所  謂、  東  京  散  歩。 -8ページ目

所  謂、  東  京  散  歩。



世 間 に 遍 く 知 れ 渡 っ た 名 所 や、

少 し 胡 散 臭 い 好 事 家 向 き の 数 多 の 珍 ス ポ ッ ト。

倦 む こ と の な い 東 京 散 歩 の 備 忘 録 で す。

jizo

 
 大きさの揃った石塔がびっしりと並んだ
 共同墓地のようにも見えますが、
 これは全て“お地蔵様”
 上野公園の北側にある「浄名院」の
 境内を埋め尽くす“八万四千体地蔵”です。
 “八万四千”は仏教で“無数”を意味するそうで
 実際には“25,000体”程いらっしゃるとか。

 遠目には壮観な風景ですが、
 よく見るとどの“お地蔵様”も風化が激しく
 浮き彫りの輪郭が分からないほど
 ボロボロの物もたくさん。
 ※使われたのが柔らかくて加工しやすい石だったからのようです(^_^;)
 

 奉納された時のたくさんの願いを叶え、
 役目を終えたお姿だと
 理解させていただきました。
 ※現在では少しづつ並べ替えたり積み上げたりして、空いたスペースを“墓地”として分譲しているみたい(^_^)v
 


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kiba

 
 北の丸公園にある「国立近代美術館・工芸館」の近く、
 木々に囲まれヒッソリと建つ「北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王(しんのう)像」。
 と聞いても殆どの人は「誰?」レベルの知名度。
 
 しかし彼こそが幕末の時代、
「明治天皇」とは別に「北のみかど・東武天皇」として
 当時のニューヨークタイムズで紹介された人物。
 戊辰戦争で【錦の御旗】を翻す“新政府(官軍)”に対抗するため
 結成された“奥羽越列藩同盟(旧幕府軍)”が【新しいみかど】として擁立、
「今や日本は“ふたりのみかど”が存在する事態になった」と報じられています。
 ※正式に即位したとは言えないようですが・・・(^_^;)

 でもこの話は「南北朝時代」まで遡る“天皇家のタブー”のようで、
 深い検証も無いまま日本の近代史から抹消。
 今では“都市伝説”のような扱いに・・・。
 

 みんなが“チラ見”で通り過ぎる【騎馬像】ですが、
 謎めいたこんな話がもっと知られれば
 興味を持って見上げてくれる人が少しは増えるかも?
 


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giboku

 
 赤青黄色が目に痛いプラスチック製が
 あちこちの公園で増殖する中、

 何とも“わびさび”を感じる遊具を
 世田谷区の公園で見つけました。
 
 それはまるで彫刻家の作品のように、
 
職人の“擬木”の凄技によって
 巨大な倒木がリアルに表現されていました。
 
 コンクリート製だから
 “わび(質素な様)” ていても、
 簡単には“さび(古くなって朽ち果てる様)”ずに
 意外と長持ちしそうです。

 


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kyojin

 
 3敗しちゃったから
 もう「日本一」はムリかな~。
 楽天には100%勝つ【マー君】がいるからナ~。
 でも「もしかしたら・・・」と
 “奇跡”を期待しちゃうのが
 ファンの心理です。
 
 中野の「紅葉(もみじ)山公園」の地中から
 半分だけ顔を出していた巨人
 “巨人”の快進撃を信じていた彼も
 さすがに目がうつろです。
 


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kao

  
 江戸時代末期から明治3年まで
 日本に滞在したオランダの軍医「ボードワン博士」。
 戦争で荒廃した上野のお山
 大学病院を建設する話が進められていた時、
 自然が失われることを惜しみ公園作りを提案。
 これが日本で初めての公園「上野恩賜公園」誕生の
 きっかけになったとか。
 この業績を称え1973年の公園100年記念に
 公園奥のこの場所に胸像が建てられたそうです。
 
 しかし当時設置された「ボードワン博士」の胸像は
 顔全体を覆う立派なヒゲでハゲ頭・・・。
 実はボードワン家の子孫が博士の“弟”の写真を
 間違えて彫刻家に渡してしまった事で起きた
 冗談のような大失態。
 
 やっと今の正しいお顔の胸像に
 差し替えられたのは33年後の2006年。
 “ヒゲ”で“ハゲ”で
 見るからに年上顔の“弟”の像は現在、
 ゆかりがあった「神戸ポートアイランド」の公園に
 建てられているそうです。

 

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16hon

 
 整然と並んで建つ真っ赤な16本の鉄柱。
 ※後の「白い柱」は“中央清掃工場”の煙突で、双子のビルは東京で最高層(地上58階)のマンション(^_^)v

 これは建設中の建物なんかじゃなく
 1991年に制作された“オブジェ”。
 の下にはそれぞれ
「言葉 雨 混交 理解 旅行者 息 選択 骨 記憶 都市 声 物語 気象 距離 認識 経験」と
 謎の“言葉”が刻印された金属のプレートが付いています。

 ここは「晴海客船ターミナル」の正面広場。
 
殺風景な空き地が広がる「晴海」の先端ですが、

 7年後の2020年には“東京オリンピック”の選手村ができて
 東京のどこよりも景観が激変するであろう場所。
 
 世界中から集まるたくさんの人の中の誰かが、
 この柱の【謎の暗号】を解読してくれるかも!
 ワクワク!!
 


