貧困と無知と奴隷根性 | 巡礼者のブログ

巡礼者のブログ

ブログの説明を入力します。

施設の日。何とか、仙台の宿を取れたり、とか、おかげで、来月の帳簿というか、バランスシートというか完成する。毎度、なかなか厳しい生活だが、基本的に、納豆そばさんを一日一食で計算している。

仙台の都合で、施設の昼食会を欠席するのは、痛い。仙台は、全く知らないし、かなり寒くなりそうなので、どういう過ごし方が出来るのか?早朝、開いてる店は、食い物さんではないハンバーガーを売ってるチェーン店くらいしかない様なので、出かけて行って、そんなのを喰うというのは、悲惨といえば悲惨である。深夜バス難民、というか、そんな感じである。

先生の演奏を都内で聴く機会がやや少なくなり、深夜バスで地方に通う、というのは、オレとしては、相当な覚悟である。しかし、行かなかったら一生後悔するだろう。そんな訳で、更に超節約生活であるが、たまたま某所で激安のLED手元照明を発見して、確保した。もう、蛍光灯も贅沢である。本を読むにも、その小さい照明でいい。

こうなると、通信環境も見直さないといけないが、余りにいろんな業者さんがいて、安定したサービスを受けられる業者さんがどこなのか、まだ分からない。これが問題である。

お茶さんくらい欲しいものではあるが、ずっと冷蔵庫さんで冷やしたお水さんである。以前、とうとう冷蔵庫さんがぶっ壊れて、何とか、施設つながりのお店で、立派で安いのを頂くことができたが、立派なのになったら、電気代がずいぶん下がった。技術の進歩である。

PCも立ち上げなくなって、更に電気代は下がった。iPhoneはバックライトがあるので、照明も節約できる。こうなると、ソーラー充電器とか、ソーラーコンロとかも考える事になる。ソーラーコンロは、まだ高くて手が出ないが。ムリをすれば、アルミホイルと段ボールで作れないことはないが、管理と設計が難しいのと、団地の関係で、苦情が来る可能性もあるので、市販品で、評価がしっかりしているものが無難だと思う。

普段は、納豆そばさんばかりだから、冷たいものしか食べていない。施設のカレーの日と昼食会は、そういう意味でも、感覚を維持するには重要である。贅沢を言えば、お米さんを食べたいのだが、お米さんは買うのが難しいし、電気代とか、ガス代を考えると、納豆そばになってしまう。この数年では、お米さんと一緒に炊いていた十穀米さんとか、芽ひじきさんの値段がずいぶん上がり、分量も減らされているので、お米さんはムリである。

友人や先輩とメシやビールさんの日も重要である。少し、普通?の世界にいる気がする。ありがたいことである。

最近、結構痛いのかもしれないのは、月一弱で、新古品の衣料を売りに来てくれるお店が、今年いっぱいで廃業すること。新古品で、モノはその辺で買うより、質が良くて、問題もなく、安くて、趣味性もあるものを入れてくれていたので、これは少し痛い。遠い方の施設の近くには、激安で有名なお店があるが、現政権が原因の不況で、値段はだんだん上がっていて、仕入れも悪くなってきた。

政治が悪いと言えば、それまでだが、それをどうにかする気持ちを持たないのが、この国の有権者の特性なのであろう。陰湿な社会である。そして、その奴隷根性。お上、という感覚。救い難い。まあ、そんな事を言っても、そういう歴史とDNAに規定されているとしたら、悲惨な事である。更に、そこには、利権と工作員と陰謀となると、意外なことに、結構、そういうのは知られていない。少なくとも、チェルノブイリ以降は、そういう情報は、調べれば、手にする事が出来ている筈なのだが、忙しいから、で、いいことにされているのだろう。

とりあえず、玉石混交の中から、それなりの情報を掴んで、吟味しないといけない筈なのだが、「忙しいから」の一言で、終わる。その一言で、自分の社会性も放棄している訳だから、マトモ?な大人?はあまりいないのだろう。そして、自動的に奴隷となってくれるのだから、あっち側は、本当にありがたいのであろう。

そんな訳で、毎度、バカらしいのであるが、魂だけは、奴隷にならないのである。