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けんけんパー

雑談をする場所です。


自分はいわゆる、体罰的なアレを受けてきた人だと思ってる。


小学生のときにチラッとエレクトーンを習っていた時があったけど、練習の時に何回リコーダーを洗う棒みたいなやつで腕や頭を叩かれたかわからない。一つやらかす毎に、舌打ちや怒号と共に叩かれてた気がする。


でもそれは自分だけではなくて、当時の同期全員やられてた。というより、自分が小学生のころは、まだぶん殴られながら物事を教わるっていう構造は珍しいことではなかった気がする。歳が近いいとことかもエグい叩かれ方しながら指導を受けたりしてたのを噂で聞いてる。


まれに同期とかで集まると、「あの時腕叩かれた跡やっと消えたわ〜」みたいな話が平然と笑い話として起きたりする。


当時を思い出した時、何がタチが悪いかというと、実際に叩かれながら練習した人は大会とかで結果を残せてしまったということ。みんな口を揃えて「あの叩く指導がなかったら結果は出てないと思う」と言っている。それは正直俺ですら思う。だからみんなその指導法にツラさを感じながらも異を唱える人はいなかった。


けど俺は当時からものすごく疑問に思っていた。「結果を出すことはそんなに大事なのか」というわかりやすい疑問。でも自分は結果を出したことが当時なかったし、周りが大会に向けある種狂信的に努力してたので、「あぁ、きっと結果を出したら達成感みたいのってすごいんだろうなあ」とか思いながら、自分も周りについていっていた。


そんなある大会のとき、まぐれのまぐれのまぐれとかで、賞をいただいてしまったことがある。率直に、「まずい、達成感ない…。」と思ったのを覚えている。喜んでいるのは周りだけだった。挙げ句の果てに、「賞を取れなくて悔しい人だっているんだから、もっと喜びなさい」とか怒られる始末だった。


それ以降、叩かれるたびに以前より痛みを感じたような気がして、結局やめてしまった。円満的な終わりではないものの、今でも同期やら、その先生とすら交流があったりする。まだガキながらも、「あれはあれ、これはこれ」っていう分別がはっきりできてたと思う。


〜〜

それはさておき、そのようなシゴキ教育を受けた経験は今になって活用できているのかどうかって話になったりする。自分は、「限定的な場面で活かされることはあるが、基本的には何も生まない」って考え。
 


1年前とかの話だけど、バイトの関係で社会人の女性の方と何度か会った際、3回目くらいで髪型をショートに変えていた。いや、ショートほどではないかも。わからん。とりあえずかなり切ってた。


「髪切られたんですね」みたいなこと言うと、
「アンタがムカつくから気分サッパリしたくて髪切ったんだよね」ってすごい表情で言われたのを覚えてる。



こういうのが先述した「限定的な場面」となる。少なくとも、ボロクソに言われながら教わっていた経験がバックになかったら、かなり焦ってたと思う。「こんなこと言うやつとは関わらなくていい」って考えに行き着く前に、色々アタフタしたり、下手したら病んじゃったりしたかもしれない。

実際言われた時の感想は、なんかこんな感じ懐かしいな程度だった。



こんな感じで役には立つ…とは言いつつも、シゴキにはやはり基本的に何も生まないと思っている。というより、自分が実際に経験してすごい感じたマイナス点が一つある。


シゴかれることで、自分は相手に依存してしまったのである。自分で考えるのをやめてしまった。


自分の尺度がどうであれ、ダメだったら叩かれるし、よかったら何もされない。それを繰り返すうちに、「叩かれたらダメだし、何もされなかったら良かったんだ」と、因果を逆転させて考え始めてた。


そうなると、自分が「この演奏はよかった、イマイチだった」とか考える必要は全くなくなった。だって、ダメなら叩いてくれる。


気づかぬうちに、「自分で物事の尺度を決める」ということを完全に放棄している自分が出来上がっていたのを、今になるととても思い出したりする。小学校のころ見た映画の思い出とか一つもない。ジブリとかかなり見たことしか覚えてない。



自分だったら、本当の意味で自立を促す教育をするのかなあ、したいなあ、、とか思いつつ色々今は過ごしている。


〜〜

身近に、教育はやっぱり厳しくて当然って考えている人もいる。その人に俺の話をしたら、「当時の反動によって今現在色々考えられてるのであればいいじゃん」とのこと。ふーむ…!まあ一つの方法論に縛られるのが一番良くないっぽいので、適宜なんでしょう。


おわり