長女は、
希学園(小学1年~3年)
→日能研(小学4年~6年)を経て中学へ。

次女は、
希学園(小学1年~3年)
→自宅学習(小学4年)
→臨海セミナー(小学5年~6年)を経て中学へ進学しました。

これまで、

長女と次女の中学受験について、

いろいろ振り返ってきました。

最近は、

高校3年生になった長女の大学受験についても、

少しずつ書くようになりました。

そこで改めて感じることがあります。

それは、

中学受験のためにつくったと思っていた習慣の中には、実はもっと前から始まり、その後もずっと続いているものがある

ということです。

今回は、

長女の現在の大学受験を見ながら、

中学受験の経験が、

その後どのようにつながっているのかを書いてみたいと思います。

■一番大きいのは、やはり「毎日勉強する習慣」

我が家では、

長女も次女も、

3歳の誕生日の日から、

毎日、

読み・書き・計算をしていました。

最初は、

本当に短い時間です。

5分程度でもよい。

大切にしていたのは、

たくさんやることではありません。

毎日机に向かうこと。

でした。

勉強することを、

特別なことにしない。

毎日少しやる。

やらない日があると、

何となく気持ち悪い。

そこまで習慣にしておく。

当時は、

それが小学校受験にどうつながるか。

中学受験にどうつながるか。

大学受験にどうつながるか。

そこまで考えていたわけではありません。

でも、

今振り返ると、

3歳の頃から続けた習慣が、小学校受験、中学受験、そして大学受験まで、すべての土台になった

のだと思います。

■「勉強しなさい」と言わなくても勉強する

大学受験を迎えた今、

長女に対して、

親が、

「今日は勉強したの?」

「何時間やったの?」

と管理することはありません。

本人が、

必要だと思うことを、

必要なだけ進めています。

これは、

高校3年生になったから、

急にできるようになったわけではないと思います。

小さい頃から、

毎日勉強することが普通だった。

小学生になっても続いた。

中学受験でも続いた。

中学生、高校生になっても続いた。

その延長に、

今があります。

だから、

本人にとって、

「勉強するか、しないか」を毎日決断する必要がない

のだと思います。

勉強するのが普通。

やらない方が、

何となく気持ち悪い。

これは、

かなり大きなことだったと思います。

■習慣があれば、勉強の中身に集中できる

勉強習慣がない状態から、

受験学年になって、

「毎日勉強しよう」

とするのは、

それだけでも大変です。

机に向かう。

スマートフォンを置く。

今日は何をするか決める。

勉強を始める。

毎日、

そこから始めなければなりません。

でも、

毎日勉強すること自体が習慣になっていれば、

考えるのは、

「今日は何を勉強するか」

です。

勉強するかどうかではない。

この違いは、

大学受験になるほど大きいのではないかと思います。

■小学校受験、中学受験、大学受験で勉強の中身は変わった

もちろん、

3歳の頃と、

高校3年生の今では、

やっていることはまったく違います。

3歳の頃は、

ひらがなを読む。

一、二、三と書く。

0から9を書く。

簡単な足し算、引き算をする。

中学受験では、

算数。

国語。

理科。

社会。

そして現在は、

大学受験です。

内容は、

どんどん変わっています。

でも、

変わっていないものがあります。

毎日、自分がやるべきことをやる。

ここは、

ずっと同じです。

■模試は「良かった、悪かった」で終わらせない

大学受験になっても、

模試はたくさん受けます。

以前の記事では、

第2回全統記述模試について書きました。

良い判定が出ても、

長女本人は、

それほど喜ばず、

すでに次を見ていました。

長女にとって、

模試は、

自分の弱点を知るためのもの

なのだと思います。

これは、

中学受験の頃と、

かなり似ています。

我が家では、

中学受験のテストでも、

順位だけを見るのではなく、

どこを間違えたかを見るようにしていました。

できなかったところを、

次にできるようにする。

高校3年生になっても、

基本は同じです。

■模試は「自分の現在地を知るもの」

模試で、

A判定だった。

偏差値が高かった。

もちろん、

良い結果です。

でも、

そこで終わるわけではありません。

英語なら、

何を落としたのか。

数学なら、

どこで失点したのか。

国語なら、

どの問題に課題があったのか。

歴史なら、

どの分野に穴があるのか。

