いまだに犯行動機さえわかっていない

「あの時は、絶対にこいつしか真犯人はいないと思った。それで、必死に行動確認や裏付け捜査に走ったんだが……」

そう話すのは長い間、世田谷事件を担当してきた元捜査員だ。

世田谷事件は、20世紀最後のカウントダウンがまもなく始まるという2000年12月31日午前10時55分頃、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員、宮澤みきおさん(当時44歳)宅で、みきおさんと妻泰子さん(同41歳)、長女で小学2年生のにいなちゃん(同8歳)、長男で保育園児の礼君(同6歳)が惨殺されているのが見つかったものだ。

現場には犯人のものと見られる指紋や掌紋、足跡、血痕、さらに凶器の柳刃包丁をはじめ、犯人が着用してきたジャンパーやトレーナー、帽子などの衣類とヒップバッグなどの“物証”が数多く残され、事件は早期解決が予想された。

だが、発生から15年経った現在でも、犯人が逮捕されるどころか、犯行動機さえはっきり分かっていない。

05年と10年の改正刑事訴訟法施行で、殺人事件の公訴時効が延長・撤廃されていなければ、15年の大晦日にも時効を迎え、まさに警視庁の特捜本部は解散に追い込まれる運命にあったのだ。

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冒頭の元捜査員が言う「あの時」とは、事件発生から5年余りが経った06年初め頃のことだった。

宮澤さん一家の交友関係を調べていた特捜本部は、泰子さんとにいなちゃん母娘の周辺に見え隠れする“ある男”の存在に注目し、連日にわたり行動確認するなど内偵捜査を行っていた。

その男は時折、にいなちゃんがバレエやピアノなど“習い事”に通っていた先の周辺に姿を見せる若者だった。少女に興味があるのか、にいなちゃんをじっと見つめて後を付け回したり、他の少女にくっついて、やたら体を触るなどトラブルを起こしていた。

特捜本部は、犯人が現場で効率良く動いて次々と4人を殺害し、飲食したりパソコンを操作して長時間居座るなど、宮澤家の内情に詳しい点を重視。泰子さんとにいなちゃん母娘に対してだけ執拗に切り付け、死体を毛布で覆っていることから、母娘に恨みを抱く顔見知りの犯行と見て調べていたところ、この男が浮かんだ。

男がにいなちゃんにまとわりついていたのを泰子さんが気づいて阻止し、それを逆恨みして犯行に及んだと考えたのである。

 

さらに特捜本部は当時、捜査に行き詰まって犯人のDNA鑑定でルーツを辿る人類学的解析を進め、日本人や韓国人を含むアジア系男性を父に、南欧系女性を母に持つアジア系男性との結果を得ていた。日本人だと10人に1人、韓国人なら5人に1人の確率らしい。

そして、この男こそ父が日本人、母が南欧人のハーフ青年であった。が、特捜本部は男から任意で事情聴取するとともに自宅を捜索したが、指紋が一致せず、シロと断定せざるを得なかったのだ。

カネ目当ての主犯と狂信的な実行犯の分業

この事件は、なぜ犯人がメッタ刺しなど残虐な手口で幼子まで殺し、何を探して派手に物色したのかが不明。中2階浴室の小窓とされた侵入口も、脱出痕はあるが侵入痕はないなど謎だらけなのだ。

私は韓国マフィア元ボスの情報提供などから独自に取材を進めた結果、実行犯として韓国・ソウル市に住む元韓国軍人の李仁恩(仮名)、主犯(指南役)として都内在住の元宗教団体幹部、金田秀道(仮名)をマーク。その周辺を取材していくと、次のような事件の筋書きが浮かび上がってきた。

事業失敗で多額の資金を必要としていた金田が、宮澤さん宅に隣接する都立祖師谷公園の拡張に伴う移転補償金など1億数千万円を狙って犯行を計画。言葉の発達が遅かった礼君の発育支援と称して宮澤さん一家に近づき、自分に心酔する李に自分を知っている4人を殺害させたうえ、現金や預金通帳、一家と自分の繋がりが分かる書類や年賀状などを奪わせた――というものである。

宮澤家周辺では、移転する家屋を安く買い上げ、転売を繰り返した末に東京都に高く売りつけて荒稼ぎしようとする不動産ブローカーや暴力団系地上げ業者が跋扈し、宮澤家の内情を調査したり家族の動向を見張っていた形跡があった。

彼らは宗教団体の不動産取引を通じて知り合った金田と結託、宮澤家に土地売却を持ちかけて、応じないと嫌がらせしたり圧力を掛けていた。

さらに金田や不動産ブローカーの背後には“隠れオーナー”として投資顧問会社元代表Xがいた。私の追及に金田が「世田谷事件は私がやらせたことじゃない。本当の黒幕はXだ」と自白したのだ。

こうした実行犯と主犯を分離した事件の筋書き、李の性格や軍隊歴を考えれば、残虐な皆殺しや激しい物色痕など疑問点のほとんどは解消できる。また、金田の紹介で礼君の発育支援と称し訪ねてきた李をみきおさんが招き入れたとすれば、侵入口の謎も解決する。

 

私は03年に李の指紋をこっそりと採取し、旧知の警察関係者を介して非公式ながら世田谷事件の遺留指紋と照合した結果、不鮮明な指紋だったが、ほぼ一致するとの結論を得ている。

また、犯人が着てきたジャンパーのポケットから採取された土砂粒が李の出身地である韓国・京畿道水原市周辺のものと一致したことや、ヒップバッグから検出したガラスビーズを使っている印刷所に李が出入りし付着した可能性があるなど他の共通点も確認した。

これら事件の真相解明に繋がる新事実は、このほど上梓した拙著『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』(KADOKAWA)をお読み頂くとして、本稿は世田谷事件を迷宮入りに導きつつある警察当局の致命的失敗と報道各社の怠慢ぶりを明らかにしたい。

 

一橋文哉(いちはし ふみや)
東京都生まれ。全国紙・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。本名など身元に関する個人情報はすべて非公開。95年「ドキュメント『かい人21面相』の正体」(雑誌ジャーナリズム賞受賞)でデビュー。グリコ・森永事件、三億円強奪事件、宮﨑勤事件、オウム真理教事件など殺人・未解決事件や、闇社会がからんだ経済犯罪をテーマにしたノンフィクション作品を次々と発表している。