「サンタさんはほんとうにいる」
から
「サンタさんは親だった」
となる瞬間は、サンタの風習をこなしていた家庭にならどこでも向き合わないといけない問題だと思う。
前の日の夜に、ほしいものを伝えると次の日それがプレゼント、サンタさんの贈り物として枕元にあったりする。
「サンタは煙突からくるんだよ」とか「うちはマンションだから窓からくるんだろうね」とか、色々なことを聞かされる。
そのひとつひとつに、「サンタってめちゃくちゃすごい!」と、めちゃワクワクしていたことを思い出す。
〜〜
「サンタはいなくて、プレゼントは親が置いていた」という事実を知ったのは、小学四年生だった。
当時通ってたクラスの人たちと比べたら、この事実を知るのは遅いほうだった。
むしろ、当時のクラスの雰囲気は「まだサンタなんか信じてんのかよ!w」みたいな感じ。
その雰囲気はものすごく自分にとって衝撃的だった。サンタ=親 なんてそれまで考えたことなかったから。
学校が終わってその日の夜、勇気を出して親に「サンタ=親」疑惑を聞いてみた。
当然、親はその疑惑は真実だと伝えた。
めっちゃ泣いたのを覚えている。
親はそんな俺をみて「サンタさんはでもフィンランドとかヨーロッパの方には本当にいるんだよ!!」
とか「でもせっかくだし今年もサンタさんの行事はしようか」
とかとか言って慰めてた。
〜〜
普段から全く泣かない人だったから、親も少し驚いた様子で、必死に慰めていた。
親はそもそも俺が泣いている理由がわかってないと、小4ながらに思った。
親は「サンタさんという夢溢れたファンタジーな世界が、実は作られたものと知ってショックを受けてる」が泣いてる理由だと思ってる。
だから、実はサンタさんは本当にいるんだよとか話したりしてショックを和らげようとしていたんだと思う。「その夢の世界はどこかにはあるんだよ。」
これはあるあるな話ですよね。わかりやすくいうと、サンタさんの正体知ってショックやわー。って感じで。
でも俺が悲しんだ理由は
「サンタさんのようなファンタジー溢れた夢物語を見せるためには、たとえ息子相手にでも親は平気で嘘をつく」
ここなんですよね。
確かに、この事例でいくと、この場合の嘘は究極の「嘘も方便」なのかもしれない。
でも当時の自分は、親というのは、嘘をつかないで真っ直ぐに子供に対して怒ったり、お話ししたり、コミュニケーションを取るものだと思ってた。
そんな自分の価値観が思いっきり崩れたショックがでかかった。
どうであれ、親は子に嘘をついてる。
きっとこれから先も、「嘘も方便」なシチュエーションでは、この人は嘘をつくんだろうな。と思った。
人の言葉に距離を取るようになったのは明らかにこの頃からだった。特に目上の人。親、先生とか。
まあだからって、幼稚園の頃から「サンタさんという存在が、クリスマスにプレゼントを届けにくる風習があるんだけど、それは親がサプライズで企画していて…」とかちゃんと説明してほしい人生だった…とかいうわけでもなくて。
でもこれはこの話題に限った話でもない気がしてて。よく思い出したりするのです。嘘をつくことの、善悪の中で綱引きし合うダイナミズムというか。むずかしい。
おわり