そこを見る。

つまり、

模試は、

自分を評価するためだけのものではなく、

次の勉強を決めるための情報

になっています。

中学受験の頃に書いた、

「偏差値は現在地。答案は次に何をするかを考えるもの」

という考え方は、

大学受験でも変わっていないように思います。

■今は、予習も復習も本人がすべて管理している

現在、

長女の勉強について、

親はほとんど管理していません。

学校の授業。

予習。

復習。

模試。

受験勉強。

それぞれを、

本人が自分でコントロールしています。

今日は何をやる。

今週は何を優先する。

どこまで復習する。

どの科目に時間を使う。

そういうことを、

親が決めることはありません。

これは、

中学受験の頃から、

少しずつ本人に任せてきたことの延長なのだと思います。

■最初から全部自分でできたわけではない

もちろん、

小学1年生の頃から、

すべて自分で計画できたわけではありません。

小さい頃は、

親が環境を整えます。

教材を用意する。

丸付けをする。

塾を調べる。

必要なところは、

親が手伝う。

でも、

少しずつ、

本人に返していく。

何を勉強するか。

いつ勉強するか。

分からないことを誰に聞くか。

そういう部分を、

年齢とともに本人へ移してきました。

今は、

その結果として、

親がほとんど関与しなくても、

本人が自分で進めています。

■計画も、一人で抱え込まない

長女を見ていて、

もう一つ感じることがあります。

自分で勉強を管理するというと、

すべて自分一人で決めることのようにも聞こえます。

でも、

実際には違います。

長女は、

学校のOGや先生にいろいろ質問し、今後の計画を考える参考にしている

ようでした。

これは、

とてもよいことだと思っています。

自分で決める。

でも、

分からないことは、

経験のある人に聞く。

その話を参考にして、

最後は自分で判断する。

これも、

一つの「自分で考える」だと思います。

■OGに聞ける環境を使う

学校には、

すでに大学受験を経験したOGがいます。

実際に、

同じ学校で学び、

同じような受験を経験した先輩です。

そうした人から、

どの時期に何をしていたのか。

どう勉強したのか。

何を意識したのか。

話を聞ける。

これは、

かなり貴重な情報だと思います。

インターネット上には、

大学受験の情報がたくさんあります。

でも、

実際に自分と近い環境で受験した人の話は、

より具体的です。

長女が、

そうした情報を自分から集め、

自分の計画の参考にしているのを見ると、

中学受験の頃よりも、

さらに自分で受験を組み立てるようになったと感じます。

■我が家は予備校を利用していない

現在、

我が家では、

長女の大学受験に、

予備校を利用していません。

だからといって、

分からない問題を、

一人で全部解決しているわけではありません。

勉強していて、

分からないことが出てくる。

疑問が出てくる。

そのときは、

学校の先生に質問する。

基本的には、

それですべて解決しています。

■「分からなければ先生に聞く」は、小学生の頃から同じ

ここも、

中学受験の頃から、

変わっていません。

長女について、

親が算数を教えたのは、

小学2年生まででした。

小学3年生以降は、

分からない問題があれば、

「先生に聞いておいで」

でした。

当時は、

塾の先生。

今は、

学校の先生。

相手は変わりました。

でも、

やっていることは同じです。

分からない。

そのままにしない。

分かる人に聞く。

説明を受ける。

自分で理解する。

この習慣が、

高校3年生になった今も続いています。

■予備校へ行かないこと自体が目的ではない

もちろん、

これは、

「予備校へ行かない方がよい」

という話ではありません。

必要であれば、

予備校を使えばよいと思います。

本人に合う環境なら、

それでよい。

我が家の場合は、

現在、

学校の授業と先生方を活用することで、必要な勉強ができている

ということです。

分からないことがあれば、

学校の先生へ聞く。

受験計画についても、

先生やOGへ相談する。

その環境を、

本人が自分で使っています。

だから、

今のところ、

予備校を追加する必要を感じていません。

■「自分で勉強する」は、一人で全部やることではない

大学受験を見ていて、

改めて感じます。

自立して勉強するというと、

一人で黙々と、

何でも自分だけで解決することのように思えます。

でも、

私は、

