ぶちゅの日常@釣りスタンプ

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釣りやアウトドアに出没する奇怪なものの紹介やら日常のちょっとした疑問点などを投稿 一応米大学院卒 哲学と科学を勉強しました

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宇宙人は果たしているのだろうか

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それについてリアルに考えてみたい

光が生命体に必要な理由から近い距離の地球型惑星があるとしたら



科学的知見によると人は光がないと
生きていけないもの

光は宇宙空間では伝わるものなので
それから察して一番近い可能性があるのは
一番近い恒星がある場所

太陽にもっとも近い恒星は、ケンタウルス座のアルファ恒星系であることがわかっています。その距離は4.3光年、すなわち光の速さで4.3年かかる距離

https://rika-net.com/contents/cp0320a/contents/chishiki/answer17/index.html

仮に光の速さで動けるなら4.3年かかる
そもそも光の速さで人が動けるかは検証されていないのだが
もし動けたとしても4.3年もかかることになる

光の速さになると質量が状態維持できなくなるのでどこまで物理体が現実の物理的な状態を維持できるのかはわからないが光速と音速の違いはなんと

光速は音速の88万倍

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つまりマッハ10でも8万倍もかかるから4.8×8万年片道でかかることになる
それは38.4万年である

マッハ100でも3.84万年

そもそも行き来が不可能レベルである
ジェット飛行機は訓練なしに人は乗れないのだがその飛行機の速度は

最速はMig-25(3,494km/h)でマッハ超えても3だとか

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ジェット旅客機はマッハ0.8程度

それを考えるとマッハ100はとんでもないレベルである
MIG25すら誰もが乗れるレベルではないためそもそも仮に宇宙人がいたとしても交流できる可能性はかなり低いと言わざる負えない

そもそも光の速さで発信してかえって返事が返ってくるのに10年近くもかかってしまうわけだし

現実お隣の国との関係性を改善するためですら大変なことなのにこんな時間のかかるコミュニケーション手段だけだとしたら交流する意味が果たしてあるのだろうか

 

そもそも全ての恒星で生物が進化するわけでもない

一番近い星にそもそも生物が進化するかはわからない
その理由は仮に進化論が正しいと仮定して

※進化論は科学的には完全に検証されているわけではない仮説であり学問にすらなっていないもの進化学というのは聞いたことがないのはそのせい 学問にならない限りそれは仮説段階なのだがわかりやすいために…

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https://ushikubou.com/culture-america-evolution
意外に進化論は肯定されているわけではない
なぜアメリカ人の4割が進化論を否定するのか?

人類まで進化するのにどれだけの過程が必要なのだろうか
そもそも人型まで進化したところで知能を持つとも限らない

なので一番近いケンタウルス座のアルファ恒星にそれが生じているということを想定するのは科学的ではあまりない

比較する方法がないが太陽系の惑星を借りに10個あったとしてそれらで現在のところ地球にしか知性ある人が住んでいないのだから惑星であるというだけで10分の1しかここまでたどりつけないのかもしれない

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だとすると4.3年かかる星では10分の1の確率(実際はもっと低いだろう)かりに4.6光年ごとに恒星があるとしたら46光年先までいけば確率的どこかに可能性がでてくるということになる

半分のところを可能性ありと想定しても23光年

往復半世紀かかるどちらも一方通行の交信に果たして意味があるのだろうか

※もちろん光速より早いものがあるという発見があるなら想定は変るかもしれないが…

宇宙人はリアルにはいてもいなくても私達には関係がない

上にみてきたように
宇宙人はいたとしても交流ができないので私達には関係がない
そういったところで暴論とはならないだろう

宇宙人はいないにしても

宇宙人的な何かを人は話題にしている

その意味がなんであるのかを違う角度で考えていく方が宇宙人そのものを理解しようとするより有益なのではないだろうか

それは何だろうか
まあ思いつくとしたら宇宙人でなくて幽霊の類か
死後人の存在がどうなるかは科学的にはわからないことが多い

物質体で構成されていない存在なら我々を監視や見つめていてもそもそも私達に知られないかもしれない

宇宙人の目撃談が不確かな理由も説明がつくかもしれない

異世界ものが最近ラノベといわれる小説ジャンルの中で、大きな人気コンテンツとなっているようだ。

 

