今回はLUXEで平原綾香さんの歌に合わせてかなだいの二人が滑った「黒い鷲」について。

 

平原綾香さんがダイヤモンドの歌手となって歌う「パリ」の場面。テーマはシャンソン。愛の讃歌とラヴィアンローズは知っていましたが、フルフルと黒い鷲は今回初めて知りました。

 

この曲の歌詞を検索する過程で私はちょっと気になる情報を目にしてしまいました。それはこの曲を作詞作曲して歌ったバルバラという女性歌手が子供の頃父親に性的虐待を受け、黒い鷲はその父親の象徴であるという説。これが本当なら平原さん&かなだいの演技の素晴らしさがふっとんでしまうぐらいの嫌な情報です。

 

次に見つけたのはそれを否定する2つの説。どちらも黒い鷲につけられた副題(ローランスに捧ぐ)に関連したものです。

 

・黒い鷲は「眠れローランス」という小説にインスパイアされたもの

・黒い鷲はバルバラの姪ローランスに捧げられたもの

 

「眠れローランス」はフランスの作家ディディエ・ドゥコワンの作品で日本では後藤久美子主演で映画化もされています。ただ、この小説と黒い鷲が関連しているという情報は日本語だけで、英語やフランス語で検索しても全く見つかりませんでした。小説の内容と黒い鷲の歌詞もあまり結びつきません。

 

「ローランス=バルバラの姪」説の方は、バルバラ本人がインタビューで言っているソースが見つかりました。

 

では、「黒い鷲=父親」説はどうか。

この説を唱えたのはフランスの精神分析学者で作家フィリップ・グランベールPhilippe Grimbert。バルバラの死後に出版された未完の自伝に父親による性的虐待に関する記述があり、それと黒い鷲の歌詞を関連づけたものです。ただ、バルバラ本人は黒い鷲と関連があるとは一度も言ったことがないそうです。黒い鷲が発表されたのは1970年。バルバラが亡くなり自伝が発表されたのは1997年。Grimbertによるこの曲の分析が世に出たのは2004年。30年以上日本も含む世界中で愛されてきた名曲が精神分析学者によって辛く悲しい曲に変えられてしまったわけです。

 

では、実際の歌詞を見てみましょう。フランス語をグーグル翻訳で英語に直すときれいな訳が出てきたのでそれを日本語に訳してみました(繰り返しは省略)。ネット上にあった他の方のフランス語からの日本語訳も参考にしています。

 

ある晴れた日、あるいは夜だったか

私は湖の近くで眠っていた

そのとき、空を裂くように

どこからともなく黒い鷲が現れた

 

ゆっくりと羽根を広げ、

ゆっくりと輪を描くように

羽根の音と共に私に近づき

まるで空から落ちるように舞い降りた

 

ルビーのような瞳

夜の色の羽根

頭には光り輝く王冠

鳥の王様は青いダイヤモンドをつけていた

 

彼は嘴で私の頬に触れ

私の手に首を滑り込ませた

そこで私は彼が誰だかわかった

彼は過去から私の元に戻ってきたのだ

 

鳥よ私を連れていって

過去の国に帰ろう

昔のように子供の頃の夢のように

震えながら星を取りに

昔のように子供の頃の夢のように

白い雲に乗って

 

昔のように太陽に向かって

雨を降らし奇跡を起こそう

黒い鷲は羽根音を立てながら

空に戻っていった

夜の色の羽根を4枚と

一粒の涙もしくはルビーだけを残して

 

私は寒さに震えた

鳥は私の元を去った

悲しみだけを残して

 

グランベールの分析を私は読んでいないので、「黒い鷲=父親」説の根拠が実際どこにあるのかはわかりませんが、バルバラと父親の関係を知った上でこの歌詞を読むと太字にした部分が個人的には引っかかります。父親による性的虐待があったという先入観を持って読めば、精神分析学者でなくてもほとんどの人が鷲=父親だと思ってしまうのではないでしょうか。

 

ただこの「黒い鷲=父親」説には「ローランスに捧ぐ」という副題についての説明がありません

 

1970年に新しいアルバムを制作中だったバルバラが、数年前に自分が見た夢を書き留めたものを引き出しの中から見つける。それは鷲が自分のところに降りてくる夢だった。彼女はピアノに向かいこの歌詞に曲をつけた。

 

バルバラはこの曲についてインタビュー(いつのものかは不明)で「この曲は私の夢からできたものです。私はある日鷲が空から降りてくる夢を見ました。私が作った歌よりもはるかに美しい夢です。そして私はこの歌を4歳だった姪のローランスに贈りました。この夢を見てから実際にすごいことが私に起こりました!」と言っています。