そうではないと思っています。

自分で、

何をするか考える。

分からないことを見つける。

必要なら、

先生に質問する。

経験者に相談する。

その情報を踏まえて、

また自分で考える。

これも、

十分に、

自分で勉強を進める力

です。

■中学受験で大切だったことが、そのまま残っている

長女の大学受験を見ていると、

中学受験の頃に大切にしていたことが、

かなり残っています。

毎日勉強する。

模試から弱点を探す。

自分で計画する。

分からなければ先生に聞く。

必要な人に相談する。

親が全部決めない。

こうして並べてみると、

大学受験になったから、

急に新しい勉強の仕方を身につけたわけではありません。

これまで少しずつ身につけてきたものを、大学受験でも使っている

のだと思います。

■3歳から大学受験まで、一つにつながっていた

3歳の頃、

5分程度の読み・書き・計算から始まりました。

小学校受験がありました。

中学受験がありました。

そして、

今は大学受験です。

それぞれ、

勉強する内容は全然違います。

求められるレベルも違います。

でも、

土台の部分は、

意外と変わっていません。

毎日勉強する。

自分の弱点を知る。

自分で計画する。

分からなければ人に聞く。

そして、

また勉強する。

この繰り返しです。

■受験のたびに勉強習慣をつくり直さなくてよかった

今振り返ると、

3歳から毎日机に向かっていたことの一番大きな意味は、

先取りができたことではなかったと思います。

受験が来るたびに、

「さあ、今日から勉強する習慣をつけよう」

としなくてよかったこと。

小学校受験のときも。

中学受験のときも。

大学受験のときも。

勉強すること自体は、

すでに日常でした。

だから、

それぞれの受験では、

「勉強する習慣」ではなく、

「何を勉強するか」

に集中できた。

これは、

かなり大きかったのではないかと思います。

■親が管理しなくても進むところまで来た

中学受験の頃は、

親も、

それなりに関わりました。

丸付けをする。

塾を調べる。

学校を調べる。

受験日程を組む。

でも、

高校3年生になった今、

そういうことはほとんどありません。

本人が、

授業を受ける。

予習・復習をする。

模試を受ける。

弱点を確認する。

先生へ質問する。

OGにも相談する。

そして、

自分で計画を修正する。

親は、

それを外から見ています。

これまで書いてきた、

「親は環境を整える。でも最後は本人が進む」

という形が、

大学受験では、

かなり完成に近づいているのかもしれません。

■3歳の5分が、ここまで続くとは思っていなかった

3歳の頃、

毎日少しずつ勉強していたとき、

高校3年生の大学受験まで、

その習慣が続くことを、

具体的に想像していたわけではありません。

でも、

今、

長女の姿を見ていると、

あの頃につくった、

「勉強しないと何となく気持ち悪い」

という感覚が、

今も根っこにあるように思います。

勉強時間を親が管理しなくても、

勉強する。

模試を受ければ、

弱点を見る。

分からなければ、

自分から先生へ聞く。

必要なら、

OGにも相談する。

そして、

自分で次を考える。

中学受験を終えた頃には、

その先まで見えていませんでした。

でも、

大学受験を迎えた今になって、

改めて思います。

我が家で一番長く役に立っている受験対策は、特別な教材でも塾でもなく、3歳の頃から始めた「毎日勉強することを普通にする」という習慣だったのかもしれません。

長女は、
希学園(小学1年~3年)
→日能研(小学4年~6年)を経て中学へ。

次女は、
希学園(小学1年~3年)
→自宅学習(小学4年)
→臨海セミナー(小学5年~6年)を経て中学へ進学しました。

これまで、

長女と次女の中学受験について、

いろいろ振り返ってきました。

今回は少し時間を現在に戻して、

高校3年生になった長女の、

第2回全統記述模試

について書いてみたいと思います。

中学受験の頃から何年もたち、

今は大学受験。

模試の内容も、

もちろん難しさも、

中学受験とはまったく違います。

でも、

成績表を見ながら感じたのは、

「模試をどう受け止めるか」という部分は、中学受験の頃とそれほど変わらない

ということでした。

■第2回全統記述模試の結果

今回の結果は、

英語 172/200 偏差値74.1
数学 197/200 偏差値73.5
国語 159/200 偏差値88.3
日本史 92/100 偏差値76.1
世界史 93/100 偏差値75.7

