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今の日本の政治の難しさは、その構造そのものが問題の原因になっていることだ。端的に言うと、それは支配と依存の構造である。そしてそこから来る思考停止と他責思考だ。
戦後八十年間、この国はずっと米軍依存を続けたまま、それを実行するエージェントの自民党と官僚組織によって支配されてきたというのが、ざっくりとした構図だろう。もちろん現実はそんな単純なものではなく、無数の個人と団体の選択と行動の結果だが、実際の米軍の存在や、それを規定する日米安保条約、地位協定、年次改革要望書などからも、あながち的外れとは言えない。
その中で、我々はずっと支配されてきた、という言い方もできるが、依存してきたという言い方もできる。そもそも支配者は依存者がいないと生まれない。本当に自由な人は、死からも自由だ。だから、例え銃を突きつけられても、支配はされない。
ただ、もちろんこれは極論だ。だが、あまりに死や、この現実世界の結果に左右されれば、外側の現象や不安に支配されやすくなる。そして、それは外側に軸があるため、裏を返せば依存していることになる。
こうして依存している人たちが望むことは、誰かがその支配者を倒し、自分たちを解放してくれることだ。そして、そうしてくれそうな人たちを探し、またそこに依存する。そして、それが何らかの形で叶わないと、その人たちを責めたり、他の誰かを探そうとする。これは永遠にループする。原因は外側ではないからだ。
残念ながら、多数決という今の民主主義の欠陥をそのままにしたまま、ここからの脱却はとても難しい。なぜならば、原因は自分たちにあると矢を向ける政治家よりも、権力をくれれば何とかしますよ、という政治家の方が票を集めるからだ。自分自身を変えるより、誰かの名前を書く方がはるかに簡単だ。
その中で早く結果を出そうとすれば、どうしてもその依存を集めるしかなくなる。だから強烈なリーダーシップを発揮し、正しさを主張し、とりあえず力を得ようとするのだ。それが間違っているわけでもないし、一つのやり方だ。志があってそれができる人は、まずはそれをトライすることは自然な流れだと思う。
ただ、問題は、それで多くの人が自立するかどうかだ。これから大事なことは外側の現象からも自由になり、自分の内側に従って生きることだ。だが、そこに集まってくる多くの人は、外側の結果を期待してやって来る。それでは難しいとわかっているリーダーも、その過程で依存でがんじがらめになり、自立を促そうものなら、話が違うと罵倒されるのがオチだし、逆にそのまま突っ走れば、やがて大きな方向性とのギャップで自壊に向かう。外側の現象からも自由になり、正しさなどない世界へ向かっているというのに、正しさを主張して突っ走れば、そこには争いしか生まれないからだ。内側も外側も。内側とは組織や身内のみならず、自分の中の葛藤も含む。
だが、これは過渡期だ。多くの人が、そんなトライ&エラーを繰り返しながら、その現象を体験して、次第にそれが原因だと気づき、自ら自由に自立しようとしている最中だ。それが臨界を超えた時に、政党もその他の組織もピラミッド構造ではない新しい形となり、それにつれて現象が変わっていくのだろうと思う。だから、万事順調ではないかと思う。全ては起こるべくして起こっている。それで何かを感じている自分を少し俯瞰して観察すれば、結局自分なのだと気づくことができる。全てはそのための現象なのではないかと思う。
