クロスロード

息を飲む観客、17歳のミドリちゃんは一生懸命にバランスをとり前へ進むしかない、後戻りはできない、失敗すれば真逆さま、やるっきゃない。

 

 

わかりますか?

彼女の姿は、あなたたちのそのものなんですよ。

意識していないでしょう

 

 

 

1.   豊さの実感

 

豊かさを増やすために作った仕組みが、いつの間にかわれわれ人間に「落ちないように走り続けること」を要求する仕組みになっていませんか?

 

より良い生活のための便利さや豊富な商品、快適な住まい、高度な医療、それにより高度な教育の機会を手にいれ続けるために走らされている実感を皆さんは持っていますか?

 

豊かさを増やすために作られたはずの社会の仕組みが、いつの間にか、みなさんに「落ちないように走り続けること」を要求する仕組みに変わっているを

ご存知ですか?

気がついていましたか?

 

ミドリちゃんも落ちないためには進まなければならない
進み続けるためには、さらに

バランスを取らなければならない

後戻りはできないのです

 

世の中の親御さんは、自分たちの子供たちにはさらに豊かな生活を送らせてやりたいと思っているはずです。だからこそ受験戦争や就職難も起きるのです。

 

高等教育は、人々を豊かにするために広がりました。
しかし、それが大衆化すると、「高等教育を受けたか」では人を選別できなくなります。すると、社会は新しい選別基準を求め始めます。より良い大学へ。より高い学位へ。より多くの資格へ。みんなが一段上がるたびに、ゴールもまた一段上がっていくのです。

 

落ちたくない、だから渡り続ける

向こう側にはきっと何かがあると思っている

 

ところが、いつの間にか「向こうへ行く」ことより、落ちないこと自体が人生の目的になる。

 

でもあなたは立ち止まり、考える勇気がありますか?

 

 

2.    手綱のない自由化のはじまり

 

 

フリードリヒ・ハイエク(Friedrich Hayek)は、1944年の『隷従への道(The Road to Serfdom)』で、国家による中央集権的な経済計画が個人の自由を侵食する危険を説いた。その後の研究を含め、彼は社会に分散した情報を価格を通じて調整する市場の機能を重視した。

その思想をさらに経済政策の世界へ展開した代表的人物の一人が、ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)である。

やがて、規制緩和、民営化、自由市場、小さな政府といった考え方が政策として具体化されていく。英国ではマーガレット・サッチャー、米国ではロナルド・レーガンの政権期に、こうした市場重視の政策が大きな影響力を持つようになった。

同じ時代、企業経営の世界でも変化が進んだ。企業は誰のために存在するのか。株主価値を重視する経営が大きな影響力を持つようになり、その時代を象徴する経営者の一人がGEのジャック・ウェルチだった。こうして、政治では市場競争を、企業では株主価値を重視する潮流が強まっていった。

 

1980年代、1990年代を通して新自由主義は、規制緩和や金融・資本移動の自由化を唱え、企業は最大利益を求めて軽々と国の垣根を越えはじめた。その結果、資本の移動が活発化し、貿易の規模も拡大した。現代のグローバリゼーションが一気に加速し始めたのだ。

その成功を目の当たりにした企業群は、我も我もと後に続いた。市場競争は激化し、企業は生き残りをかけた大競争時代へと突入する。そして、みるみるうちに世界をまたぐサプライチェーンが構築されていった。

 

2005年ごろ、私はトヨタ攻略のために北米やEUを駆け回っていました。そのころにはグローバリゼーションは、もはや経済用語として説明されるものではなく、私自身が毎日の仕事の中で実感する時代となっていました。

 

3.   自律的な自走式GAME

 

 

企業は、「人間が経営する組織」として捉えるのは一面的です。手綱が取り払われた現在では、企業を自己保存しながら成長しようとする生命体として理解する時代になったのかもしれない。

グローバル企業の悪い側面がクローズアップされることがあるが、経営者個人に悪意がなくても、ゲームの仕組みがそういう行動を誘発しうるということを理解いただきたい。企業を一度生命体に置き換えて考えると興味深いです。

