開国を断行した大老井伊直弼が尊王攘夷思想を持つ水戸浪士によって殺害された桜田門外の変は、

幕府の終焉と明治維新を導く大きな転機となった。

奇しくも攘夷と開国という巨大な力の間で窮地に追い込まれたのが水戸藩主徳川斉昭を叔父に持ち、井伊直弼の娘の弥千代を正妻とした第11代藩主松平頼聡であった。

高松藩勘定奉行の家に生まれた武営は、こうした幕末維新の艱難の中で士魂を鍛錬され、

維新後、廃藩置県により設置されたばかりの高松県の地方官吏として出発するー。

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石井裕晶さんの本「中野武営」の第一章「生い立ちから中央へ」に書かれた最初のページです。

本文に武営さんの生まれた時の時代背景について触れています。

水戸と血縁上のつながりのある親藩の高松松平家は、江戸城での詰所が御三家に次ぐ「黒書院溜間詰」の大名で、

代々将軍から直接諮問を受ける要職にありました。

そして江戸時代末期の第10代藩主の松平頼胤の時代は、将軍の娘を正妻に迎え、

嗣子頼聡は井伊直弼の次女弥千代姫を正室に迎え、

高松松平家は幕府の中枢として重責を担っていました。

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しかし、その高松松平家は幕末の混乱で何度となく大きな危機に陥ります。

藩の勘定奉行だった武営さんのお父さんは対応に追われ大変だったと思います💦💦

武営さんのお父さんはどんな事態になっても必死でお殿様を支え、

出来得る限りの力を振り絞り混乱の幕末明治を生き抜いた人です✨✨

そんな世の中を見て育った武営さん。

その目に映った景色は将来に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう!

その武営さんが子供の頃から尊敬する人は、開国し列強諸国から日本を命がけで守ろうとした「大老井伊直弼」でした。

 

高松市HP「高松城(玉藻公園)」