中身はご承知だろうけど、簡単にいうとごく普通の人間が死んだのかそうでないのかはその時それぞれだが、なんだか違う世界どうやらほとんどは中世騎士物語の世界に飛ばされる通称転生するという話。

 

そこでいわゆる英雄的な存在や伝説的な人物になるというそんな話。

 

別に異世界に転生するということを抜かせば、昔からよくある青年層が読む成長物語のようなもの。現代では中二病などと呼ばれたりするケースも多いが、現実を再度認識し直してさらに深い現実に向かうことそれを目的としているような物語ではある。

 

実は異世界という舞台は、学園ものでは新しく入る高校だったし社会にでるものにとっては会社だったり、まあそういうものであったのがなぜかルールもまるで違う剣と魔法の世界に飛んでいくという話になるのだが、これについてはまた長くなるのでこの世界の意味とか考えるのはやめておく。

 

今回我々が解き放たれるべき妄想についてお話しよう。

 

それは現実とは一体何なのだろうか?

 

そんな素朴な疑問である。

 

結論をいえば現実などというものは人ぞれぞれに違うものつまり人の解釈の元にある価値観に紐付けられているものそこから導き出されるもの、

 

これが世界と思っているものも

 

現実の延長にあるので価値が結局現実も世界も作っている。

 

ただ価値はそもそも時代とともに変わってきてはいるものだから現実も世界もそれに応じて変化している。

 

そこまではいいんだが…

 

真の現実は理解できない前提の上でしかかいまみることができないもの

 

私がいうまでもなく、現実は価値によって作られてそれが世界と呼ばれ、世界と一般的に認識されるのはその価値観のいわゆる共通項目部分

 

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ちょっとわかりずらいが現実はオレンジ色の部分。この図は仮に3人の人がいたとしてその各々の認識している価値観を円であらわしたものだ。で現実の核心や日常といわれるべきは中心の赤の部分だ。

人の認識は有限である時間においては固定的で偶像的にどうしてもならざるおえないのでだからいくら真実がといってスクープを狙ったとしてもこのオレンジの中から赤の部分に近づくだけのこと。

それが現実の真の姿

真の現実は見ることがある意味できないという仮定の上でしか覗けないものというのが正解に近い

この矛盾した概念を理解するにはどうすればいいのか。

現実的なものそれが実はかなり非現実的であると理解しはじめられた今世紀

 

現実が何であるのかを完全に理解できる人はそもそもいない。人は自分の主観を克服して普遍的な客観性を理性的に求めてきたりはしたが結局のところそれは量子論的にいわゆる近づいたと思うとその思いが邪魔して本当の姿がみえなくなるという話になってしまう。

こんな無茶な状態にいるのが私たち人というものだ。

ただそこまで現実の本当の姿に拘ることをしないでも生活もできる歴史は刻まれても行くものだけど…

それは確かに逃げかもしれない。ただ人が把握を完全にできないということももしかしたらないのかもしれないが、そうなるにはそもそもすぐにできると考えることが間違っていたのだろうか。

もう人が知恵を得てからどれくらいの月日が流れたのかそれはわからないにしても数千年どころではないその積み重ねの中で、どれだけ輪廻転生的に人は同じことを繰り返してきただけではなかろうか。

時に現れる知の巨人や賢人たち、そして聖なることを世界に表した人たちによって人は新たな認識に導かれたりしてきた。けれどそれで十分何かを得ることができるようになったのだろうか。

人が完全に現実をとらえるのは不可能でないにしても、それができる段階に進めということがかなり大変な山を登山するように、果てしない道の先にあるものだと意識する観点があればそもそも先の矛盾がどうにも絶望的なものとしてだけ示されるものではなくなることだろう。

古の賢者。哲学の祖といっていいソクラテスは、

私は何も知らないということを知ることが知識の始まりである

そんなことをいった。

主観でいくら客観をみてもそれは主観のまま。いずれ導かれてわかるものというすこし遠目にみるそんな立場をもてないなら人は最終的に本当の現実をみることができないのかもしれない。

