大洪水を伝えるノアの方舟の元の話のウトナビシュティム、ティルムンにも七は重要な数字として出て参ります。

ところで、七草粥で知られる1月7日の舎那蒼(七草、美しい景色)は、13000年前の太平洋での大津波後、季節をまたいで雨が降り続き、その過酷な環境が終わり新たな世界が始まったお祝いです。

本来は夏の7の月ですが、月を日にかえて7日となっています。

それでは、何が古い世界の終わりを知らせたのでしょう。

それは日本のお正月にはかかせないゆずり葉です。

ゆずり(結弦)葉は、過酷な環境が終わらない限り新芽を出しませんし、新芽が出たならば、古い葉は潔く落ちます。

聖書では、オリーブの枝となっているのですが、譲り葉の枝を見ますのは、聖書の時代の数万年も前から生きた、縄文日本人の知恵(観察力)なのです。

また、この話の裏には、イエスが新しい葡萄酒(気づきの血)は古い皮袋(これまでの教団)ではなく、新しい革袋に入れなければならないと申しましたように、現れを実と見るのではなく、その末を法とする認識をひっくり返(終末、革命)して、新しい本を実とする認識(皮、革)になるという、鞠理でなければならないという事です。

写真は、七の月に開催される津波による四神相克から四神相応の津四となる祇園祭(ツヲォンの訛り)です。

イスラエルのシオン祭でもあります。

日本の正月には欠かせない、譲り葉を鶴の葉とおっしゃる地域もありますが、鶴は津波を留める津留であり、間違いではありません。

1999年七の月、物中心、外宇宙中心、物の生成化育中心の999の視点から、666の、物も令(霊)である事を知り、内外宇宙の門に立つ人→内(ウチナ、団扇の要)、生まれも死にもしない不動の視点に角力(七、ひっくり返し)する時です。

芳山では芳船ですが、ノアの方舟は、肥後船家形の墓石、宇土の古代船海王に似ています。

私の野見崎(野見は古代の船大工の事)の墓と須原(七の月の意味は昴)の祖先は13000年前の大津波を口伝して参りました。