 

  • 雇われ経営者=頭脳
  • 利益=栄養
  • 市場=生息域
  • M&A=捕食・巨大化
  • 海外進出=生息域の拡大
  • サプライチェーン=血管
  • 人材=細胞
  • KPI=生命維持のシグナル

 

利益が減れば、生物は危険を感じる。競争相手が成長すれば、自分も成長しようとする。安い労働力や資源が別の地域にあるならば、そこへ移動する。

 

そしてこのゲームの恐ろしいところは、企業には自然界の生物と違って「もう十分大きくなった」という本能という制御システムがほとんど組み込まれていないことなんです。

前年100なら今年110。110になれば、来年は120。

「100で十分幸せです」と言った瞬間、資本市場や競争相手から圧力を受けることもある。

止まることができないゲームなのです。

 

「発想した当人たちも想定していないところへ行き始めてしまった」のです。

 

後年、皮肉にもジャック・ウェルチ自身が最高経営責任者(CEO)時代に牽引し、世界中の経営者が模倣した株主価値を企業経営の直接的な目標として追求すること警鐘を鳴らすことになったのです。

 

「株主価値の最大化は企業の直接的な目標(ゴール)ではなく、結果としてついてくるものだ」これは短期主義(ショートターミズム)への危惧を述べたもので、株主価値の最大化」を第一の目標に掲げてしまうと、経営陣の評価や報酬が目先の株価に直結しやすくなります。その結果、企業が短期的な利益操作に走る弊害を招いたことを認め、これを問題視したのです。

 

しかし、ウェルチがそう語ったからといって、このゲームが終わったわけではありません。

四半期業績、株価、経営者報酬、機関投資家の評価、M&A——それぞれが互いを強化し、企業にさらなる成長を要求する。

ルールのないゲームなどありません。しかし、このゲームのルールは誰が決めたのでしょうか。

誰かが秘密のルールブックを書いたといっているわけではない。誰も設計していないのに、参加者全員の行動の積み重ねから、いつの間にか見えないルールが形成されていったのではないのだろうか。

株価を落としたくない。競争相手に負けたくない。前年を下回れない。投資家の期待を裏切れない。経営者報酬も業績に連動する。四半期の数字も出さなければならない。ひとつひとつには理由がある。しかし、それらが絡み合うと、誰も決めていないのに、誰も逆らいにくいルールができあがる。これがこのゲームを動かしている「裏ルール」なのかもしれません。

 

雇われ経営者には任期がある。
でもGameには任期がない。

Game Keeperである雇われ経営者は交代する。
しかしGameは走り続ける。

そのためGame Keeperは、自分がKeeperである期間に成果を示すことを求められる。
それが、ときに組織に大きな無理をさせる要因となる。

 

 

 

 

 

4.    世界が自転車屋になった

グローバル企業は、ものづくりにおいてより大きな利益を求め、自ら国境を越えていった。そして、世界各地の生産拠点、部品メーカー、物流網をつなぎ、一大グローバル・サプライチェーンを構築していった。

特に1990年代以降、自動車OEMや家電メーカーが製品を機能単位・部品単位に分解し、標準化されたインターフェースで組み合わせる方向へ進んだことが、国境をまたいだ分業をやりやすくしました。そして並行して貿易・資本移動の自由化、物流・コンテナ輸送、通信技術、低コスト生産拠点などと一緒になって進んだことも重大なポイントである。

 

それまでの「一つの会社、一つの工場の中で作る」という生産形態から、製品を分解する → モジュール化する → 各モジュールを最適な企業・地域から調達する → 最後に統合するという生産形態への転換が進んだのである。

自動車産業ではOEMを頂点としてTier 1、Tier 2へと供給網が広がり、家電・電子機器産業ではEMSやODMの活用も拡大した。

企業は、もはやすべてを自分で作る必要がなくなった。

そして世界中で、人々がその拠点と拠点を一つずつつないでいった。

 

