火事のあった夜から3日後。

仮宿舎のK旅館から新しい合宿所に移転した。

旧合宿所から徒歩で7,8分、元は宴会の出来る和食レストランといったところか?
鉄骨3階建ての建物で、一階は椅子のある食堂、2階と3階は畳の広間で以前の合宿所よりも新しく広々としている。

日中は多数の訓練生はヨットの訓練に出るが、一部の数名は交代で火事の瓦礫の片づけをしていた。

その日瓦礫の片づけをしていた3つ年上のM。
ここでの序列は”入稿日”が基準であり、1日でも入校が早ければたとえ相手が小学生であろうが先輩とみなし後輩は敬語を使う。逆に後から来た者に対しては、相手がどれだけ年上であろうと上から口調が当たり前だった。Mは1週間ほど遅れてきたので後輩である。
「おい、Mなんかいい事あったんか?」妙に嬉しそうなM。
「ええ、実はですね、昼間瓦礫の片づけをしていたらね。」「ボソボソ・・」と耳打ちするM。
「えッ!マジかよ!」
「はい。」

Mによると瓦礫の片づけをしているとき1万円札を1枚拾ったらしいのである。

ジャージのゴムの穴に細く丸めて入れてあるとの事だ。この1万円が後に役に立つのである。

衣類等、ほぼ全ての物は全焼したので、各々の家庭から更に衣類等が送られてきた。

我々訓練生に一々聞かされることも無かったが、今回の火事の原因はコーチのたばこの火の不始末という事で片付けられていたらしい。世間では。

その日の夜から訓練生は3階、コーチ陣は2階に寝泊まりする形になったのだが、数名の生徒がいない。
しかも、下の階からは、竹刀で叩かれる音や悲鳴が聞こえてくる。
「おい、なんかあったんか?」一人に聞く。
「ようわからんけど、どうもあの火事な放火だったらしいんや。そんでな、火元の付近に寝ていた奴ら全員呼ばれてシバかれとるようや。」
結局その夜、何人かは戻ってきたが、S、I、Nの三人だけは戻ってこなかった。
それから5日ほど殆ど食事も与えられることなく、叩かれるか、立ったまま縛り付けられるかの状態といった拷問が3人への行われた。

たまに2階へ呼ばれ、何度か彼らを目にしたが、見るも無残な姿であった。

ここに来て様々なしごきや拷問を目の前にしてきたが、全身ボロボロになって生気を失った死人のよう彼らの表情、あれほど悲惨で恐ろしい光景は目にしたことが無かった。

6日目だったか、IとNの二人が戻ってきたのは。ついにSが自白したらしい。
放火の犯人はSっだったのか?

Sは元々てんかん持ちで、夜中に発作で何度か起こされた事もあったが、この数日間大丈夫だったのか?この後の更なるしごきに耐えられるのか?
そんな心配をよそに事態は思わぬ展開に発展していった。