私は創価学会時代に
古い学会員から『昔は不思議な功徳があった』という事を
度々耳にしていました
その都度、「なんで今は功徳がないのか?」と思ってました
そして、とある壮年部の方にそのことを聞いた時に
「時代が違うからね」と言われました
時代が違う・・・御本尊は一緒なのに...?
【 現在の創価学会の本尊はニセ物だった! 】
① 猊下様しか書写出来ない理由
② 創価改ざんコピー本尊の証拠
③ 創価にある本物の御本尊はどうなる?
④ 創価は顕正会と同じニセ本尊ばら撒き団体
①「猊下様しか書写出来ない理由」
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木絵二像開眼之事
法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し、
今真言を以て日本の仏を供養すれば 鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者といふ
魔入つて功徳をうばふ魔をば奪功徳者といふ、
鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす魔をたとむゆへに後生には無間獄に堕す
※法華経を心に得た人が、木=板御本尊と絵=紙幅御本尊を「開眼供養」しなければ
空き家に盗人が入ると同じくまた、人が死んだ時、死体に鬼神が入ると同じく
ニセ本尊にも鬼の神が入る
真言師などの邪師が供養すれば鬼が入る
その鬼は命を奪う。それを奪命者と言う。また功徳を奪う魔は奪功徳者と言う
ニセ本尊に入っている鬼を拝むと今世では家庭崩壊や自分の心身をほろぼして行く
魔を崇拝するが故に死後は八大地獄最底の無間地獄(阿鼻地獄)へ落ちる
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創価学会の人は、木絵は御本尊と読まないと言いますが
「木絵は御本尊と読みます」
そもそも、現在の創価学会でも、木絵は御本尊と読むと教えてます
上記リンクとは別講義でも
「木画二像の草木成仏とは具体的には、御本尊のことであられる」
(創価学会御書講義・草木成仏口決74)
また、戸田城聖会長の頃から「木絵は御本尊」だと指導されて来ました
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「末法の現在においては、
絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる
生身の御本尊様であらせられるのです。
また、われわれがいただいている御本尊様も、
文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、
これまた生身の御本尊様であります。
この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の御姿で
なくてなんでありましょうか。
これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、
ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法問であります。
邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネて作ってみたところが、
それこそ馬の骨なのであります。
否、恐ろしい毒薬の働きをもつのであります」
『大百蓮華』第62号 昭和31年7月
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もし、木絵が御本尊で無かったら
戸田会長の頃から創価学会は誤っていた
謗法を信仰していた事となり、今も昔もひたすら創価は謗法だったことになります
さらには、江戸時代の大猊下様が仰せです
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【 日寛上人猊下 観心本尊抄文段上 】
二に木画二像の草木成仏とは、
謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。
二十八十三四条金吾抄に云く
「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、
木と申すは木像是より出来す、
此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、
此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」と云云。
文の中に「此の法門」とは、一念三千の法門なり。
また三十一巻二十骨目抄に云く
「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。
若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。
またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、
本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。
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猊下様は当に木絵二像の御講義をして下さっております
ここで特筆すべき点は
「草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、
本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ」
※開眼供養を成されれば、今、御安置しているところの御本尊は
全体、生身の御仏様です。文字だとか板や紙だとか言ってはいけない
と仰せられており、
まさに、江戸時代から木画=御本尊様と仰せられています
今も昔も、「木画(木絵)= 御本尊」です
また、
「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり」
と言う、法華経を印する開眼供養を成された御本尊は、
生身の生きてまします仏様という事です
その開眼供養と言う奥義が出来る方は
「法華経を心に得た方」大聖人様の御内証を法水瀉瓶により相伝された
唯授一人の猊下様以外には絶対に出来ない事なのです
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上記が証拠として
日蓮正宗、唯授一人の血脈相承された御法主上人猊下様だけが
御本尊の御書写が出来るのです
もちろん、在家ごときに御本尊書写は絶対にありえない
また、在家ごときが、御本尊複製や改ざんを行えば、大謗法となる事は当然の事
例せば、
一万円札を改ざんコピーしたら犯罪です
また、見分けがつかない程、精工にコピーしても当然犯罪となります
同じことが言えます
②「創価改ざんコピー本尊の証拠」
現在の創価学会の御本尊は偽物と本物の2種類あります
①平成三年より前の日達上人や日顕上人、御方々の御本尊
②平成五年からの日寛上人とされるニセ本尊
昔、日蓮正宗創価学会時代に頂いた
御本尊は本物です
しかし!
