話がまた最初から今までの経過になりますが。。

 

3月某日、夜中1時くらいにお腹が痛くなり、30分くらいしてもダメで、死にそうな痛みだったので、夫を起こし、

コロナ禍だから救急車を呼んだほうが病院に行けると思い119を自分でかけました。

「できるだけ鳴らさずに来てください」と言ってみたものの、それはできないということでしたが、一応つく直前だけ鳴らしていただけた配慮に助かりました。家の前で乗る準備をして待っていて、感染防護の服を着た隊員の方にお腹が痛いということを伝え、救急外来へ(家の近所でした)。

胆石で一度見てもらった(人間ドックで精密検査を指摘されたので、かかっていた)病院だったのと消化器外科の医師が当直だったので、すぐに胆石の疝痛発作だと診断がつき、ブスコパンの点滴で30分ほどで痛みはなくなり、一応造影CTを撮りましょうということになりました。

 

その日は、明け方4時すぎに歩いて夫と帰宅。抗生剤を2日分出されて終わりました。

週明けに、発作が起きたら手術って前に言われたなと思い、再受診しに行ったところ、CTを見ていた医師が、

「胆石の手術は急ぎませんので、肺がんだと思われる影がありますので、そちらを手術することにしましょう」となり、紹介状を書いてもらいました。紹介状の送り先は、私の元の職場のがん拠点病院で、今仕事のつながりのある呼吸器内科の医師あてになりました。

そして紹介されて受診するのは通常時間がかかるのですが、たまたまこの外来に知り合いのママ友がいたので、すぐに送ってあげるねということで数日後の迅速紹介になりました。

 

その週のうちに呼吸器内科を受診し、スライスCTと頭部MRI、術前検査もすぐ入れてもらい、PETCTも通常時間がかかる予約をすぐにしてもらったりで、1週間くらいのうちに検査をフルで受けて、手術準備は終わり、手術の枠も手際よく入れていただくという早さで、2週間くらいで手術となりました。

 

ものすごく、バタバタしている間に「肺腺癌だと思うし、胸膜に近いからとにかく急いだほうがいい、見つかったのは本当にラッキーだよ」と医師に言われて、もうやるしかないと思い、手術しました。後のことはまったく考えてなくて、とにかく切ってしまわないと大変なことになるということで、切りました。

手術には後悔や恐怖はありませんでした。

コロナ禍で家族は入院時の手術説明後にはサヨナラで、術当日もエレベータ前で面会終わり(病棟内には立ち入り禁止)、ICUで術後に一瞬会うだけ、あとは退院日に病棟の外で待っていたくらいです。

 

入院中は、スタッフにママ友がいたので何回か来てくれて、あとは知り合いの医師が何人かお見舞いに来てくれて、

手術室もICUも病棟も大学の教え子や元の同僚や知り合いばかりで、入院生活は安心感はありました。

家族とはZOOMで面会して、実家の親ともZOOMや電話で話していました(個室にしたので、その辺は夜も昼も電話できたので良かったです)。

 

術後はとにかく体調が大変(痛いわ苦しいわ)でしたが、それも落ち着いてくると退院後の自宅では一人の時間も日中多かったので、ネットでとにかく肺がんの情報や闘病記などをみたり、本を買ってがんに関する情報ばかり見ていました。

 

肺がんは予後がよくないし、再発したら1年くらいしか生きられないとも書いてあります。

お墓はどうしよう(夫の家の墓には宗教的な理由で入りたくない)とか、子どもたちが大学や中学進学まで見ていないと、うちの夫はケチなので教育費を払ってくれそうにないなとか、職場で今年出世できそうだったのに、なぜ今こんなことになったんだろう、仕事もできなくなったらどうしよう、とかあれこれ考えました。

 

主治医は90%くらいは大丈夫と淡々と%だけ説明してくれましたが、そもそも肺がん、タバコも吸わないし、がん家系でもないのにとなぜなぜ思いました。

ちなみに私は、終末期の患者さんもたくさん看てきたし、緩和ケア病棟も通院がん治療も化学療法も放射線も手術も看護師としての経験は十分ありますので、どんな経過になるかパターンが浮かびました。

身内の看取りも最近して(胃がんで余命3ケ月)、そんなことも浮かびました。

 

まだ40代なのに、死ねないな~と思ったり、同じ肺腺癌の有名人の様子も気になりました。

4月いっぱいは気持ちはだいぶアップダウンして、遠方の70代の両親も面会できないこともありとても心配というかショックを受けていました。

5月は、家にいてもやることもないし、傷病休暇も長いと減給になるので復帰しました。

仕事は気分もよくなるし、今のことだけ考えられるのでよかったです。

まだ気持ちは落ち込んだりもありますが、周囲が心配するのでよくないなと思います。

読んだ本にも、余命宣告されても、最期まで生きることをあきらめなくてよいとあったので、まずは、早期に手術できた幸運に感謝して、

今のことだけ考えたいと思います。