文系総合の偏差値は79.5でした。

東京大学文科一類、文科二類、一橋大学法学部、京都大学法学部など、登録した主要な志望校についてもA判定となっています。

親から見れば、

当然、

「よくできたな」

と思う結果です。

でも、

本人の反応は、

こちらが思っていた以上に淡々としていました。

■A判定でも、それほど喜ばない

長女は、

今回の結果を見ても、

A判定だからといって、特に大喜びすることはありませんでした。

もう、

次を見ています。

これは、

親として少し印象的でした。

もちろん、

結果が良くなかったわけではありません。

むしろ、

かなり良い結果です。

でも、

本人にとっては、

「A判定を取ること」がゴールではないのでしょう。

模試は模試。

本番ではありません。

良い判定が出たから、

何かが確定したわけでもありません。

だから、

必要以上に喜ばず、

次の勉強へ進む。

高校3年生になると、

そういう受け止め方になるのだなと思いました。

■国語は非常に良かった

今回、

数字の上で特に目立つのは国語です。

159/200。

偏差値88.3。

全国順位も32位でした。

設問別に見ると、

現代文の一つは32/50でしたが、

もう一つの現代文は46/50、

古文42/50、

漢文39/50。

特に古文は、

同じ学力レベル層の平均得点率を大きく上回っています。

単に、

「国語の偏差値88.3だった」

で終わるのではなく、

どこで点を取れて、

どこにはまだ余地があるのか。

成績表を細かく見ると、

同じ国語の中でも見え方が変わります。

■数学は197点。それでも見るところはある

数学は、

197/200。

ほぼ満点でした。

偏差値73.5です。

設問別では、

小問集合50/50。

微積分総合50/50。

数列50/50。

確率47/50。

失点はわずか3点です。

これだけ取れていれば、

数学については、

まず現在の力を維持することが大切なのだと思います。

197点を見て、

「次は200点を取らなければ」

と考えるより、

なぜ3点落としたのかを確認し、

同じ失点を本番でしない。

それで十分です。

高得点の科目ほど、

新しいことを増やすより、

再現性を高める

ことの方が重要なのではないかと思います。

■英語は172点。でも、答案を見ると次が見える

英語も、

172/200。

偏差値74.1。

十分に良い結果です。

ただ、

設問別に見ると、

すべてが同じように取れているわけではありません。

リスニング15/15。

文法・語法20/20。

一つ目の総合問題60/60。

一方で、

もう一つの総合問題は45/60。

英作文は32/45でした。

これを見ると、

「英語偏差値74.1だから問題なし」

だけでは終われません。

総合問題で落とした15点。

英作文で落とした13点。

ここを、

答案と解答・解説を見ながら確認する。

なぜ落としたのか。

読み違いなのか。

記述不足なのか。

表現の問題なのか。

時間なのか。

その原因が分かれば、

次の勉強につながります。

■日本史・世界史も、点数だけでは見えない

日本史は92/100。

世界史は93/100。

どちらも非常に良い結果でした。

ただ、

こちらも設問別に見ると、

それぞれ差があります。

日本史では、

中世の経済が18/20。

中世近世政治が20/20。

一方で、

古代の外交は28/30で、

同じ学力レベル層との比較では相対的に弱かった設問として示されています。

世界史でも、

女性君主26/26。

絵画の表現史24/24。

一方、

世界の一体化21/24、

近代国家形成22/26でした。

90点を超えたから終わりではなく、

落とした数点が、

どこから生まれたのか。

そこを見る。

大学受験では、

その数点が本番で大きな差になることもあります。

■A判定は「合格」ではない

今回、

東京大学文科一類・文科二類についてもA判定でした。

文科一類では、

第1志望者676人中2位。

総志望者1103人中3位。

文科二類でも、

第1志望者629人中2位、

総志望者1100人中3位でした。

数字だけを見ると、

かなり良い位置にいます。

でも、

A判定は、

合格通知ではありません。

河合塾の成績表でも、

A判定は「合格可能性80%以上」という位置づけです。

80%以上ということは、