平成5年から創価学会幹部が言った
✔「日顕上人の御本尊は良くないから取り換えましょう」
などと言われ、取り換えた、または、初めてもらった方は
「魔入りのニセ本尊」です
【証拠1】
平成3年に破門された創価学会は
当時学会側に寝返った離脱寺、栃木県浄圓寺
に一体だけあった
(離脱僧の成田宣道は平成4年に宗門から離脱しており、邪宗寺となった)
「日寛上人の常住御本尊様」
この御本尊を、スキャンしたかコピーしたかのいずれかで
✔「授与書きをコンピューター処理で消し」
✔「中央主題の南無妙法蓮華経の御文字を太くするなど改ざん」
〇 授与書き
「下野国小薬邑本如山淨圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」
これを在家組織ごときの創価が丸ごと削除
〇 中央主題
御文字の「はらい」などを太くし、伸ばすなどの改ざん行為
資料画像↑↑↑
上記の本尊を印刷して会員に、無実の日顕上人があたかも大聖人を裏切った
かのようにでっち上げ、偽本尊を販売
本物の御本尊と偽物を取り換えさせると言う暴挙に出た
【証拠2】
✔「創価学会文化会館本尊」
✔「御形木本尊」
✔「ペンダント型の御守り本尊」
これら全てが、倍率の幅を変えただけの同じニセ本尊
文字の相貌はどれも全く同じ
日蓮正宗、古来からの正当御本尊は
〇「御形木御本尊」猊下様によって御文字の御相貌が違う
〇「御守り御本尊」そもそも、筒に入っていて開けて拝んではいけない
〇「常住御本尊」お寺でも何々「院」と、名前に院が付くお寺には、
紙幅の常住御本尊様が御掛けされている
その御本尊こそ、世界に一体だけの猊下様御真筆御本尊だ
常住御本尊で一体たりとも同じ御相貌の御本尊は無い
もちろん
創価学会も破門前の日蓮正宗創価学会時代では
当時文化会館の多くが日達上人の常住御本尊様が御掛けされていた
在家が頂く御本尊は上記の通り
中には、常住御本尊を頂いた信徒も一定数居た
【証拠3】
平成5年から一斉に学会員の御本尊の取り換えが行われた
取り換える前の御本尊はもちろん本物だ
多くの学会員が頂いた御本尊は「日達上人か日顕上人」の御本尊だ
なぜ?取り換える必要があったのか?
当時の創価幹部が言う理由はこうだ
✔「日顕上人の名前が御本尊に入っているから」
大聖人様を裏切ったとされた日顕上人だから
取り換えなければいけないなどど言う
なぜ?日達上人や昭和40年まで御下付された日寛上人の御本尊までも
取り換えなければいけないのか?
道理が通らない
そもそも、
✔「破門された側」が創価だ
宗門と「無関係」の在家団体になぜ?日寛上人の真新しい御本尊が来るのだ?
◎ 日寛上人は日蓮正宗の猊下様だ
どうやって宗門の猊下様が許可をして、どうやって無関係の創価に
御本尊を御下付するのだ?
クビにした無関係の社員に、給料を満額支払い続ける!
などと言う社長がどこにいるのか?
御本尊は功徳の根源。給料どころの騒ぎではない
その御本尊を完全無関係となった在家ごときの創価に授与する猊下様がどこにいる?
ありえない...
※クビにされた創価に新たに猊下様の御本尊が来る事自体が、ありえないのだ
元々、創価学会は、昭和3年に日蓮正宗へ入信した
「牧口常三郎」
から広がった在家団体に過ぎない
もちろんその時に、教義も本尊も何も無い
あたりまえだ
という事は?どんなに在家グループが広がろうが
御本尊は日蓮正宗から頂かなければならない
創価から本尊が生まれることはあり得ないのだ
破門後の創価(平成5年以降)から下付される本尊は
「ニセ本尊!」
また、創価学会では公式で開眼供養を否定
故に御開眼をされていない学会のニセ本尊は「悪鬼魔神」入り!
そして
創価学会幹部証言「〇〇本部長」
富岡:取り換えた御本尊は本部で保管してるのですか?
〇〇:「取り換えた御本尊は結局、焼却処分です」
日達上人、日顕上人、御方々の御本尊を在家が燃やしていいんですか?
