新規感染者数も少しずつ減少し始め、人々のコロナに対する恐怖心も、幾分緩和しつつあるように思います。

「恐怖心」というものはしばしば、人々から思考を奪い去るものでもあります。したがって、コロナ恐怖が緩和し始めたということは、人々の「思考停止」的傾向が幾分緩和してきた事を意味します。

ついては今日は改めて、このコロナ禍と呼ばれる騒動が一体何だったのかを、総括的にお話してみたいと思います。
(こうした議論にさらにご関心の方は是非、こちらの書籍、ご一読下さい『自粛と緊縮で日本は自滅する』
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まず認識しておかねばならないのは、このコロナ禍と呼ばれる「災い」は、単なる感染症の拡大に伴う公衆衛生被害だけではない、という点です。それに対する対策と言うタテマエで進められる「自粛」が、国民経済と社会生活に甚大な被害をもたらしており、それこそが、コロナ禍の主要な部分を占めているのが実態です。

すなわち、感染死者数の増加のみならず、GDPの5%弱もの低下によってもたらされる倒産、失業、貧困、うつ病、そして自殺の拡大がもたらされています。そして、そうした様々な被害は、自粛によって人々が他者とふれ合う機会が失われる事を通して加速しているのが実態です。

さて、その「自粛」行為は、国民一人一人のコロナに対する恐怖心に煽られたものであると同時に、行政から推奨・要請されているものでもあります。さらには、「自粛をしなければ批難されてしまうのではないか」という他者からの批難・バッシングに対する恐れがその自粛をさらに加速しています。

こうした恐怖心は、TVを中心としたマスメディアによるコロナ恐怖を煽る連日の報道によって加速しているのが実態です。そして、マスコミに煽られ、肥大化した大衆のコロナ恐怖心が今度は逆に、マスコミの公正中立性を歪めるに至っています。すなわち、コロナがさして危険なものではないという事を示す情報を提供すれば、仮にそれが客観的に正しいものであったとしてもコロナに怯える大衆世論からの「反発」が生じ、その反発の声、ならびにそれに対する「忖度」がコロナは必ずしも危険では無いという客観的情報の報道を「萎縮」させてしまい、マスコミ報道内容をより過激なものにさせてしまうのです。結果、それによって大衆のコロナ恐怖がさらに加速するという循環的な強化プロセスが進行しているのです。

これはしばしば、パンデミックならぬ、歪められた情報が氾濫するインフォデミック状況であると解釈されると同時に、精神病理学的なある種の集団パニック状況であると言うことができます。さらには政治思想的にはしばしば「全体主義」状況であると解釈することができます。

この大衆のコロナ恐怖の加速に裏打ちされたインフォデミック、集団パニック、そして、全体主義こそが、コロナ禍と呼ばれるものの本質を成しているのです。

この集団パニックや全体主義は、新規感染者数が目に見えて一定収束することで落ち着きを見せます。したがって、ワクチンの普及によって一定程度収束していくことも予期されます。

ただし仮にその感染拡大が「さざ波」と呼ばれるほど僅少なものであったとしても、マスメディアの報道の仕方一つで幾らでも「大津波」の様なものとして社会的に捉えられ、コロナ禍を引き起こしうるものとなります。さらには、ワクチンを打ったとしても感染リスクは低減はするもののゼロとはならないことから、いつ何時、マスメディが煽る事が可能な事態が発生するとも限りません。

ましてやワクチン効果の薄い変異株がいつ何時拡大するかも分かりません。

すなわち、このコロナ禍の出口は、大衆の精神の内にメディアに煽られてスグに恐怖心を抱いてしまう傾き(しばしば現代思想では現代人は存在論的不安を本質的に抱き続けているとも言われています)を持っている以上、ワクチンが普及したとしてもなかなか訪れ得ない可能性が、深刻に危惧されるのです。

そんな中でももちろん、政府が客観的合理的な基準(クライテリオン)をもって、感染症による被害と、自粛に伴う経済損失・社会被害の双方を見据え、総合的な観点から、

(1)適切な行動変容「リスク・コミュニケーション」戦略(手洗い、うがい、鼻口接触回避など)

(2)「コロナ対応供給力増強」戦略

(3)適切な「行動抑制」戦略(=年齢や属性を加味した「自粛戦略」)

(4)コロナ対策に伴う「経済被害補償」戦略(=消費減税や粗利補償等)

等を適切に組み会わせながら、「総合的被害の最小化」を目指す理性的合理的な存在であれば、過剰恐怖は広がらず集団パニックによる被害は最小化されることとなるでしょう。

しかし誠に遺憾ながら、現在の日本政府は上記の四戦略の内の「(3)自粛戦略」だけを、世論に引き摺られるようにして発出したり解除したりする、という不条理極まりない対策に終始しており、それが人々のパニックをさらに増幅するだけの状況が続いているのが実情です。

この様な不条理な政府の下では、どれだけワクチンが広がったとしても、ワクチンを打ったのに感染する人が複数であり、ワクチンが原因で亡くなる方が複数人出たり等の何かのきっかけですぐにコロナ集団パニックが生ずることとなるでしょう。

———誠に残念な現状ですが、我が国に理性的合理的な政府が誕生することを、心から祈念する他ない、というのが、現在の日本の姿なのです。

では……また来週。

追伸;このような無定型な政府が推進するワクチン接種の加速対策に、不信感をお持ちの方もおられると思います。そんな中、様々な医師からのアドヴァイスを伺った下記まとめました。是非、参考になさってみてください。
『「私、ワクチン打った方が良いんでしょうか?」という質問を受けました。当方が「即答」したその内容と理由を詳述します。』
https://foomii.com/00178/2021060608274480984

 

『三橋貴明の「新」経世済民新聞』
 2021年6月9日
 コロナ禍の本質は医学的問題ではなく
 精神病理学的「集団パニック」問題である

 From 藤井聡
  @京都大学大学院教授