「無努力」effortlessness〜レスター・レヴェンソンの説く意識状態、続き | 巡礼者のブログ

巡礼者のブログ

ブログの説明を入力します。

爆睡して、安息日。悪夢が多い。名人戦を横目に、タラタラしている。天彦名人のカド番である。頭さんの中では、何故かシューベルトが鳴っている。

せっかくタラタラしているので、まだ報告していない、セドナメソッドの家元である、レスター・レヴェンソンの言う、五つの意識状態の残りを調べてみようと思う。

1.不動心 imperturbabilty

2.無欲 desirelessness

3.無努力 effortlessness

4.無行動 actionlessness

5.目撃 witnessing


というのが、レスター・レヴェンソンの言う意識状態とあるが、これだけでは全く分からないので、前回と同じく、英語を手掛かりとして、調べてみたいと思う。


不動心と無欲は、前回調べた。とりあえず、残りに手をつけてみようと思う。


3.無努力 effortlessnessである。


最初は、共感する?タラタラの言葉なのではないか?と、これからやりたかったのだが?五つのうち、三つがレスネスなので、辞書を引くにも困るのである。


-lessnessで語る、というのは、影について書いている?のであって、何かそのもの、本質を書いている訳ではない言葉、なのであろう。


ということは、実質を体験した人はあまりいないで、なかなか話が通じないから、-lessnessという言葉が使われるのであろうし、体験した人も、実質を言葉で「語れない」から、レスネスだらけ、になるのだと思う。分かる人の間では、特に言葉さんもなしに、「あれのことね」で通じる様なものなのだろう。


effortlessnessでは、流石に英英辞典にはないので、とりあえず、effortから確認してみる。


ワードパワー英英和では以下である。


effort    the physical or mental strength or energy that you need to do sth: sth that takes a lot of energy 〜をするのに必要な肉体的または精神的強さやエネルギー:多くのエネルギーを要する〜→努力 骨折り


an effort(to do sth)   something that is done with difficulty or that takes a lot of energy  困難を伴ってなされること、または多大なエネルギーを要すること →(〜しようとする)努力、試み、企て


とある。かなりエネルギーが要るという話である。


で、幸い、ワードパワー英英和には、effortlessが見出し語にある。そこでは、


effortless   needing little or no effort so that sth seems easy 〜が簡単に思えるくらい、努力をほとんど、または全く必要としない →やすやすとやってのけた、努力を要しない、楽な、簡単な


なのである。


やはり、easyというニュアンスは大切な様である。


ロングマン英和辞典は参考になる訳語がある。以下である。


effortless  (プレー・勝利などが)簡単そうに見える、動きなどが無理のない →同意easy 楽な、努力を必要としない


という訳で、よく「難しいゲームになる」という言い方があるが、多分その対義語なのだろう。となると、対義語はdifficult、ということか?


となると、スコット フォースマン類語辞典なぞを確認すると、実は厄介な結果がでた。


simpleに対する類語として、effortlessが挙がっているのだが、effortless の語感は、「努力を必要としない」長い訓練をして身につけた技術のようなもの、を言うそうである。 


となると、「無努力」というのは、単に努力しないで、という意味ではなさそうである。あるいは、スピリチュアルの世界?では?カッコつけて?涼しい顔で、effortlessnessと言っているのかもしれない。レスネス、だけで、なんか難しそうに聞こえるし。それは勝手な想像であるが。



 次の言葉もやろうと思ったが、actionというは、奥が深い言葉で、また、機会をあらためてやる必要があると思う。


ことばというのは難しいが、英英和辞典とか、英英辞典を見ていると、日本語の辞書より、具体的なイメージが分かりやすいということがある。


乱暴に言えば、昔の外国語を扱っていた日本語人は、漢文が出来たから、漢語の熟語でニュアンスまで表現した?表現したつもり?になれたのかもしれない。


いまどきの日本語人は、漢文できないし、日本の辞書はコピーアンドペーストだから、英語の辞書の様に、具体的なイメージが持てる様に定義する、という文化がないんだと思う。


そんな事で、思考停止、というか、ドリル主義?というか、使えない丸暗記、とかで、日本語人の外国語学習って、かなり悲惨な状況にあるのだと思う。


教員や、教科書や、参考書のレヴェルの問題もあるのだと思うが、辞書引いても、具体的なイメージは書いていないから、辞書作ってる人の責任は大きいと思う。


で、受験でなんとかしても、言葉自体は使えない、とか、当たり前だし、旧態依然とした外国語学習、って、関係者の責任は大きいと思う。


それはそれとして、英英和辞典とか、学習者向けの英英辞典は、その意味では使える。暗記する前に、具体的なイメージが持てるから。


中学生の授業でも、先生が、英英辞典での定義とかやった方が、学生は後が楽なんではないか?と思う。別に英英辞典の英語の定義を直接言わなくても、その定義を、先生が日本語のプリントで説明すれば、そっちの方が、脱落者が少なくなるんではないのか?と、ガキの頃を考えても思う。


いまどき、子供たちは、どんな授業をうけてるんだろう?あとは、若い人は、日本語が壊れてる人多い気がするから、国語?日本語の授業や教材はどうなってんだろう?と思ったりする。


それは、愚痴であるが、年取ってから調べてみると、酷い授業を受けてたんだなー、と思う。自分で勉強した方が、意味になったりする。


それだけ、昔より、教材が良くなった、という事ではあると思うけど。


特に、Apple musicとかで、洋楽の歌詞とか見ると、こんな簡単な単語で、向こうの人は表現してるんだから、今までは何だったんだろう?と思ったりする。


と、ボヤくのである。