 

美しい夢、夢を見てからすごいことが起こった(つまり吉兆)、ここから否定的なイメージは読み取れません。そして、何より重要なのは彼女がこの歌を姪のローランスに捧げたという事実

 

バルバラ自身には子供がいませんので、この姪を可愛がっていただろうということは容易に想像がつきます。「黒い鷲=父親」説は一見説得力があるように見えますが、10歳のときに父親の忌まわしい行為によって無垢だったはずの子供時代を奪われた女性が、その父親をイメージした歌をそのときの自分より幼い4歳の少女に捧げるでしょうか?私にはどうしてもそうは思えないのです。

 

バルバラ本人が亡くなっているので真実は誰にもわかりません。ただ、本人が言ってもいないことをその人が亡くなった後に赤の他人が勝手に分析して結論を出すのはどうなのかなと思います。もし私がローランスさんの立場だったら立ち直れないほど傷ついただろうと思います。おとぎ話のような美しい夢を見て、可愛い姪っ子のために作った曲だと作った本人が言っているのだからそれでいいじゃないですか。彼女自身の辛い体験も事実(本人が書き残しているので)ですが、それは歌の内容とは別の話です。

 

LUXEでこの曲を選んだ人は、もちろん日本でも人気のあったシャンソンの代表曲という認識だったと思います。岩谷時子さんによる訳詞は比較的原文に忠実ですが、王様ではなく王子様という言葉を使うなど、男女の恋愛をイメージさせるロマンチックな表現になっています。

 

かなだいが滑った振付も日本語の歌詞に沿ったもの。「耳のそばで熱く喘ぎながら囁いた」というところで2人が抱き合う部分は見るたびにドキッとしますね。

 

私自身はシャンソンやバルバラについて全く詳しくないですし、今回の記事の元になった情報は全てネットで探してきたもので、情報源として若干弱いものもあると思います。読みやすさを優先して文中にはリンクを貼りませんでした。

 

資料はこちら↓

黒い鷲(ローランスに捧ぐ)の謎資料

 

追記です。

「黒い鷲=父親」説のグランベールはwikipediaによると次のように言っています。

According to him, the song would describe a dream of Barbara, a dream in which she sleeps by a lake, until a black eagle bursts into the sky, disturbing her sleep. Barbara would recognize this eagle as a character emerging from her childhood memories, without telling the listener of the song what this character is.

この歌はバルバラの夢を描写したものだ。夢の中で、湖のほとりで眠る彼女の元に一羽の黒い鷲が突然空から現れ彼女の眠りを妨げる。この鷲は彼女の子供の頃の記憶から現れたものだと彼女は認識しているが、それが誰なのかは伝えていない。

 

ここで私が気になったのはバルバラの歌詞にはないdisturb(邪魔をする、妨げる)という表現です。この一言を加えるだけで、空から現れ彼女の側に降り立っただけの鷲が、ぐっすりと眠る少女の寝室に侵入し彼女に襲い掛かる父親のイメージにぴったり重なってしまうのです。

 

これはいわゆる印象操作だと私は思います。何度も言いますが、真相はバルバラ本人にしかわかりません。私は心理学や精神分析学を勉強したことはありませんが、常識的に考えてグランベールの分析には信頼性がないと思います。

 

さらに追記です(資料にも追記しています)。

バルバラは黒い鷲(1970)より前に父親の死をテーマにした曲ナントに雨が降る(1964)を発表しています。父親の葬儀の翌日から書き始め4年近くかかって完成させた曲です。父親が亡くなったときの心境について、彼女は自伝(1998)に次のように書いています。

彼が私にしたひどいことは全て忘れよう。私にとって一番辛いのは、強く憎んでいたこの父親に直接この言葉を届けられないことだ。「私はあなたを許します。だから安らかに眠りなさい。私には歌があるから立ち直ることができたのです。」

 

「バルバラは父親を愛していた」「バルバラは父親を許していた」というご意見をそれぞれメッセージとコメントでいただきました。ここからは私の想像でしかないのですが、愛情も許しもあったけれどどちらも100%ではないと思います。父親の死をテーマにした曲を4年もかけて書くぐらいですから愛情がないわけではない。亡くなったときに「許します」と言っている。ただ、心から許し愛していたら、後に自伝で告発するようなことはなかったと思います。

 

このナントに雨が降るという曲は、父親の死についてかなり具体的に描写した曲です。つまり、彼女にとって父親をテーマにすることはその時点でタブーではない。黒い鷲が父親をテーマにした曲ならば、わざわざ姪に捧げるという副題をつけることはなかっただろうというのが私の結論です。

 

 

 

 

 

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