日本人は決して忘れることのない日なのでしょうが、僕はすっかり忘れてました。もう八月なのですね。父は疎開していて親元から離れていて助かりましたが、閃光は見えたそうです。僕のお祖父さんとお祖母さんに当たる人と叔父叔母にあたる8人兄弟中、4人は中心地点から約一キロで亡くなりました。洋服店を営んでいました。長男である叔父はシベリアで捕虜になってたそうで、戦後 横浜でうちの父と「モヤシ屋さん」を始めます。当時は高級料理にしか使われていなかったそうですが、今では低価で誰でも買えますね。叔母(父の姉)は17歳、約1キロ地点で仕事中に屋内で被爆しましたが、助かりました。階段を駆け下りるわけですが血の海で滑る人もいて大変だったようです。その後、自分の両親、兄弟を火葬して骨を風呂敷?でまとめて背負って徒歩で線路をたどって親類の家に向かいます。途中、線路の橋を踏み外して落ちかけたのですが、背負っていた風呂敷がひっかかて命びろいしたと言ってました。そのうち機会があればもっと聞こうと思うのですが、あんまり気乗りしないので、僕の話は筋が通ってない、、、。そんな叔母もある日

「あれは業(カルマ)だったんだろうねえ」

と独り言のように言っていたのを思い出しますが、憎しみも悲しみも超えられる意識に至るには結構たいへんな時間がかかったことでしょう。うちの父親は11歳で両親を亡くしたのに、前回来た時アメリカ軍の航空ショーをみて喜んでいたようで全然、憎しみがないようです。まあ憎んでも悲しんでも、プラスになることはないですから、やっぱり人はできるだけ良い面を見ながら生活するのがいいですね。

合掌