100%ではありません。

そして、

本番で問われるのは、

模試の偏差値ではなく、

その日に出された問題を解けるかどうかです。

だから、

本人が、

A判定にそれほど反応せず、

もう次を見ているのは、

それでよいのだと思います。

■第3回全統記述模試は「次の確認」

河合塾は、

第3回全統記述模試を、

受験直前期に入る前に、実戦力・総合力を確認する模試

と位置づけています。

また、

国公立大学については、

第3回全統共通テスト模試とのドッキングによって、

共通テストと二次試験を合わせた総合評価も行われます。

ですので、

第2回から第3回へ向けて大切なのは、

「次もA判定を取る」

だけではないと思います。

夏までに身につけた力が、

秋になっても再現できるか。

記述で取り切れるか。

時間内にまとめられるか。

そして、

共通テスト型の力と、

二次試験型の力を両立できているか。

そこを確認する模試になっていくのだと思います。

■第3回の平均点は、受ける前には分からない

ここは、

模試を見るうえで注意したいところです。

第3回は、

第2回より平均点が何点下がる。

あるいは、

必ず難しくなる。

そう単純には言えません。

問題が違えば、

平均点も変わります。

そのため、

受験前から、

「今回は難しいはず」

「平均点はこのくらい」

と予想しすぎる必要はないと思っています。

大切なのは、

受験後に公表される平均点や偏差値を見て、

自分の得点を相対的に確認することです。

河合塾も各回について成績統計資料を公開しているので、平均点や順位は結果がそろった段階で確認できます。

■模試は、判定より「答案」を使う

これは、

長女の中学受験の頃から、

我が家で変わっていない考え方です。

偏差値は現在地。
答案は、次に何をするかを考えるもの。

今回であれば、

数学197点なら、

3点をどう落としたのか。

英語172点なら、

総合問題と英作文で何を落としたのか。

国語159点なら、

32/50だった現代文をどう見るのか。

日本史・世界史なら、

数点の失点が知識不足なのか、

論述や判断の問題なのか。

そこを見る。

A判定という一文字より、

こちらの方が、

次の模試や本番には役立つと思います。

■復習は「全部やり直す」必要はない

今回のような結果の場合、

全科目を最初から全部やり直す必要はないと思います。

むしろ、

優先順位をつける。

例えば、

①間違えた問題

まず、

当然ここです。

なぜ間違えたのか。

もう一度解けばできるのか。

知識が抜けているのか。

確認する。

②正解したけれど、自信がなかった問題

正解しているので、

成績表だけでは問題に見えません。

でも、

本番でも同じように取れるとは限りません。

たまたま正解した問題は、

実質的には復習対象です。

③時間がかかった問題

正解でも、

時間を使いすぎた問題があります。

大学入試は時間制限があります。

もっと短く処理できないか。

ここも確認する。

④記述・論述の答案

大学受験では、

「分かっていた」だけでは点になりません。

採点者に伝わる形で書けたか。

模範解答と、

自分の答案を比べる。

ここは、

記述模試ならではの復習だと思います。

■解答を読むだけで終わらせない

模試の復習で、

一番もったいないのは、

解答・解説を読んで、

「なるほど」

で終わることだと思います。

解説を読めば、

分かった気になります。

でも、

大切なのは、

解答を閉じて、もう一度自分でできるか

です。

これは、

中学受験の頃と同じです。

間違えた。

解説を読む。

理解する。

そして、

自分で解く。

最後に、

何も見ずにできるところまで持っていく。

そこまでやって、

復習が終わるのだと思います。

■今回の成績なら「弱点探し」より「失点管理」

今回の結果を見る限り、

どの科目も学力レベルはSです。

ですので、

大きな弱点科目を探して、

一から立て直す段階ではないと思います。

むしろ、

今持っている力を、本番でどれだけ確実に点へ変えられるか。

こちらが大切になります。

英語の記述。

国語の現代文。

歴史の数点。

数学のわずかな失点。

こうしたものを、

一つずつ減らす。

新しいものを大量に増やすより、

今ある力の精度を上げる。

第3回へ向けては、

そのような勉強の方が合っているように見えます。