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顕謗法抄
相似の五逆罪これあり。木画の仏像・堂塔等をやき
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木=板御本尊
画=紙幅本尊
これらを焼いた罪は、相似「五逆罪」です
✔「正当御本尊をお巻きして、創価の輩に渡した方は与同罪です」
「与同罪」=「同じ罪としてみなされる」
更に現創価は五逆罪を越える罪業を日々一刻と積み続けている
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顕謗法抄
「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん。
乃至其の人命終して阿鼻獄に入り、一劫を具足して劫尽きなば更生まれん。是くの如く展転して無数劫に至らん」
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※経の書写=御本尊御書写できる方は誰ですか?
昔、正当御本尊を頂いた学会員の皆さん
日蓮正宗創価学会時代に頂いた御本尊はニセ物でしたか?
③ 創価にある本物の御本尊はどうなる?
あの古き良き昭和を作った大猊下様
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「日達上人猊下様御指南」
戒壇の大御本尊様を忘れてしまったならばいかに信心しても
たとえ何々上人の御本尊であると言って拝んでみても大聖人様の血脈は通じてこない。
「戒壇の根本の御本尊を離れた時には、既(すで)にその御本尊は生命(いのち)もなく、人を救うところの力もないのであります」(達全一―一―三三九㌻)
戒壇の御本尊の、又、写しが、各末寺の御本尊であり(中略)
また各家の御本尊である。だからそこに戒壇の御本尊の、
大聖人様の血脈が、正宗を信心する皆様の中に皆伝わっておるのでございます。
その根本たる戒壇の御本尊を忘れてしまったならば、いかに信心しても、大聖人様の血脈は通じてこない。(達全一―二―二五六㌻)
日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。
日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。
日達上人・富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日
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750年以上も前から存在する
【 本門戒壇の大御本尊 】
この御本尊から離れたら、いくら本物の御本尊であっても「血脈無し」
故に、破門された創価にある本物の御本尊でも功徳無し
大聖人様はそこには居られません
日蓮正宗へ帰伏することで、現在お持ちの本物の御本尊様に
猊下様の御開眼によって魂が御戻られ、そのまま拝むことが出来、
昔のような本当に心が潤う功徳を味わう事が出来ます
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観心本尊抄文段上「日寛上人」
木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり
(中略)
則ち今安置し奉る処の御本尊の全体本有無作の一念三千の生身の御仏なり。
謹んで文字及び木画と謂うことなかれ
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✔「戸田城聖」
■ 日蓮大聖人様はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。
現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊様として出現されているのだが、
多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、
かわいそうにも日蓮大聖人様の御当体とは気がつかないでいるのである
(戸田城聖講述『日蓮正宗 方便品寿量品精解』精文館 P33)
✔「池田大作」
● 日蓮大聖人の御魂は、多宝富士大日蓮華山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊に御留めおかれているのである (広布と人生を語る 三―二四六㌻)
「本門戒壇の大御本尊が大聖人様です!」
創価は破門されたが故、本尊が無い
だから、離脱寺の御本尊を改ざんコピーして会員に偽本尊を拝ませた
無実の日顕上人を悪者に仕立て上げ、会員が日蓮正宗へ帰らないように囲った
これが真実です
上手く創価上層部に騙されたのです
だから、学会員の周りを見渡せば、罰塗れ
「鬱、自殺、突然死、癌、奇病、引き籠り、精神疾患、不安障害、不安発作」
などなどが多発しているのです
しかも!
それらが子孫に出やすいのです
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木絵二像開眼之事
「人死すれば魂去り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡す」
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それらは全て罰の顕れで、不幸の原因は創価ニセ本尊にあったのです!
④ 創価は顕正と同じニセ本尊ばら撒き団体
今の創価学会は、顕正会と同じことをやっています
河邉メモも顕正会と創価が同じ邪難を使い
唯授一人、開眼供養や塔婆供養などの御書を否定
創価の人が持っている御書に書かれてあるにも関わらず、それらを否定する学会
挙句の果てには、どちらもニセ本尊(魔入りと鬼入り)
創価:池田先生
顕正:浅井先生
たかが在家のトップを先生とカリスマ化
顕正会のニセ本尊はこちら
創価学会の皆さんも、昭和40年までは
「細長い」日寛上人の御本尊を頂いていた方が居たんです
今や、創価学会も、顕正会も、
魔入りのニセ本尊
拝めば拝むほど不幸になります
魔の通力で目先の利益が出て功徳だと勘違いして
その後大きく人生が下がるの繰り返し
そして、気付いたころにはド不幸!
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唱法華題目抄
魔にたぼらかされて通を現ずるか、
但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず
※魔に騙されると魔の通力が現れたりする
故に御書で正邪を正すべき
魔の通力は目先の利益が出る為それを功徳と間違えて魔に寄ってはいけない
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