ズートピア、シンゴジラ、君の名は、、、幾度となく俺は「いくいく詐欺」を繰り広げてきたんですけど、流石にこれ以上詐欺師へ突っ走るのはまずいと思い、なんとか見ることができました。というのは置いておいて、本当に見たかった映画『何者』。
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理香の部屋を「就活対策本部」として
定期的に集まる5人。
それぞれが抱く思いが複雑に交錯し、
徐々に人間関係が変化していく。
「私、内定もらった…。」
やがて「裏切り者」が現れたとき、
これまで抑えられていた妬み、
本音が露になっていく。
人として誰が一番価値があるのか?
そして自分はいったい「何者」なのか?
(公式サイトより)
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ということで、「就活」をテーマにした人間ドラマ。
いわゆる、大学生の「就活の時期」というのは、否応無しに自分の人生について一度向き合う必要がある時期。
今までやってたバンドをやめて就活を始めるのか、それともバンドを続けるのか。
演劇を続けるのか、それとも関係のない職種へ就活をするのか。
5人それぞれの思惑が交じり合いながら、就職対策本部と称して、理香(二階堂ふみ)の部屋に集まる。
大衆性はない。ある人にとっては強烈なリアリティを持つ映画となり、また別の人はまったくのファンタジー性を感じるのかもしれない。
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この映画の見所は、何と言っても「他人へのマウンティング」がことごとく表しているところ。それに乗じた「人間の弱さ」も表現されてる。
しかもそれの中心が「ツイッター」なのである。
「他人へのマウンティング」を「陰口」としてない点については後述しようかなと。
例えば、主人公(佐藤健)が親友(菅田将暉)のライブに観にいく。
親友はそのライブの「宣伝ツイート」をしたりする。
それに対し、
「もう就活の時期なのに、まだ夢からさめてないようだ。今本当にやるべき事を考えた時、何をするべきなのは明らかに分かるのに。就活を始めたとしても苦労するだろう」
みたいなツイートを裏垢でする。
それのライブを見てる客の「ライブ行ってきた〜!楽しかった〜☆」みたいな写真付きツイートに対しても、
「ライブ行ってきたことを他人に周知させないと、まるで自分が認められてないように感じる人がする行為。厳しい」とする。
就活対策本部の5人組に対しても。その中には理香と理香の彼氏がいる。2人はコンビニに行くが、その間も2人は別々のことをツイートする。
それに対し、主人公は「あいつら2人で過ごしてんのにツイッターで呟いてんぞ。2人でいる意味まるで無いよなこれ」とする。
他にも「ツイッターで身内と絡むならLINEでやれよ、周りに見せたいんだろうね。」とか多数。
これを「陰口」としないのは、主人公にとってはその発言は「圧倒的正論」となっているからである。「言いたいことを言っている」から、ノーダメージなのである。そういうことでの「マウンティング」。
実際普段の就活に対してのアプローチも、非常に論理的(のように見える)で、周りからの評価も「すごい分析力の持つ人」とされている。その評価が、さらに自分をマウンティングするよう背中を押している。
ちなみにここですでに主人公の弱さも出ている。
主人公が親友のライブに観に言った理由は、親友の宣伝ツイートに、主人公が好きな人が「行きます!」とリプライしてたから。
「ライブで偶然出会った」とすれば、痛くも痒くもない。
ここまでみると、主人公がマウンティングをする映画のように見えるかもしれないが、そういうわけでは無い。
理香の彼氏はこんなことを言う。
「今は個人の時代だろう?みんな個人を活かすとかいってさ、そのくせ歯車として社会に入るんだろ?矛盾してると思わないか?就活なんてする必要無いんだよ。俺は1人で仕事見つけてくるよ、クリエイターとしてね」みたいな。
4人がESやらなんやらに取り組んでいるときに。「みんな、まだ就活なんて縛られた考えでやってるの?」というマウンティング。
理香も「あっ、ワインあるんだ!留学してる時のホストファミリーからもらったんだ〜みんなに振る舞うよ!」と外に出て行く。
それに対し親友は残りの人に「ねえ、聞いた?ホストファミリーだって笑、そこ言う必要あるか?笑どっかでそういうアピールしていかないと気が済まないんだろうなー笑」。
