大隈重信の出世人生は、人のやらない難解な仕事を引き受け、やり抜くことが大切だと悟った事。そうする事で周りからの信頼を得て、次ぐ次と新たな仕事が舞い込み、出世へと繋がり日本国の首相まで上り詰めた事だ。そこには知恵・知識を持った人材を上手く活用することで、創意工夫を持って互いに押し上げていく。新政府の説得には誰ものが納得する根拠を並び立て、巧みな口実で実現させたのは、現在の日本貨幣を新たに統一した人物である。事実、江戸時代の唐からの貨幣の形状(四角、楕円、円)、算法(4進法)と呼称(両、分、朱、文)等を現在の貨幣の形を全て丸く、10進法で「円」と変更した。重信は参議となる33歳(1871年)で郡県制を基に、貨幣の統一、租税の平等化と一本化、学制発布、太陽暦採用、徴兵令発布、地租改正等に尽力した。特に大隈の出世の土台は長崎での外国政府との折衝経験と近代化した諸外国の情報が誰よりも豊富だったことかもしれない。大隈の印象的な言葉「国づくりの根本は外交と会計にある」と無我夢中で生き抜いてきた、だが薩長土肥の人材とは頻繁に政策においてぶつかり合い「薩摩、長州と言っても、2、3人の除けばろくな奴はおらん」「三条公や岩倉公はまるで分かってはいない」「聞くべきこくは聞き、言うべきことは断固として主張し申す」を貫いた人物だ。