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けんけんパー

雑談をする場所です。




チェブラーシカ。

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ロシア生まれのちょっと変わったアニメーション。日本ではとても好評で、色々な権利問題をクリアした後、日本人が中心のスタッフとなって映画版を製作し、公開してたりもする。


そんなわけで、知っている人も多いでしょう。

 

普通にキャラクターの可愛さとかで全然楽しめるアニメーション。





〜〜

今回はまず第1話について少しばかり。




ワニのゲーナは、友達がいなかった。1人で遊ぶのにも飽きがきたのか、友達を作る決心をし、「友達募集中」の紙をいろんなところにばらまく。



そこでゲーナの家に来てくれたのがチェブラーシカ。チェブラーシカも友達がいなかった。いないどころか、見たこともない動物であることから、周りからハブられていた。ゲーナはそんなチェブラーシカも快く受け入れ、2人(2匹よりこっちのほうがしっくりくるので2人で。)はすぐに仲良くなった。




2人は「友達がいなくて寂しい」という共通のものがあったことから、仲良くなったわけだが、「こんな人たちが他にもいるのではないか」と思い始める。



そこで、「友達の家」というものを作ることにした。友達がいない人が自由に集まって、そこで友達を作ればいいのではないか⁉︎という計画。



早速「友達の家」を作り始めると、「実は僕も友達がいなくて…だから手伝うよ!」といった感じで、どんどん友達がいない人たちが多く集まり、みんなが「友達の家」完成に向けて手伝ってくれる。ハートフルな世界。



そうしてあっという間に完成した「友達の家」。みんなで完成パーティを開催し、完成を祝った。





ただ、1つ興味深いことがここで起きる。




誰も「友達の家」に入らないのだ。せっかく作ったのに。チェブラーシカもこれには驚いた様子。




結局「友達の家」は、誰も来ることなく、幼稚園として使用されることとなる。


おしまい





〜〜



友達の家に誰も遊びに来なかったのは、実際の発言からも、すぐに理由はわかる。



「家建てるのを手伝っている間に、もうみんな友達になっちゃった」




まあこれですよね。もう友達がいるから、行く必要がないんです。



じゃあ友達の家は無駄だったのかというと、当然ながら違いますよね。そもそも建てる過程がないと友達が出来ていないんだし。



もうみんな、友達の家に頼らなくても、友達がいるんです。チェブラーシカも最後は納得しているようだった。よかたよかた。



〜〜

もし「友達の家」が、幼稚園にならず、そのまま残っていたらどうなっていたのでしょうか。そもそも、そこに行けば友達は出来るのでしょうか。


整理すると


この舞台に出て来た人たちは、ある目標(家を建てる)に向かってみんなで協力した結果、友達になれたという流れで、本質的な意味での「友達」が実現できている気がします。



一方、「友達の家」に遊びに行き、その人たちととりあえず話をし、時には盛り上がったりもするとは思いますが、先ほどの友達に比べてなんだか少しフェイクを感じてしまいます。「そこの空間に入れば半自動的に友達なんだよ」みたいな環境に甘えているような感じがあるからでしょうか。(世の中努力!みたいなスポ根を推奨しているわけではないです)




前者は「気づいたら友達になっていた」、後者は「意識的に友達を作った」という差なのかもしれません。



個人的には前者の方を目指したいものです。目指す時点で違うのか…⁉︎




〜〜

ただ、ここで問題なのが、前者は形あるものは何も残っておらず、後者は家という、おそらくそこで蓄積されるであろう思い出を具現化したものが、はっきりと存在しているという点です。




「形あるものが残っているのに、フェイク」ということが起きています。




別に悪いことではありません。そもそも、友達の家で、本当に良い友達が生まれたりもするでしょう。




まあつまり、言いたいことは、当たり前のことなんですけど、「人と人との距離感を証明するために、形あるものがないとダメ」って思うなって話です。
先述した前者のようなパターンみたいに、形あるものは何1つなくても、良い関係を築けるのは事実としてあると思います。




これもまたよくある話ですけど、彼氏彼女へのプレゼントは、あげる時じゃなくて、なくしたり壊したりした時に、一番お互いの関係がはっきりすると言われていますよね。




「プレゼント壊れるなんて、大事にしてくれなかったんだ」、「なくすなんて、実は使ってなかったんでしょ」という話はテンプレですが、大事にしていても壊れる時は壊れます。みんながいつも使ってるスマホだってバキバキに画面が割れたり、なくしたりします。




物の扱いがそのまま相互の人間関係に100パーリンクしてしまっていると考えてしまうと、ちょっとツラくなるのかもしれません。目の前の物が壊れてしまっても、2人の間には数え切れないくらい、目に見えないものが流れているはずだよって話でもありそうです。




みんなの思い出の写真や、場所、恋人からのプレゼント、それらは全て尋常じゃないくらい大切なものという前提はもちろん持ちながら、でもそれが絶対じゃないという意識は大切なんじゃないかなあと改めて思うこの頃でございました。



おわり




※実を言うとチェブラーシカの「友達の家」作ろう計画はわりと批判的です。ただ、マジで「友達いなくて寂しい人たち集めたい」という純粋な行為としてやってるから、見てる側は「かわいい」となり、「タチが悪い」ともなる。チェブラーシカは全体通して「悪意なき悪意」をやってしまっているというのも、このアニメの魅力の1つでもあります…!