昨日はバララームの誕生日、一日中仕事してたんで何もできませんでしたが、家内がお寺であったご馳走の残りをとっておいてくれたんで今日の昼にいただきました。なにげなく食べてるプラサーダムですが、これをいただけるありがたさというのはきっと死ぬまで理解できないかもしれません。過去たくさんの哲学者がクリシュナを理解しようと努め、また苦行者が身をけずって悟りを開こうとしているとなりで、ただプラサーダムを食べてハレークリシュナを唱えてクリシュナのもとにいけるというのは、あまりにもへだたりがありすぎて僕の頭では消化し切れません。その簡単な「唱える」「食べる」という機会さえ捨ててしまう人もいるわけで、マーヤーの力がいかに偉大か。4,5年前 パシュパティさんというブラジルから来てた人と額縁の仕事をしてました。その兄貴も献身者でブラジルでは神像のお世話までしていた人。いったいどういう経過でそうなったか知らないけど二人そろって今では、酒とセックスに溺れてる、と兄貴の嫁さんが話してくれました。ひとこと「現代のミニ・ジャガイマダイねえ」と。