変わっていったのは、企業だけではなかった。
かつて日本で一緒に汗を流していた代理店の営業マンたちも、いつの間にかアジア各国へ赴任するようになっていた。中国では、知り合いの物流会社の人間が汗を流しながら、新しい物流網を構築していた。

グローバリゼーションとは、地図の上に引かれた矢印ではない。
こうして世界中の生産拠点、部品メーカー、物流網が次々とつながり、巨大なグローバル・サプライチェーンが出来上がっていった。

 

しかし――
チェーンは、つなげるもの。
つなげたものは、外れる。
そして、切れることもある。

そしてチェーンは、放っておけばいいものではない。
ときどき潤滑油を差さなければならない。

 

 

在庫、余力、複数調達先、長期的な取引関係、情報共有、

そして人間同士の信頼が潤滑油

 

 

当初、海外生産に必要な部品は日本から送っていた。
しかし、海外での生産量が増えるにつれて、それでは立ち行かなくなっていった。
コスト、納期、在庫、物流、為替——。
ローカライゼーションするしかなかったのである。

すると今度は、部品メーカーが海外へ出ていく。代理店の営業マンもアジア各国へ赴任する。物流会社は現地で新しい物流網を構築する。

完成品メーカーだけがグローバル化したのではない。
その後ろにつながる人々まで、国境を越え始めたのである。

 

海外へ動いていったのは、生産設備や部品だけではなかった。
当時、アメリカの設計者たちまで、金型の打ち合わせのために中国へ出張してきていた。

図面はアメリカ、金型は中国、部品は別の国、そして組立はまた別の国。

世界中の人間が飛行機に乗り、工場を訪ね、図面を広げ、打ち合わせを重ねながら、一つの製品を作るようになっていったのである。

効率を最大化したシステムは、
必ずしも強靱なシステムではない。

つながるのは、便利さだけではなかったのです。

障害も、危機も、つながっていた。

 

チェーンは、つなげたもの。
つなげたものは、外れる。

そして、一か所が外れれば、
つながったその先にあるものまで動かなくなるリスクも孕んでいる。

 

 

 

 

私たちは「効率」をつないだつもりで、

同時に「リスク」まで背負い込んだのである

 

 

 

 

 

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5.    エネーブラー(Enabler)部品・技術が

産業の要となる時代

※   本書では、産業や技術革新を可能にする基幹部品・基盤技術を「エネーブラー(Enabler)部品・             技術」と呼ぶ。

 

世の中は、今まで「完成品を作る企業」が価値の中心でした。ところが製品がモジュール化され、サプライチェーンが世界中に分散すると、完成品そのものよりも、代替困難なエネーブラー部品・技術を握る企業へ価値の重心が移っていきつつある。

 

エネーブラー(Enabler)部品・技術は、一朝一夕に生まれるものではない。
企業が長い年月をかけて研究開発を続け、莫大な資金を投入し、数え切れない失敗を繰り返しながら蓄積してきた技術なのである。

工場は建てられる。
最新の設備も買うことができる。
優秀な技術者を集めることもできる。

しかし、企業が30年かけて蓄積した「30年」は、金で買うことができない。

 

エネーブラー(Enabler)部品・技術の競争力は、特許や設備だけにあるのではない。長年の研究開発と量産の過程で蓄積された暗黙知にある。

設備は買える。図面も手に入る。人材を集めることもできる。
しかし、企業が30年かけて蓄積した「30年」は買うことができない。

私も実際に、ヒト、モノ、カネをつぎ込み、最新鋭の設備を揃えたにもかかわらず、精度の高い製品を作ることができず、顧客からローカライゼーションの認証を受けられなかった事例を数多く見てきた。

Enabler技術の強さは、特許や図面に書かれた「形式知」だけでは説明できない。長年の開発と量産の中で、**「この条件ならうまくいく」「この微妙な変化は危ない」「この材料は数字上同じでも挙動が違う」**という、文章や図面には完全には落とし込めない知識が組織の中に蓄積されていく。 それが、容易には模倣できない強さを生むのである。

 

暗黙知は「成功の記憶」だけではない。失敗の記憶でもある。

 

何をすれば成功するかを知っているだけではない
何をしてはいけないかを知っている

その工場に足りなかったのは設備ではない
蓄積された時間だった

 

 

最新設備を買った新工場は、成功条件を図面や仕様書から移植できても、古い工場が何十年もかけて経験した何千回もの「失敗」を持っていない。結局、コストとして処理されていた人材が持つ暗黙知がようやく再評価される時代になってきたのかもしれない。

 

人間は、本当にコストだったのでしょうか?

