「無私明方」

(わたくし)が無い事で進むべき正しい方向が見えて来るって、夢の中で菩薩がボソッとそう言った


なぜ菩薩かと言うと、

何となくそう感じただけだ


なぜ「無我明方」じゃないかと言うと、

夢の中でそう出たからだ


あとなんか大切な事を言ってたけど、忘れた()


大事な事はいつも忘れる


忘れる様にできてる


忘れて、

今生に没頭するようになってんのかな?

そんな気もする


無私明方

大した事じゃない

ただ無私になった時、曇りが晴れて一筋の道が現れる

ドンと一本ぶっといのが、明らかにこの道じゃん!って言うのが出てくる

曇りが晴れて見えてくる

そんなイメージだ


無私に至る前、「我が先に」とか、「私はこうだ!」と頑張ってる時は、この道が見えなかったが、

色々やり尽くしてもうまくいかなかった時に諦めて「私」を一旦横に置かざる負えなくなって、流れに身が任されると、目の前の曇りが晴れてきて、道が見えてくる


無私明方のイメージだ。


「無私明方」は「無我明道」とも言える感じもするが、

「無私明方」は動詞で、「無我明道」は名詞な気がするから「無私明方」を選んでるのかも知れない


動詞であれば先があり、動き続けるが、

名詞だとなんかそこで止まっちゃう感じがして、

僕が表現したいのはその"働き"だから

ピタ!っと止まっちゃあ困る()

動詞が良い


人生とは怖れとの闘い(向き合い)でもある

「私」を横に置いて、私以外に身を任せる事が怖ろしくてできない

でももし全ての現象に善悪がなく、ただあなたを導く"作用"だとしたら

「私」が導きを邪魔してた事になる

だから

「私」を一旦横に置いて、初めて曇りが晴れてきて道が見えてくるが、

「私」をまた抱えると曇りも元通りになって道が見えなくなる


動詞だ、これは()

絵じゃなく動画をイメージするといい


この世に善悪はない

善悪があると勘違いしてる限り、「無私」と言う生き方はできない

善悪があると言う事を勘違いしてる人がいる限り、無私で生きようとする人も足を引きずられる

自分だけ助かる事はできない

環境がそうさせない

救われたいなら、みんな救わなきゃいけない

面倒臭えーけど、現世(ここ)はそうゆうルールらしい



僕の今の課題で、「無我」と言うのがある

今の課題って言ってるがw

一生やっても良いくらい簡単では無い


今回こんな夢を見たのも

それと関係してると思う



「無私明方()

是非使ってみて下さい