遠隔ヒーリングを受けた翌日としてのきょう | 巡礼者のブログ

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団地の方の施設。昼、友人からの電話で起きた。帰ってから、また叡王戦を観る。魂こもった打ち合いで、素晴らしい内容。人間の将棋のいいところ。

さて、睡眠障害も相当のオレであるが、きょうは珍しく深く眠っていたのか、いつもの疲れがない。多分、昨日の遠隔ヒーリングから起こった、呼吸の変化も影響しているのだと思うが、スッキリ、ではなくとも、深く眠って、深く休んだ、という睡眠の質であった。

遠隔ヒーリングの結果、また別の存在さんが登場してしまったのだが、オレ的には、その存在さんと出会えてよかったと思う。この存在さんについては、そのうち書くこともあると思うが、オレにオーダーをする存在さんである。まだ、話し始めて初日であるので、分からない事も多いが、オレの生活は変化すると思う。

きのう、自動的に変化した呼吸の仕方は理解したつもりであるが、それが、専門家にとってはどういう呼吸なのかは知らない。からださんの使い方としては、フェルデンクライスメソッドにもある様なものであるが、それが、呼吸としてはどうなのか分からない。ただ、呼吸法に男性性とか女性性とかあるのかは分からないが、女性性を取り入れる様なエネルギーの流れがあった。そういう言い方しかできないのだが。

結果としては、休めたし、休めるからださんであることは、オレには重要だ。休んでも、休んだ感じが足りないので、朝から、疲れたー、を連発するのが普段のオレである。たまに、休めた感じがある日もあるが、それがどういう原因から休めているのか、分からない。きのうは、遠隔ヒーリング丸ごとの影響はあると思うが、その過程で体験した、妙な呼吸法?が、どうもオレには合っているのだと思う。

きょうはなんということのない一日であったが、過ごせ方も違う。疲れることはあるのだが、淡々とやる事をやれている、というか、都市生活の妙なエネルギーと空虚さにやられにくい、というか、そういう感覚は、オレにとっては、大きいのである。

因みに、余談だが、きのうその遠隔ヒーリングに参加している人たちの人数をからださんが、十四人と言っていたのだが、どうなのか?存在さんのなかでは、からださんは、あんまり数については得意ではない方ではあるが。十四人だという。それが、一斎遠隔ヒーリングというジャンル?では、どういう意味の人数かは分からないのだが、からださんの認識としては、その様である。

あとは、オレにとって重要、というか、オレの発想になかったのは、その存在さんと話していたら、存在さんからのオレへのオーダー、というのは、「まず自分が幸せであること」というものであった。

オレは、オレが幸せになる、とかいう発想はなかったし、色即是空、空即是色、焼けば骨。みたいな感覚があって、幸せとか、幸福とか、単に状況でしかないんでないの?って感覚がある。だから、自分の幸福?とか言っても、あんまりよく分からないのであるが、その存在さんからのオーダーは、まず、「自分が幸せであること」だった。

確かに、状況でしかないとしても、幸せそうだったら、幸せなのかもしれないし、幸せな姿をみて、他人は幸せの事を考えるのかもしれない。

その問題については、主治医や、元所長さんとの話しにもなっていくのだと思うが、とりあえず、いつもの様な疲れ方をしていない、とか、結構淡々と作業できたり、とか、そういう感覚の違いは、あしたもあるのだから、重要なのだと思う。

日常の生活のつくり方、というのは、治療のなかでも重要な課題なのだ。というか、日常のつくり方が、いちばん大変な課題であるのが、治療でもある訳だが。

とりあえず、深く眠って休めた感覚があったので、これがきょうからの一つの生活の基準になるのだと思う。