「びくドン」問題 | けんけんパー

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びっくりドンキー。

この食べ物は、俺にとってある種「おふくろの味」と言っても過言ではない。

 

 

小学生時代、両親が共働き故に一人でご飯を食べる時が少なくなかった。盛り付けることすらめんどくさかった俺は、フライパンごと自分の部屋に持っていき、ゲームをしながらフライパンの上のご飯を食べたりしていた。

 

 

それをあまりにも「惨め」だと感じた母は、皿にきちんと盛り付ける教育をより厳しくした。

 

ただ俺は「どうせ食べるならフライパンの上でも皿の上でも一緒だろ」と思っていたので、一人で食べる時はフライパン食をやめず、その後「いかにもこの皿で食べました」感が出てくるよう、フライパンの汁を少し皿に垂らしたりしてごまかして過ごしていた。ゲスい。

 

 

そんな食生活に、週に一度例外があった。父が仕事休みで母だけが仕事あるパターンだ。

父は料理をしないので、この日は必然的に外食になる。

 

 

「どこに行きたい?」と聞かれるが、答えは決まっている。びっくりドンキーだ。

 

 

当時からなぜそんなにびっくりドンキーを推していたのか、今考えるとあまりわからない。単純に外食の知識の幅が少なかったんだと思う。知っている店が少なかった。その狭い範囲で候補を絞るとなると、びっくりドンキー以外ありえなかった。

 

 

というわけで俺は小学生時代週に1度はびっくりドンキーに行っていた時期があったことになる。他の人と比べたことはないが、これは多い方だと思う。それは当時から思っていた。しかし、別に飽きも来ないので何も問題なかった。

 

 

注文は毎回固定だった。チーズバーグディッシュ300gとびっくりフライドポテトだ。

一応再確認だが、これは小学生、しかも2、3年生の頃の話だ。「ガキ」とすら呼べない小さい頃から俺はハンバーグ300gとポテトを食べていた。

 

 

 

最近、当時の再現をしたくハンバーグ300g(しかしチーズではなくパインバーグ)を食べたが、満腹度が相当高い。

なんならキツい。これを何一つ疑問を持たずあの頃の俺はペロリと、しかもポテトも加えて食べていたと考えると、そりゃあ太るの待った無しである。BMI指標みたいなやつに「太りすぎ」と出るのも当然だ。

 

 

そんなこんなで俺はびっくりドンキーで体を大きくさせた小学生時代だった。週に1回という高頻度に加え、こんなにも思い出が詰まっているということで、ある種びっくりドンキーは「おふくろの味」と言えてしまう。

 

 

〜〜

 

先ほど書いた流れからわかる通り、俺のびっくりドンキーに対する気持ち、というか付き合い方は「数多くある外食の中の一つ」という枠を余裕で飛び越えている。それから中学生になり行く頻度は落ちて行ったが、その間もクラスの友達とびっくりドンキーの話題になるたびに、「俺のびっくりドンキーに対する思いは他の人たちとは違う」という認識が強くなっていた。

 

 

 

しかしここで問題が起きる。高校1年生のころだ。高校の部活帰りに「何人かでご飯を食べに行こう」ということになり、満場一致で賛成し行くことになった。

 

 

 

 

当然次話すべきことは「どこにいく?」ということだ。するとその中の一人がとんでもないことを言い始めた。「びくドンとかどう?

 

 

 

 

は?びくどん?

 

 

 

俺はその「びくどん」というのがどこのことを言っているのかまるでわからなかった。しかし周りは「あ〜〜ちょうどいいんじゃない?びくドン」と何も問題なさそうに返答している。

 

 

「まさか…」と心配になりつつも、みんなについて行き店の方に向かったら、やはり到着したのは紛れもなく「びっくりドンキー」だ。

 

 

店内に入るや否や、「え?ここ、こんなんだっけ?」とか「超久しぶりにきた」とか思い思いのことをみんなボヤいてる。その人たちにびっくりドンキーへのリスペクトは感じられない。しかし呼び方は「びくドン」なのである。

 

 

もうその時は何を頼んで何を話したかは覚えていない。ただ胸にずっとモヤモヤした感情が渦巻いていたのははっきりと覚えている。

 

 

 

 

そのモヤモヤは「好きな娘への恥ずかしくて言えないアレコレを余所に言われた」ものだとわかった。

 

「あの人いいな…いずれ下の名前とかで呼んでみたいな…」のような、ある種「その対象を大切に思うばかりに踏み越えられない一線」を、さらっと「○○(下の名前)〜」とその人に対して興味も何もない人が言ってるのを見たときのあのなんともやりきれない感じ。

 

 

 

当時は非常に耐え難いものがあった。同時に気づいたことは、俺はびっくりドンキーを心から想っていたんだということだ。想いの強さがモヤモヤを生む。ありがとうびっくりドンキー。これからもよろしく。

 

 

〜〜

 

この話をすると(知っていると)、よく起こる展開が2つあるので、それについても話して行く。

 

 

1、「びくドン」って言ってごめんね問題

 

いわゆる、「私びくドンって言ってた側だわごめんね」的な謝罪だ。結論からいうと謝る必要は全くない。何も悪くない。俺の想いが勝手に溢れているだけだし、今では俺でも「びくドン」と呼んだりする。びくドンに対する気持ちは、呼び方一つで揺れ動くようなものではないと悟ったからだ。

全然問題ないです。オールオッケーです。

 

 

2、食事所候補に「びくドン」が高確率で出現する問題

 

一番特徴的だった例を挙げると、飲み会の候補の店にびくドンがあったことがある(これは流石に半分ウケ狙いだとは思うけど)。いやいやそんな良いって!笑って感じだ。

 

 

先述した通り、俺がびっくりドンキーを小学生の頃通っていた理由は「単に外食の幅が狭かったから」に過ぎない。なので、俺からしたらむしろまだまだ未開拓的なものを行った方がありがたかったりもする。

 

 

そしてこれは話がずれるが、びっくりドンキーは2,3人ぐらいで行くのがいい。パーティをする場ではない。パーティでおふくろの味は違う。少人数で、「びっくりドンキーでも行くかねぇ」ぐらいのテンションがベストだと思っている。

 

 

以上の二つ。まとめると「別に問題ないよ」ってことだ。本当は「今だからわかるびっくりドンキーの魅力」とかも書きたかったが、長くなりすぎるので、また別の機会にでも。

 

 

それでは

 

おわり