■第3回で見るのは「偏差値が上がったか」だけではない

第3回が返ってきたとき、

第2回の文系偏差値79.5より上がった。

下がった。

それだけで判断する必要はありません。

問題が違います。

平均点も違います。

受験者集団も完全に同じではありません。

見るべきなのは、

第2回で確認した課題が、第3回でどうなったか。

です。

英語の記述は改善したか。

国語の失点は減ったか。

歴史で知識の穴を埋められたか。

数学の精度を維持できたか。

そういう比較なら、

第2回を受けた意味があります。

■模試の結果を「次の学習計画」に変える

模試を受けたら、

結果を見て終わりではなく、

次の学習へ落とし込む。

今回なら、

大きく勉強方法を変える必要はなさそうです。

むしろ、

1.今回失点した問題を復習する
2.記述答案を見直す
3.原因ごとに整理する
4.同じ失点をしないための勉強を続ける
5.第3回で再確認する

このくらいでよいのではないかと思います。

模試のたびに、

勉強方法を全部変えていたら、

何を積み上げているのか分からなくなります。

■良い結果のときほど、淡々と次へ

今回、

親の私が一番印象に残ったのは、

偏差値88.3でも、

文系偏差値79.5でも、

東大A判定でもありませんでした。

本人が、それほど喜ばず、もう次を見ていたこと

です。

悪い結果のときに落ち込みすぎない。

良い結果のときに浮かれすぎない。

結果は結果として受け止めて、

次に必要なことをする。

これは、

中学受験のときから、

我が家が大切にしてきたことでもあります。

■中学受験の頃と、やはり同じだった

長女の中学受験の頃、

我が家では、

テストについて、

「何位だったか」

だけを見ないようにしていました。

間違えた問題を見る。

次に解けるようにする。

それを繰り返す。

高校3年生になり、

模試の難易度も、

志望校も、

学習内容も大きく変わりました。

でも、

結局、

やることは似ています。

模試は、合否を決めるものではない。
今の位置を確認して、次の勉強を決めるもの。

今回の第2回全統記述模試は、

非常に良い結果でした。

だからこそ、

「A判定だった」で終わらせない。

答案を見て、

数点の失点まで確認する。

そして、

第3回へ。

その先の本番へ。

長女本人が、

すでに次を見ているのであれば、

親も、

結果を必要以上に喜んだり心配したりせず、

本人と同じように、淡々と次を見る。

大学受験でも、

我が家の親としての距離感は、

中学受験の頃と、

あまり変わらないのかもしれません。

長女は、
希学園(小学1年~3年)
→日能研(小学4年~6年)を経て中学へ。

次女は、
希学園(小学1年~3年)
→自宅学習(小学4年)
→臨海セミナー(小学5年~6年)を経て中学へ進学しました。

これまで、

中学受験について、

勉強。

塾。

テスト。

過去問。

志望校。

親の関わり方。

いろいろなことを書いてきました。

でも、

二人の受験を振り返ると、

もう一つ、

かなり大きかったものがあります。

それが、

塾でできた友達

です。

今回は、

中学受験を通してできた、

「塾友達」について振り返ってみたいと思います。

■塾は、勉強するだけの場所ではなかった

親から見ると、

塾は、

どうしても「勉強する場所」に見えます。

授業を受ける。

テストを受ける。

宿題をする。

質問をする。

でも、

子どもにとっては、

それだけではなかったのだと思います。

同じ曜日に通う。

同じ教室で勉強する。

同じ先生の授業を受ける。

同じように受験へ向かう。

そうしているうちに、

自然に友達ができます。

長女も次女も、

塾で友達ができたことを、

かなり楽しんでいました。

■長女は、塾友達ができたこと自体を楽しんでいた

長女は、

塾で友達ができたことを、

とても楽しんでいました。

一緒に授業を受ける。

一緒に自習する。

話をする。

小学6年生になると、

友達と一緒に勉強することが、

自習へ行くきっかけにもなりました。

親からすると、

「勉強は一人でするもの」

と考えがちです。

でも、

長女にとっては、

友達がいることが、塾へ行く楽しさの一つになっていた

のだと思います。

■友達がいたから、自習にも行くようになった

以前の記事でも書きましたが、

長女は小学6年生頃から、

授業のない日にも、