最近はツイとNOTEをやっていましたが

POPなネタも多くなりこちらもいいかなと

思いまして

 

再投稿始めます

例えば偏差値だと上位10%に
属するには62.8でないといけないようです

 

そういう人は実際90%の人のいうことは
ばかばかしく遅れたことばかりやっていたり
追っているように実際感じるのでしょう

 

ある意味それはすごいことではありますが

それは知識の世界だけのお話かもしれません

 

確かに知識の世界ではこの場合
バカというととんでもない
致命的な欠陥という意味になりますが

 

でも心の世界ではバカといわれることば
別に悪いことではないという場合もある
のは面白いことですね

 

バカ正直は悪いことではありませんし

人にはあきれられるかもしれませんが


でもほめる言葉として使うことも多い
です。

 

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23日に南海トラフ関連の地震が直撃する

 

 

という話が昨今流れていた。まあよくある地震予知なんだが

なんとこの予知をした人が311を当てていたということで

信憑性があるとされて巷に流されていたわけだ。

 

そもそもそこで信憑性があるとする根拠がわからない

もちろん偶然311をあてたわけではないだろうが何か

こういうのは今流行のなになにです的な臭いもしなくも

ないわけであるのだが

 

外れれば次を探しというぐらいに次のブームは何か

新しいアイドルを探すようなオタクと同じように

一時的な感情とか満足のための解釈であって

信憑性がないのだ。

 

過去あたってもまず予知としてあたる条件はあったわけ

だし、そのあたる条件等を予知と関係のないつまり予知

を受ける世界と関係のない人が予知をどう解釈していいのか

ということはわからなく

 

予知の言葉の外面的なことでそれを情報としてしまい

こんな23日南海トラフ地震と解釈してしまったわけである

 

まず巷に流れている時点でいつのまにか

尾ひれがついていたのだ

 

実際無事何もなく過ぎた23日のあと次の日は記録的

早さの初雪となった

 

 

何か少し皮肉すら感じるこの現象だったがそもそも

 

地震の予知をした人はすでに23日には来ないと

思っていたに違いないと私は見ている

 

普段からいっているように巷に流されている情報は

誰かが解釈したものつまり2次的3次的なものでしか

なく、そこにはどうしてもゆがみが生じてしまい

 

下手したらもとの姿すらないようなものとなることも

ある。だから客観性とかいってニュースは表現しようと

しているのだが

 

その客観性がそもそも本当の客観性ではなく

誰かの主観に基づいた情報を受け継ぐときに

客観的にするということに過ぎない

 

ただ情報という言葉の羅列をなるたけ外面として

客観性を保っても本当に1次として伝えた人が

何を言いたかったのか理解できない場合もある

 

今回がその場合はその原因はいろいろあるんだけど

 

 

特に専門分野の場合は用語の使い方も通常と

違うこともよくあることなのでそれで誤解したり

またその専門分野の空気も通常と違うから

それで誤解したりすることもある

 

だからニュースとして流れてくる巷の情報はそういう

ものを含んだものだと思わないと本質は見えてこない

 

ただ物語りとして虚構として楽しむなら私は何も

いわない。非常識でない範囲で楽しんでもらえればいい

 

実際はこの件に関してはそういう虚構と思ってはいない

わけだろうから

 

巷で流れている情報は

そのまま受け取るのではなく

 

何かヒントをもらった

 

ぐらいでそれをより深く探求しないといけないのだ

 

さてそれではそもそも予知という世界のことを

どれだけ私たちは知っているのかということを

理解しないと予知における空気はわからないから

 

巷の情報である23日は危ないということについて

より深い認識はできないのである

 

まず予知における空気について考えるべきだ

そして先ほどいったように予知における言葉の

使い方にも気をつけないといけない。

 

そういうことを踏まえてこの問題は解かれないといけないのだ

 

 

続く

 

私たちの中に存在している妄想から解放されるためのチップス

http://ncode.syosetu.com/n7097dp/

妄想から解き放たれる詩 

 

人は妄想と知らずにいろいろなことを信じている

 

こんなサイトみつけました

ドラえもんですでに実現された

「秘密の道具」35選

https://www.change-makers.jp/technology/10978

 

