先日の障害者レストランと、きのうの呑み屋さんの風景 | 巡礼者のブログ

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ヘルパーさんの日。施設のカレーの日。きのうガンガン呑んでいたから、ヘルパーさんのピンポンに気がつかなかった。事務所さんからの電話で気がつく。アホか。

きのうは、定額でしかも安い、都内某所で呑んでいた。都内のど真ん中、というのが盲点である。ど真ん中、は千代田区のど真ん中ではなく、別の意味のど真ん中。

ガンガン呑んでいて、ガンガン書いて、そういう使い方が出来る。一時間なら千円も掛からない。しかもきのうは、閉店まで、空前の定額でガンガン呑める。そういう一人呑みが出来る。

呑みながら書いて、でも、呑んでるから字がめちゃくちゃだけど、呑んでるなりに、普段気がつかない事が書けてるんだな。週一は予算がないのでムリという極貧だけど、月一ならアリだ。モーニングページならぬ、drinking page?

カレーの日は、きょうも美味かった。が、呑んだ翌朝だなー、という感じで、さっさと帰って寝る。山本太郎さんの演説を観る。途中からだったけど、新しいスライド入ってた。明日のあるなら見ないと、と思う。そう言えば、きょうは太郎さんの本の発売日だった。これは読みたい。そろそろ都内で演説がないか、と思う。

と、タラタラしていたので、またこれからタラタラだが、タラタラ出来るのは、今のうちかもしれない。

先日行ったレストラン、どうもまだ気になっている。障害者施設として?なのか?それとも、日本の縮図として?なのか?

あるいは、ひょっとして、自分がお世話になる施設なんではないのか?という感じを、行く前に持っていたので、日本社会の縮図?だった?のは、かなりショックで、「それって社会復帰なのかよ?」と、呆然としていた。それじゃただ拘束されてるだけだろ?と、何と申しましょうか?という時間だった。

何をやってるのか、一人一人の役目とその意味が伝えられていないのではないか?という感じで、自分が作った料理も、食べた事がないのではないか?と、唖然とする。

因みに、きのうの呑み屋さん、何かのかなり大きなレセプションがあって、それを横目で見ていたけど、この人たちも、多分、自分のやってる仕事の意味を伝えられてないんだろーなー、と思う。お役人さんのレセプションみたいだったが。

お役人になっても、障害者施設のレストランに行っても、結局本質が同じじゃ、何やってんだか、自分には分からない。

その障害者施設のレストランにしても、働いてる?というより、働いている「演技」?をしている風にしか見えなかった。別に、障害者さんに〜自分も精神障害者ではあるが〜注文があるのではなくて、何か、「実質的な仕事をしてはいけないのではないか?」という感じがあるのである。

というか、それが、日本の社会の縮図にしか見えないのであって、何かパロディーの類いではないか?という風に見えたのである。

あるいは、その施設で働いている方々は、その方々の目から見ると、「働くって、こんな感じなのかもしれない」と、「働いている人たちの様子を観察して」、働くというのが、その様に見えている=働いている人の真似をしている、という感じに見えるのだ。

たまに、バス停とかで、並ぶのを整理している人とかいるが、その人は、バス停の人ではなくて、障害者さんが、働くのはこんな感じか?と思って、お客さんたちの整理をしているのである。

?と思われるかもしれないけど、そういう人は、バス停でなくとも、時々いる。実在する。

その感じ?で、そのレストランでは仕事をしているのではないか?という感じがあるのである。そこが何とも、まぼろしの市街戦、という映画そのもの、なのである。

結局、その様な訳で、これは自分がお世話になる場所ではナイ、という結論になって、いよいよ、生産しないで存在してる人状態をやるしかない、と、かなり絶望的になったのである。あー、もーいーや、とそんな感じである。

そんな訳で、どーでもよくなって、まー、しかたねぇーなー、とそれだけなのである。

そのレストランがパロディーなのか?それとも日本がパロディーなのか、どっちがどっちのパロディーなのか分からない状態で、日本で生きてても意味がないのかもしれない。しかも、きのうの飲み屋さんの、多分、お役人さんたちのレセプションの様子で、ああ、もうね、もういいや、とダメを押された感じなのである。

そんな感じで、中には、同じ事を感じて、カルト宗教に行ったり、カルト共同体に行ったりする人もいるのだろうが、それは最も悪質なパロディーというだけで、それはもう知らない。どうも、カルト共同体系の人に見張られている?という感じは以前からあるのだが。〜別に自分の症状ではなく、そっち系の人というのは分かっているのだが。これも悪性のパロディーだな。

あー、パロディーばっかで、おめでたいというか、何と申しましょうか?である。