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つまり、誰しもがマウンティングをしてしまっているのである。この時点で、「自分にもそう言うところあるな」と胸が痛くなるひとはいるでしょう。
ただ1人、違う人がいる。それが主人公。
主人公は「マウンティングとかしないんで僕。」みたいな振る舞いをする。(一番するのに)
周りと違ってマウンティングとかするやつじゃ無いんで僕。というマウンティングをするのである。そういう事をする人は「弱い人」だとわかってるから。「弱い所」は見せたく無い。
だから裏垢でつぶやく。つぶやく。
徐々に、話が進み、内定がもらえる人も出てくる。
内定が出ない主人公。個人的にかなりポイントなのは、親友が「お前はそんなに色々物事考えれるやつなのに内定もらえない理由がわからない」と。
人は心を隠せば、親友でも本心はわからないものなのだ。「親友は双方向とは限らない」という話にもなる。
親友は、まさか親友の内定先を主人公が「会社名 2ちゃんねる 評価」なんて調べるとは思ってもいないのである。それをネタにして、またつぶやく。
親友は続ける。「内定がもらっただけで話が広がったりする。楽器が弾けるだけで話かけられる。それは俺じゃなくてもいる。俺って何なのだろう」みたいな
「何者?」となる。
主人公だってそれはわからなくなってる。だって、ホントのジブンは、他人の粗探しをしてマウンティングするだけだから。
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後半は思いもよらぬ出来事で、主人公のボロが崩れたりする。いや全員のボロが崩れる。
そうじゃなく、ボロなんてはじめからなかったとも言える。自分はバレてないと思ってないだけだったのである。
皆さんは裏垢とかはありますか。あるいは裏垢ではなくても普通に、他人についてあーだこーだ思った事を書き留めてる場所はありますか。
それは「他人に見えない所でやってるからバレてない」とか思ってませんか。それ、バレてますよ。気を抜いたときに態度で出てますよ。
1人にバレたら共有されてますよ。よくあなただってしてますよね。それをされてるだけです。
何で悪口を書く場所にフォロワーが必要なんですか。例えそれが悪口でも、「あーそれわかるー!」とされたいのでは?なんだかんだファボが欲しいんじゃ無いんですか。ファボなんてどうでもいいと言いつつも。
そんな事実が、津波のように押し寄せてくる。「自分の見られたく無い姿」をまじまじと見せられてるようで、嫌悪感を抱く人も少なくないでしょう。「もうやめてええ」となる人も。
ここから5人がそれぞれ動いていく。後半は是非劇場で。
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トータルめちゃくちゃ面白かったです。ただ、中には途中で退出した人とかいるらしいですね。「現実」を見てられなかったのでしょう。
個人的によかった点を
「就活」というのは一般的に、ある種の「演劇的な」要素を持つ通過儀礼のような気が。
自分の体験エピソードを超美化して話したり、時には自分の本心ではないことを話してみたり。
つまり、「就活ではその人がどんな人か(何者か)」わからないというのが一般的にある気がします。
そんな就活を舞台にしながら、それに取り巻く人間模様を描くことで、「本心である人間の弱い部分」、つまり「その人が何者か」強烈に描いてるところがよかったです。
あんまりでも覚えてないのでまた見に行くかも…、、
非常に見る人によっては胸糞ですが、とても良いです。是非。
一旦終わり 言いたいことを全然まとめれてないので取り急ぎでした。またやります
〜〜こっから明らかなネタバレ注意〜〜
……と、僕がこのブログで「何者」に対して、「あいつはこういう弱いところがある」とか書くことが、もはやマウンティングなのではないか?という疑問がありますね。
この映画、何がやらしいって、後半に「何者の映画を見てる観客」が映るんですよ。
つまり、僕が映画に移るんです。
これによって、「映画に出てくるキャラに対してあーだこーだ言う俺もまたどこかで見られる」という構図になります。
いや、俺マウンティングとかしてないし。っていう主人公がマウンティングしてるやんけー!という俺のマウンティングも対象化されてしまっている。
1つの感想もマウンティングになってしまうのでしょうか。じゃあ僕らは何も話さない方がいいのでしょうか。それのヒントは映画を観れば少しわかるかもしれません…。
このブログの感想、いわゆる「俺の映画感想の感想
」も同じ構図なんですね。
ヤラシイ映画でした。