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HOTEI

 
 全区間が暗渠化されている「桃園川」。
 杉並区から中野区と新宿区の境まで続くその流れの上は、
 現在「桃園川緑地」という“遊歩道”になっています。
 そんな川沿いの道に立っていた、
 顔に満面の笑みを浮かべた『布袋(ほてい)様』。
 ※地元の社長さんが「商売繁盛・家内安全」を願って戦前に建立したそうです('-^*)/
 
 宝船に乗る『七福神』のお一人として超有名ですが、
 他の6人と違って彼だけは
 中国(唐の時代)に実在した人物だとか。
 ちゃんと立派な本名がある仏僧でしたが、
 いつも布袋(ぬのぶくろ)を背負っていたことから
 まんま『布袋』の愛称が定着しちゃったみたい。

 このマストアイテムの名称は“堪忍袋”。
 “緒”が切れて怒り狂う
 恐いお顔の『布袋様』だけは
 絶対に見たくありません・・・。
 ※普段とのギャップが大きすぎて、考えるだけでも怖ろしい・・・(iДi)
 


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matsu

 
 東京都の東の端を流れる「江戸川」の
 堤防下にある真言宗のお寺「善養寺」。
 このお寺は『影向(ようごう)の松』と呼ばれる
 樹齢推定600年の「クロマツ」で有名です。
 幹の周囲は4.85m・高さは7mですが、
 その枝は東西に30m・南北28mにまで伸び
 広大な境内を覆い尽くしていました。
 

 70年代後半にこの大きさを誇るため住職が
【日本一の松】という看板を門前に立てました。
 しかしこれを見た香川県出身のタクシー運転手から
「自分の出身地の『岡野マツ(樹齢550~600年・枝張り約33m)』が日本一だ~!」と
 クレームを付けられたことから、
 両者が一歩もゆずらない【日本一の松】の争いが勃発します。
 ※『岡野マツ』は江戸時代の発明家「平賀源内」の旧家の向かいにあり、少年時代の源内はこの木によく登って遊んだとか・・・(@_@)
 
 一年あまりも続いた引くに引けない論争を見かねて仲裁に入ったのが
 法要でこの寺を訪れた立行司「木村庄之助」。
 地元出身で当時の日本相撲協会理事長「春日野親方」の後押しもあり、
「どちらも日本一につき、双方引き分け~」との“名裁き”でこの争いは終結します。
 そして2本の松はそれぞれ【日本名松番付】の
 “東西の横綱”に推挙されたとか。
 
 しかし『岡野マツ』は1993年に惜しくも枯れてしまい、
 それから『影向の松』の不動の“一人横綱”が
 ずっと続いているようです。
 ※2011年には“国の天然記念物”にも指定されています( ゚ ▽ ゚ )
 


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waGA

 
  大きな木彫の2本の手。
  よく見ると左の方が少しごつく大きくて・・・。
  男性が女性に「輪」を渡しているの?
  
「指輪」じゃ無いし
「ブレスレット」でも大きすぎ。
「首輪」じゃ頭が通りそうにありません・・・。
 
 このサイズは、
 もしかして『天使の輪』?
 
 聖ルカ(St.Lukes)から名をとった
 キリスト教系「聖路加(せいるか)国際病院」の
 玄関前に置かれていました。
 彫刻家で多摩美術大学教授・竹田光幸氏の作品、
 タイトルは 『永遠~愛~天空に語らう』。
 


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koushin

 
 体内(頭・腹・足の三カ所)に住む「三尸(さんし)」という虫が
 寝ている間に体を抜け出し天に昇り
 “閻魔様”にその人の日頃の悪事を密告する、
 そんな不思議なことが起こるのが
 60日ごとにやってくる「庚申の日」の夜。
 密告された人は寿命を短くされるとか・・・。

 そこで「虫」が抜け出さないように皆で集まり
 夜を徹して過酷な宴会を行う『庚申待』という風習が
 江戸時代盛んに行われたようです。
 この“徹夜宴会”を3年18回続けた記念に
 建立されたのが写真のような「庚申塔」。
 ※屋根を付けて大切に保存されていた「田道(でんどう)庚申塔群」。右端はお地蔵様で、左の6本が庚申塔(^O^)/
  
  
 若いうちは楽しいかもしれませんが、
 オッサンの私なんかが徹夜の宴会などしたら
 次の日は全く使い物にならず
 寿命も確実に短くなりそうな・・・。
 ※本日(2013年10月21日)はその「庚申の日」! 体力・気力に自信のある人は是非「庚申待」に挑戦してみて~\(゜▽ ゜)/
  


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