 

 

誰も、いまの世界を設計したわけではない。

 

人間が仕組みを作った。
仕組みが動き始めた。
やがて仕組みが人間の行動を規定し始めた。

 

 

6.    手綱を取りもどす自由化のはじまり

 

世界は、手綱のない自由をもとめて彷徨いだした

もっと自由に、もっとお金持ちに、もっと幸せにと

願ったのに、理想の世界はどこへ

私たちは、いったい何から自由になりたかったのだろう

 

自由を誇ってきた国でさえ、人々は言葉を選び、ときに口をつぐむ。

 

自由は「自己責任」に、

豊かさは「数字」に、

幸福は「競争に勝つこと」に置き換わってしまった。

 

そして自由を求めたはずの社会は、いつしか互いを監視し、評価する社会へと姿を変えた。

誰かに口を塞がれる前に、自分で口を閉ざす。

 

オオカミは一匹ではない。
政治にもいる。企業にもいる。市場にもいる。
そして、ときには私たち自身の中にもいる。

勝たなければならない。
遅れれば負ける。
相手より先に行かなければならない。

そう考え始めた瞬間、私たちは知らないうちにオオカミの群れに加わっているのかもしれない。

 

オオカミたちにとって一番都合が悪いのは、人々が
「隣にいる人は本当に敵なのか?」
と気づくこと。

そして、「私は何のために走り続けているのだろう」と問い始めること。

走るのをやめろ、ではない。


何のために走るのかを、自分で決め直すことが大事なんだ

 

 

7.    そして、これから目指すこと

 

企業という生命体を変えようとするなら、経営者に善意を求めるだけでは足りない。ゲームの裏ルールそのものを変えなければならない。

経営者が善人であるか、悪人であるかという話ではない。
利益を上げた者が評価され、株価を上げた者が評価され、コストを削減した者が評価されるゲームならば、企業はそのルールに適応していく。

企業という生命体は、与えられた環境の中で生き残ろうとするからだ。

ならば、企業を責め続けるだけでは何も変わらない。
企業が生き残るために選ぶ行動そのものが変わるように、ゲームの裏ルールを変える必要がある。

 

🟢  希望が持てる事例

 

ずっと暗い話だけではない、企業の中からも声が聞こえ始めています。

待てよ。本当に、もっと速く走らなければならないのか。
本当に、利益だけを増やし続けなければならないのか。
環境や人間に負わせてきたコストを、このまま外に押し出し続けてよいのか。

 

Patagoniaは、2022年に創業者一族が所有構造そのものを変更し、議決権株式を企業理念を守る信託へ、経済的価値を持つ株式の大部分を環境保護などに使う非営利組織へ移しました。現在も営利企業ですが、余剰利益を環境危機への対応などに振り向ける構造です。つまり、経営者の善意だけではなく、会社が暴走しにくいよう「檻」そのものを作り直したとも読めます。

 

Microsoftは、2012年から社内に炭素価格を設定し、各事業部に自分たちが排出したCO₂のコストを実際に負担させています。これはまさに、私たちが話していた**「社会に押しつけていたコストを企業の中へ戻す」**試みです。

 

 

 

 

自分で行き先を選び、自分の意志で走る私たち。(We will keep running.)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

—FIN—

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪魔と契約する者もいる。でもぼくはOld Route 66を行く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Produced by Dan-san (Shin-ichi Suzuki)
with AI Production Crew
Supported by the Midori-chan Fan Club