友達と一緒に塾へ自習に行くようになりました。

これは、

親が、

「今日は自習へ行きなさい」

と決めたものではありません。

友達と一緒に勉強する。

その約束があるから、

塾へ行く。

そこで勉強する。

分からないことがあれば、

先生に質問する。

結果として、

自習する時間が増えていきました。

そう考えると、

塾友達は、

単に楽しく話す相手ではなく、

勉強を続ける環境の一部

にもなっていました。

■受験が終わっても、つながりが続いた

長女の場合、

塾友達との関係は、

中学受験が終わったところで終わりませんでした。

卒業して、

それぞれ別の学校へ進んでも、

LINEでつながっています。

そして、

今では、

大学受験へ向けて、

お互いの存在が励みになっているようです。

中学受験のときに、

同じ教室で勉強していた友達。

それぞれ別の学校へ進学して、

高校生活を送り、

今度は大学受験へ向かう。

そう考えると、

かなり長い付き合いになっています。

■中学受験の「競争相手」だけではなかった

受験という言葉がつくと、

どうしても、

周りの子どもは、

「競争相手」

のように見えることがあります。

同じ学校を受ける。

順位を競う。

偏差値を比べる。

でも、

本人たちからすれば、

必ずしもそうではありません。

同じ問題で苦労する。

同じ先生の話を聞く。

同じようにテストを受ける。

そして、

同じ時期に受験を迎える。

そういう相手だからこそ、

分かり合えることもあるのだと思います。

長女を見ていると、

塾友達は、

競争相手というより、

一緒に受験生活を過ごした仲間

に近かったように思います。

■次女も、塾友達との会話を楽しんでいた

次女も、

塾で友達ができました。

ただ、

長女とは少し雰囲気が違いました。

次女の場合、

共通の、

かわいらしいグッズ

について話をして、

友達と盛り上がっていました。

受験勉強をしているからといって、

話題が全部、

算数。

国語。

偏差値。

志望校。

になるわけではありません。

普通の小学生です。

好きなものの話をする。

かわいいものについて盛り上がる。

そういう時間もあります。

■「受験生」である前に、小学生

この次女の様子を見ていると、

改めて、

受験生である前に、小学生なのだ

と思います。

塾へ行けば、

勉強はします。

でも、

休み時間には、

友達と普通の話をする。

好きなものの話をする。

笑う。

そういう時間も、

塾へ通う楽しさの一つだったのだと思います。

親から見ると、

つい、

「塾へ行ったなら勉強してほしい」

と思います。

でも、

本人にとっては、

塾も生活の一部です。

そこに、

楽しい人間関係があることは、

悪いことではありません。

■友達がいることで、塾へ行きやすくなる

これは、

長女にも次女にも共通していたと思います。

塾は、

何年も通います。

授業がある日。

テストの日。

自習の日。

疲れている日もあります。

そんなとき、

知っている友達がいる。

会えば話せる。

同じ時間を過ごせる。

それだけでも、

塾へ行く心理的なハードルは、

かなり下がると思います。

「勉強しに行く」だけではなく、「友達もいるから行く」

という要素があっても、

我が家ではよいと思っていました。

■親が「遊んでいる」と決めつけない

友達と話している。

LINEをしている。

かわいいグッズの話をしている。

一見すると、

受験勉強とは関係ありません。

でも、

だからといって、

すぐに、

「遊んでばかり」

と決めつける必要はないと思います。

友達と話すことで、

気分転換になる。

塾へ行くことが楽しくなる。

また勉強しようと思える。

そういうこともあります。

中学受験は、

何年も続きます。

ずっと張り詰めたままでは続きません。

だから、

勉強とは直接関係のない楽しさも、塾生活の一部

でよいと思っています。

■長女と次女で、友達との関わり方も違った

ここでも、

姉妹で違いがありました。

長女は、

友達と一緒に勉強することが、

自習へ行くきっかけになりました。

そして、

受験後もLINEでつながり、

今では大学受験への励みにしています。

次女は、

共通のかわいらしいグッズの話題で、

友達と盛り上がっていました。

同じ「塾友達」でも、

関わり方は違います。

長女は、

