最近さぁ、動画界隈で『末路』って言葉の使われ方がおかしくて気になるw
良い結果が出たという表現に使われてるっぽいんだよね
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おれの記憶だと『末路』は「あまり良い結果にはならなかった…どっちかってーと悲惨?」って意味や使われ方だと思っていたんで、改めて調べてみたw
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~【末路の意味】~
1.道の終わり。
2.一生の最後。晩年。ばつろ。「人生の―」
3.盛りを過ぎて衰え果てた状態。なれのはて。ばつろ。「英雄が哀れな―をたどる」
出典:デジタル大辞泉(小学館)「まつ‐ろ【末路】」
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(`・ω・´)うん、おれの記憶で良かったw
リールやら動画のサムネでは『◯◯した人の末路(←健康情報系)』って書かれてて、「えっ?」て思いながら中身を見てみると…良い結果が出ました的な終わりだったりして、
⁽⁽◝( 谷 )◜⁾⁾≡₍₍◞( 谷 )◟₎₎ めっちゃ気持ちがモゾモゾするぅぅぅぅ!!!!!
今さっきも『人を噛んだ保護犬の末路』ってサムネにあるリール動画見てさ。これは保護されたての時には恐ろしい顔をして威嚇したりのわんこが、最終的に人になでなでされてうっとりしてるってやつだったから内容は良かったんだけどぉぉぉぉ(そういうのだろうと予想して見てみたぜ!w)
(ㆀ˘・з・˘)やっぱり『末路』って単語にモゾモゾするw
これは…見出しをキャッチーにしたいからわざとやってるのか、知らずに使っているのかわからんが、おれ的には「やめろください」って思うでござる。ミスリードぉぉぉ
わざわざ変な言葉選ばないで、素直に『結果』って書けばいいじゃないの!w
あとな、もうひとつ言いたいっw
動画の終わりに「いかがでしたでしょうか」って言うなwww
「いかがでしたか」でええねんっ
( • ω • )ボンズがリビングでようつべ見るから、ちょいちょいこういうのが目に入ったり耳に届いたりして、内心静かに悶えているw
 
 
 
あと更に書き足すならば。
情報系の動画で「せざるを おえない」って言うてんのみると、一気に信頼度下がるw
そこは「”せざるを得ない”やああああ!」って内心めちゃツッコミしてる

相方のブレス、ゴムがフヨフヨしてきたって言われたからメンテしたんだよね

その中でとんでもないことになってるビーズあった
ゴムが抜けないんだよこれ……

 

 


何かあるとゴムが切れて弾ける、なんて話は聞いたことあるし、そういうメンテも請け負ったことあるけど、ゴムが抜けないのは初めてだよ!w


(´・ω・ `)ま、このビーズは物理的にもエネルギー的にも再利用不可
虹が出てるビーズだったんだけど、その色も褪せてる

頑張ったんやな…お疲れやで!!

(それにしても相方ブレスはメンテの間隔が短いなwそれだけ仕事がいろんな意味で大変なんやな)

【とりとめのない脳内議論】
※議論なのでオチとかないっす

某所で『エネルギーヴァンパイア』についてちらっと書いてあるのを見て思ふ。これもいろんな形があるかもしんないなぁと


世の中にはギバーの皮をかぶったテイカーがいるんだおね
見返りを期待しつつ施す感じか

誰しも、多少は見返りを期待しちゃうところはあるw
だってにんげんだものw多少の欲くらいは持ってるからなっ。少々の期待を持つくらいならテイカーとは言えないと思われる

ではテイカーレベルとはどんな感じか
これはちょっと想像になっちゃうんだけど(ご容赦)

「◯◯してあげたのに何ももらえない・いいことが起こらない」ってなると、本人が意識するしないに関わらず、その肥大しすぎた期待が『妬み嫉み恨み』みたいなものに転じることがあると思う。一言でいうなら嫉妬か

そういう感情?を持っちゃうと、エネルギーヴァンパイアになりがちなんじゃないかなーってね(嫉妬ってけっこうデカいもんだと思うわ。物騒な事件の動機の大半がこれだろうし)

本当は欲しいのに、いい人であるほうが自分に利があるとも思っているから装ってるというか…(いやでも人間『外面』ってのも大切だから、あけっぴろげにしてたら良いという話でもねえな)

隠しているはずの『ほしい』が漏れまくると誰かからエネルギーとか奪う仕様になっちゃうんじゃないかなぁ

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それとはちょっと違うベクトルだと、優しいふりして優しくないとかある
例えば『めっちゃ親身に相談に乗ってくれる人』
本当に親身になってくれる人と、そうでない人がいるんだわね
そうでない人にとって誰かの悩みはあれだよ、他人の不幸は蜜の味w自分より幸せでない人を見て溜飲を下げるんだ



(・ω・)まあいろんな感情を持つのが人間だあね
むしろ『善』ばかりな方が不自然よなっw悪い方に気持ちが振れちゃうことは誰でもあるあるぅ

そういうのを自分で折り合いつけていけるようになると、ヴァンパイアにならないんじゃないかなー

自分の状況のマイナス面…『持ってない/出来てない』的なところにフォーカスしすぎると被害者意識みたいなのが芽生えるかもしれないな

持っている人、出来ている人は『そうなれるように努力をしてきた』ということを忘れないようにしたらいいかもしれんね。棚ぼたな人なんてそうそういないと思うんだ。むしろその棚ぼた的出来事だって、その人がしてきたこと(積み重ね)が別の形で予期せぬ嬉しい結果としてあらわれただけかもしれないんだよね(・∀・)

経験ってのは誰にも奪われない財産かもしれないな