔出して、やよい軒さんで、生姜焼き定食、ご飯三杯。なんか、きょう、タレの味が濃くて、生姜って雰囲気でもなくて、お野菜より、お肉の方が多かった?お野菜高い?でか?

最近、モーニングページも、愛用?のシャーペンやめて、万年筆に変えたのだが、万年筆に変えるだけでも文体が変わる?という事で、道具というものは恐ろしい。やっぱり接点の感覚が変わると、中身にも影響がある。

シャーペンは硬くて、万年筆は柔らかい、と、乱暴に言えば、その違いだけなのだが。弘法筆に乱されず、というか、凡人?だと筆で変わる。

きょうの都内は結構暖かいというか、夜になって変な風が出て来た。あすは先輩の第九の本番だし、終わったら、先輩と友人と仲間と呑むし、結構バタバタする。

タラタラしていて、ヤバイのは、動画が万年筆の記事とか勧めて来るんだなー。これが怖い。自分の万年筆も好きなんだけど、タイプが違うヤツで、しかも同じ会社のものだから、写真のレンズで、焦点距離が同じでも、味が違う、というのを用意しているメーカーと同じ発想だ。だからどちらも欲しくなる、という仕組みになってる。

そんな事言ってる前に、書き方の練習しろよ、と思うのであるが、どうも特に、モーニングページで早く汚く書く癖がついてしまった。それって文化の破壊?十年前の自分の字を見ると、下手でも真面目に書いていて、なかなか恐ろしいものがある。

字をリハビリ出来るのかは分からないのだが、リハビリの書き方だけは練習する。少しはマシになる?のか?ボールペンでキレイに書ける人とかいるから、凄いなー、と思ってしまう。

とりあえず、やよい軒で食えたし、主治医には、障害者レストランの報告もしたし。主治医としては、栄養の問題に自分が向かうことを、良い傾向だと判断しているみたいだ。

しかし、あのレストランはショックだったが、原点に戻って、少しお肉さん高くとも、はかせなべの出番を増やす方が、自分の気持ちには合っているみたいだ。お肉さんは、国産の豚バラさんの事であるが。

はかせなべは、恐ろしい道具で、それこそ、障害者施設の食べ物さんの作り方ではないが、分量と時間と火加減に変なことをしなければ、美味いものが出来てしまう。オートマチックというか、何というか。

毎度のご登場であるが、先日の自衛隊音楽まつりでの、ドイツの軍楽隊の様な、ハーモニーのある響きを、はかせなべは簡単に実現してしまう。

そういう思想が気に入っている、というのはあって、お金さんの問題がなければ、もっと登場して貰いたいんだな。はかせなべ、には。

とりあえず、年末の第九も終わったら〜明日だけではなく、まだ続きがある〜お雑煮なんか挑戦してみるのもいいかもしれない。別にお雑煮でなくてもいいけど、ふろふき大根とかも美味い。

本当を言えば、オバが作ったヤツガシラさんの煮物というのは最高だったので、はかせなべではまだやっていないヤツガシラさんの煮物なんかいいと思う。

あとは別に、定番の野菜スープさんでもいいし、久し振りにハヤシライスさん、とか、適当にぶち込んだシチューさんでもいい。とりあえずは、セロリさんを入れておけば、あとはテキトーでいい。

いずれにしても、ヤツガシラ以外は、全て豚バラさんのお出汁次第なので、問題はそこである。

豚バラさんと言えば、以前、豚肉の紅茶煮を作っている時に、ウッカリ、豚肩ロースではなく、豚バラさんを買ってしまったことがある。実はこれが美味いというか、これならチャーシューとか、角煮とか簡単に出来てしまう。

豚肉の紅茶煮の難しいところは、つくりおき、のつもりが、美味いので、結構、出来上がると食ってしまうところである。この辺りが計算外である。

ビール煮もやりたいが、結構ビールの量が要るのと、出来ればポリ袋調理としてビール煮をやりたいのだが、多分、炭酸で破裂するので、怖くてこれはやっていない。工夫するとしたら、ビールで湯煎状態にする事で、ビールさんの量を抑える事が出来るかも知れない、くらいだ。

あとは問題?があるとしたら、ウチには調味料が殆どナイ、という問題である。あるのはお塩と麺つゆ、だけ。お醤油もない。胡椒もなければお酢もない。毎回調味料を買わないといけない、というのが問題だったりする。不幸中の幸いは、今の冷蔵庫は立派だから、お酢とかお醤油とかも、入れる事は出来る。胡椒とか管理できないけど。

その様な訳で、問題はお肉とか、お野菜を買えるのか?という事で、毎日納豆ご飯生活、というのを、どうにかしないといけない。別に納豆ご飯で問題がないなら別なのだが、やっぱり、食べ物さんで感覚は変わる。普段やってる事が、感覚に出る。

「日本人は素うどん喰って、最高の演奏を聴きに来る」という言葉があるが、自分も例外ではない。演奏家の問題ではなく、自分の感覚の問題に、食い物さんが影響している訳である。

そう言えば、一応、宝くじとか、三枚だけ買っておくか?ひょっとしたら、今年は友人と宝くじの抽選会の前座の演奏会に行くことになるのかも知れない。まだ、切符が当たるか分からないけど。自衛隊音楽まつりは、よく友人が当ててくれた、というか、席も多分一番いい席に座れたし、無欲の勝利だった。ドイツの軍楽隊には驚いたし。

来年の課題の一つは、食い物さんにお金を使う、という事だろう。本を買うより、喰って自分の感覚をマトモにする、そういう事が必要なんだろう。それに、お料理は創造であるし、その最高の道具として、はかせなべもあるんだし。

結局、先日のレストランのランチは、ある意味での底つきだったんだと思う。いろんな意味で。でも、もう一度、ハンバーグのランチは食ってみるけど。ハンバーグだと冷たいのではないだろうと思うから、初回のオススメランチとは違う印象があるかもしれない。

いろんな底つきが、最近あった気がするけど、食い物さんに対する意識も、今回が底つきなんだと思う。でも、社会も流れが変わって、近所でも定額制のランチとか出て来るかもしれない。ある意味では、文化のジェノサイド、なのかもしれない。

はかせなべのお料理は、自分の文化を作っていく事だから、そういうジェノサイドへの抵抗にはなるのかもしれない。

食い物尽くしの日記であった。