⛩止止呂支比賣命神社⛩ | 御朱印で居心地いい日にしょう‼️

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神社仏閣めぐりと御朱印、御朱印帳の紹介 他

久宝寺から孫達が
やって来てるとの事😚
毎度の様におー暴れしてるらしい
バァ–バんちに暴れに来る
然も今日はお泊りするらしい 
愛らしいが恐ろしい奴らです😱
神社巡りも早目に切り上げて
バァ–バを助けてやらねば😊
【止止呂支比賣命神社】
社名の『トドロキ』とは当時の境内にあった
橋の名前から由来している
また稲田姫
『止止呂支比売』(トドロキヒメ)
呼んだことから由来する説や
境内に流れていた小川がせせらぐ音
『轟く』(トドロキ)から転訛したことが
由来とする説もある
元々は住吉大社の摂社(奥の院)
あったとされる
1220年(承久2年)に行われた
後鳥羽天皇による熊野詣の際に
住吉大社神主である津守経国によって
境内の松林内に行宮を立てられ
「若松御所」と呼ばれたことから
若松宮あるいは若松神社と称すようになった
平成24年頃の『若松宮』の御朱印
この前年には『止止呂支比賣命神社』
墨書きも見かけられた🧐
『霰松原荒神社』御朱印の登場で
『若松宮』も判子オンリーに
 なったのではないか😓
新しいオリジナル御朱印帳をいただくと
三種の御朱印❓が予め書かれている😚
表紙の裏には 
神社の印と墨絵『松原』が描かれています🥴
《天水分豊浦命神社》
祭神 三宝荒神
(天水分命 奥津彦命 奥津姫命
大国主命 事代主命
式内社で旧社格は無格社
『霰松原荒神社』とも呼ばれ
元々は大阪市住之江区安立2丁目に
鎮座していたが1907年(明治40年)
合祀された
因みに現在も霰松原荒神の祠は
存在しています
更に万葉集にも
『霰打つ  あられ松原  すみのえの  
弟日おとめと  見れど飽かぬかも』
            長皇子
以前は『霰松原荒神社』の印でした🥴
以前の『霰松原荒神社』の御朱印
判子オンリーだった🥴