カゴメカゴメ
という歌があるが
ある人がヘブライ語でその音を読むと
意味の通じる言葉になっているという
ことを分析していた。
カゴメカゴメ
カゴノナカノトリハ
イツイツデアウ
ヨアケノバンニツルトカメガスベッタ
ウシロノショウメンダーアレ
ヘブル語で類推してあてると
何が守られているのか誰が守られているのか
守護して封じ安置して閉ざされていたものを取り出せ
火をつけよ燃やせ神の社を根絶せよ
造られたお守りの岩はご利益がないままに
焼かれた荒地は見放された
鶴と亀が滑ったの部分を解釈を変えると
何が守られているのか誰が守られているのか
守護して封じ安置して閉ざされていたものを取り出せ
火をつけよ燃やせ神の社を根絶せよ
水際にお守りの岩を造り、無人の地に水を
引いて支配せよ
二通りの予言的な意味の内容になっているという
どうやら妄想というのは
自分でその思いがとんでもな
ことに気づいていない勘違い野郎
というときに当てはまるようだ
となると
妄想というのは結構いろいろ
あるもんだとおもう。
例えば日本の国民総生産は3位だから
世界的にすごい経済大国ということは
いえるが
これも完全なものではないが妄想となる
それは一人当たりに直すと日本26位ぐらい
になるというから驚きだ。
この違いがなぜ起こるかというと
国民総生産だから国民の数によっても
その量は変わってくるということだ
つまり人口が多い国であるから日本は
それだけ有利に立てているということ
完全な妄想といえないのは
人口が減ってもこの総生産の量が
減らないなら日本はどんどん順位を
あげることになる
ただその辺のことはわからないから
コレも妄想の一つといっておきます
でも26位はそれでも裕福ではりますよ
国連加盟国が100以上だったけど
1/4に入っているのだから結構経済偏差値
も高いです。
なんか26位と考えると結構大変に暮らしている
人が多いというのも納得できます。
不憫な性分なのかと過去を
述懐しようと思って投稿で不憫
という言葉を使おうとおもったが
最近何か言葉の意味が自分も
いい加減につかっているということ
に気づいていたのでそれでひっかかったんだと
おもう。
不憫ってなんだってことです。
よくよく考えると不憫ってなんだって
ことに気が付いた
というのも憫はたしか憐れむみたいな
意味だということを知っていたので
なぜそれを否定しているのみ同じ意味
なのか否定なのに意味は肯定
よくわからないということになった
国語辞典には書いてあるのだろうか
ネットの大辞林には不憫は不便の当て字と
あった
いつから当て字されたのだろうか
それはわからないが夏目漱石はすでに当て字を
つかっていたらしいです
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私だけがいなくなったあとの妻を想像して
みるといかにも不憫でした。(夏目漱石『こゝろ』)
あるとき気づいたのだ
どれだけ置き去りにしてきたものがあって
どれだけそこから離れてきたのか
あの時はそんな現実がやってこうようとは
まるで想定していなかった
ぼくらの未来はできることの範囲では希望的
だったし
ぼくらの未来はできないことの範囲では盲目的
で向こう見ずな冒険者でしかなかった
だから見えなかったのだろう
そして見えるころに後悔だけをするような誘惑に
駆られてしまう
また何かでごまかすかのように新しいことや過去の
郷愁にこだわったりして軸がごまかされるのだ
そんな僕のことを自分の心はわらっているかと
思っていたけど、そうではなかった
悲しんでいるのかと思ったけど、そうでもなかった
心はただ待っているだけだった
真実に気づいてまた戻ってきてくれることを
そんなことに気づいて
独り気が晴れた爽快さをもってまた
真実のあたらしさに向かっていけるような気がする