勉強とのつながりが強い。

次女は、

日常の楽しさが強い。

でも、

どちらも、

その子なりの塾の居場所

になっていたのだと思います。

■塾選びでは、人間関係も意外と大切

塾を選ぶとき、

親が見るものは、

どうしても、

合格実績。

授業内容。

教材。

費用。

通いやすさ。

そういうものになります。

もちろん、

どれも大切です。

でも、

実際に通い始めると、

先生だけでなく、

周りの友達との関係も、

かなり大きいと思います。

親が事前に、

「この友達関係なら大丈夫」

と選ぶことはできません。

でも、

本人が、

塾を嫌がらず、

むしろ楽しそうに通っているのであれば、

それも、

その塾が本人に合っている一つのサイン

なのかもしれません。

■成績だけでは見えない「塾が合っている」

塾が合っているかを考えるとき、

成績だけを見ると、

偏差値が上がったか。

クラスが上がったか。

合格可能性がどうか。

という話になります。

でも、

それだけではありません。

先生に質問できる。

自習へ行ける。

友達ができる。

塾へ行くことを嫌がらない。

そうしたことも、

長く通ううえでは大切です。

長女も次女も、

塾友達との時間を楽しんでいたことを考えると、

「ここに来るのが嫌ではない」ことの大切さ

を感じます。

■友達との関係は、親がつくるものではない

勉強については、

親が環境を整えることができます。

塾を調べる。

教材を準備する。

送り迎えをする。

でも、

友達との関係は、

親がつくるものではありません。

本人たちが、

同じ場所で過ごす中で、

自然にできていくものです。

だからこそ、

塾友達については、

親が細かく介入するより、

本人が楽しそうなら、

見守るくらいでよかったのだと思います。

■長女を見ると、受験後にも残るものがある

長女が、

塾友達と今もLINEでつながり、

大学受験への励みにしている姿を見ると、

中学受験で得たものは、

やはり合格だけではなかったと思います。

受験が終われば、

教材は使わなくなります。

偏差値表も見なくなります。

過去問も終わります。

でも、

人とのつながりは、

その先まで残ることがあります。

小学6年生のときに、

一緒に勉強した友達が、

高校3年生になっても、

それぞれ頑張っている。

これは、

親から見ても、

よい出会いだったと思います。

■「同じ目標を持った友達」がいる経験

学校の友達とは、

また少し違います。

塾では、

みんなが、

それぞれ中学受験へ向かっています。

志望校は違っても、

同じように、

授業を受ける。

宿題をする。

テストを受ける。

入試へ向かう。

その中でできた友達だからこそ、

共有できるものもあったのだと思います。

長女が今も、

その友達の存在を、

大学受験への励みにしているのを見ると、

同じ目標に向かって頑張った友達を持つ経験

そのものにも、

意味があったと思います。

■次女の「かわいいグッズ」の話も大切だった

一方で、

次女の話も、

私は同じくらい大切だと思っています。

塾友達と、

かわいらしいグッズについて話して、

一緒に盛り上がる。

受験とは、

まったく関係ありません。

でも、

そういう話ができる友達がいる。

塾へ行けば、

そういう楽しみもある。

それでよいと思います。

何でも受験に結びつける必要はありません。

受験期にも、普通の小学生として笑える時間がある。

それも、

長い受験生活を続けるうえでは、

意味があったのではないかと思っています。

■中学受験で得た「人とのつながり」

二人の中学受験を振り返ると、

塾は、

単に学力を上げるための場所ではありませんでした。

先生と出会う。

友達と出会う。

一緒に勉強する。

一緒に笑う。

そして、

場合によっては、

受験後もつながっていく。

そうした、

人とのつながりが生まれる場所

でもありました。

中学受験というと、

どうしても、

偏差値や合格校の話になりがちです。

でも、

長女が今も塾友達とつながり、

次の大学受験への励みにしていること。

次女が、

友達と好きなグッズの話で盛り上がりながら、

塾へ通っていたこと。

こうしたことも含めて、

我が家の中学受験だったのだと思います。

そして今振り返ると、

「一緒に頑張った友達ができたこと」も、中学受験で得た大切なものの一つだった

と思っています。