この中で例えば
秘密の道具11:うわさ花し


マイク型のつぼみに向かって流したいうわさを吹き込むと、
花が咲いた後、タンポポの綿毛のようにタネが風に舞って
あちこちで花を咲かせ、うわさを広めてくれる。

 

これはツイッターという形で
実現されているとここにはあります

 

確かに実際のドラえもんとツイッターとでは違うもののようにも

思えますが

 

これはイマジネーションというものが人間が受け取るときに

それがどうしても部分的なものになってしまうためです

 

有名なところではジョジョというマンガに911の予告的な

絵が描かれたいたということがあったんですが

 

作者本人も何で書いたのか覚えていないそうです。

 

こういうことは結構あって、ドラえもんとかはそもそも未来の

道具という形で毎回予言的なものが展開されているわけ

なんですから

 

ある意味驚異的ではありますが。SFにはそういうものが

当時は多かったとはおもいます。

 

予言を価値視するのは実は人間側の要望でしかないの

かもしれないのかもしれません

 

となると結局その時代の価値観に影響されるという

ことも見逃せない事実としてあるのだとおもうのです

 

私たちの中に存在している妄想から解放されるためのチップス

http://ncode.syosetu.com/n7097dp/

妄想から解き放たれる詩 

 

人は妄想と知らずにいろいろなことを信じている

 

シン近未来考 

 

ドラえもんの夢はいかに現実になったか

 

昔のSFが現実となった場合

そのままのイメージではない

ということはよくあること

 

だからSFが現実化した場合は

その人間が関与したときの

フィルターを考えないといけない

 

 

人間が関与すると本来のイメージが

少し変わった形になるということを

示したのが現代の哲学の一番の発明

だと思っているのだが

 

まだそれは一般化されていないように

思う

 

例えば簡単な例だが

 

ドラえもんとか下のコマは

現在建築技術の工夫でいくらでも

というのは無理だけど

隠れ収納とかロフトとかそういう

形で現実化されている

 

もちろん将来には1階づつブロックの

ように積み重ねる建築技術もできそう

なので

 

そういうので実現できるかもしれない

 

ドラえもんのイマジネーションなどは

科学的な見地で再解釈されないと

いけない。

 

当時の藤子氏の科学的な知識はもう

現代では通用しない部分もでてきていますし

 

23日に地震がくるといった人は

311を予知した人でありますがまずその人の話では

はっきりと11/23日とは言っておりません

 

また地震の条件として伊豆が紅葉しなかったら

といっています。

 

地質学的な観点からすると

伊豆というと箱根とか富士の火山活動について

近年の活発化現象がありましたが

 

今は収まっているのかニュースの話題にも

上りません。

 

だからそもそも23日が11月の23日でもないし

すでに伊豆が紅葉しているから避けられたと

考えるべきかなとは思います

 

 

 

仕事がらメディアの流れを追っていないと
いけないからドラマをネットでみたりするけど

面白いか面白くないかはわからないが
これはいくらなんでもなんか宣伝のし過ぎ

楽しんでみている人はそれは趣味だから別に
どうこういいたいわけではないのだけれど
もしかしたら気を悪くするかもしれないので
以下は読まないでください。

ボクはメディアのやり方を批判したいだけ
なのですから

別に視聴率が5%でも面白いと感じている人が
5%はいるのですからそれはそれでいいのでしょう

しかしこの件はメディアと関連の深いテレビ局
TBSだから宣伝じゃないのかな

ちょっと前からなんかメディアの様子が
どうもと思っていたから嫌な気がしたんだけど
やっぱりという感じ

大反響といっても視聴率は前回と
ほとんど変わっていませんし

神回とかいう人もそりゃいるでしょう
どんなドラマでもある程度そういうことは
結構あると思います

5年以上ほとんどのドラマはみないにしても
視聴率はチェックしているけど

人気ドラマではありますが記録的な人気ドラマ
とは言えないほどの視聴率だとは思います

本当は20%超えてから騒いでよといいたいが
せめて15%はないと普通に感じてしまいますが

 

歴代ドラマランキングの91位のハケンの品格で
さえ26%ですよ

私のうがった見方なのかな