今日はTVで大ちゃん祭りでしたが、あえて、今日のテーマはダンスです。

 

前々回のダンス記事のとき、コンテンポラリーダンスについて、裸の王様なのだろうか?という問いかけをしましたが、それは、ダンス公演を見れば見るほど、いかに世の中の人(日本の話ね)がダンス(ストリートダンスは別ね)に興味がないか、ということをひしひしと感じるからです。コンテンポラリーダンスを見る人は限られていて、その狭い世界の中で公演が成立している。ま、それはフィギュアスケートもある意味同じでしょうが、TVで華やかに取り上げられるスポーツ競技なので、知名度としてはまだあるし固定ファンの数が多いから規模は大きい。
わしの趣味に、工場撮影がありますが、日本においてコンテンポラリーダンスを見る、というのはそれと同じくらい孤独でマイナーな趣味なのだと最近は実感しています。たまに未来センセのダンス公演を一緒に行く知人がいますが、彼女は元々わしよりずっと前に未来センセのダンス見たことがあって、その彼女ですら、彼のコンテ作品を「難しくてわかりにくい」と評したのです。それくらい、コンテンポラリーダンスって、普通の感覚からしたら馴染みにくく、わかりにくいのです。

 

先日、スティーヴ・ライヒの来日公演『Tehillim』のコンサートに行って、その観客のバラエティーさを羨ましく感じました。ライヒって、大御所だし、年齢も80歳だし、もっと御大ってい感じの人かとおもったら、若くてラフでまだまだ現役の人でした。客層にも特徴があって、高齢な方もいたけど、30代の感度の高そうな男子が多かった。感度が高い、ということはどういうことかとういうと、ライヒだけがすごい、と思うタイプではなくて、いろんなことにアンテナ張って、そんな中でライヒをリスペクトしている、という感じ。そして公演後はスタンディング・オベーション、ブラボーの掛け声。いやー、ダンス公演でここまでの観客の反応は見たことない。勅使河原三郎さんの『up』でも観客の反応は良かったけど、それはおそらく、ずっと勅使河原さんを応援しているファンの彼へのリスペクト。

 

知られているバレエですら集客は大変な中、まして「コンテンポラリーダンスって何?」というのが世間一般の認識の中で、あまりに「自分のダンス」にこもり過ぎて思わず引いてしまうパフォーマンスとか見ると、時々ダンスを見続ける気持ちが萎えることがあります。あと、客席の熱の無さに白けることも。それは結局、パフォーマンスなり、ダンサーなり、その作品がそういう客にしちゃってる部分はあると思う。
まあ、ストリートダンスの公演みたいなノリノリだけがいいというわけじゃないけど、ライヒのコンサートの観客の反応の良さを知って、ファンなんて少数派だと思ってた現代音楽ですら観客はバラエティーに富んで、ものすごく反応も良いのに、なんでダンスで同じことがないのだろうと少し残念に思った次第です。

 

 

そんな中、また新たに行ったダンス公演をレポします。特に最初のは今後地方公演も予定されているもので、これは掛け値なしにオススメなので、それを先にご紹介します。

 

手裏剣


■ピーピング・トム『ファーザー』
日時: 2017年2月28日 (火)
会場: 
世田谷パブリックシアター
構成・演出: フランク・シャルティエ
ドラマトゥルク・演出補佐: ガブリエラ・カリーソ
出演: フンモク・チョン、シモン・ヴェルスネル、マリア・カラリナ・ヴィエイラ、ほか

https://setagaya-pt.jp/performances/201702vader.html

<カンパニ―プロフィール>
ベルギーを代表するダンスカンパニーLes Ballets C. de la B. の中心メンバーとして活躍してきたガブリエラ・カリーソと、フランク・シャルティエによって2000年に結成される。未知なるダンスの創造を目指してカンパニーを「ピーピング・トム=覗き屋」と命名。代表作に、トリロジー【『Le Jardin/ガーデン』(01)、『Le Salon/サロン』(04)、『Le Sous Sol/土の下』(07)】、『ヴァンデンブランデン通り32番地』(09)がある。
ダンサー、俳優、オペラ歌手ら、異なる背景を持ったアーティストが生みだす、強烈な個性を放つ驚異のパフォーマンスは、カルト的な人気さえ呼ぶ伝説の舞台としてダンス史にその名を刻むとともに、現代のピナ・バウシュと称される程。あまりの人気ぶりに、いま最もブッキングが難しいカンパニーとして、世界の劇場がウェイティングリストに名を連ねている。
最も過酷な場面でさえ、悲しみ、愛情、美しさに満ちたエモーショナルなステージ、確かなテクニックとユーモラスでアクロバティックなムーブメントは、他の追従を許さない独創的なスタイルを生み、もはや新しいジャンルの舞台としてその名をとどろかせている。

<イントロダクション>
街の片隅にひっそりと建つ老人ホーム。あの世とこの世をつなぐ冥府のようなこの場所で、いにしえの記憶の中に遊ぶ老人らは暮らし、どことなく素性の知れぬ流れ者たちが働いている。
ある週末、シモンは父親のレオを預けにホームを訪れる。施設の淡々とした日常が、レオたち老人の失われた思い出の数々が、いつしかこの建物全体を、奇妙な空気となって包み込み、支配していく。
人々の会話の穏やかな調べは、やがて雑音となって喧噪の彼方へと消え去り、あいまいな記憶は鮮やかな幻覚に塗り替えられる。
過去の思い出のフラッシュバックの中で、取り残された時間の歯車が、いま静かに動きだす。

 

★Peeping Tom - Vader (Extract)

 

 

★Peeping Tom - Vader
https://youtu.be/J7S-TMsvjq8

 

はじめてのピーピング・トム公演。彼らに関する前知識とか、本公演の舞台設定に目を通すとか全く無しで観てきました。

いやー、良かったです。ただし、わし的にはダンス公演というよりダンス込の舞台演劇いう印象。上記シアターリンクでの紹介文では、ピーピング・トムのことを「次代のピナ・バウシュとも称されるダンスカンパニー」と紹介してあるけど、今回の作品を見る限り、より演劇的というか、演劇でしょ?どこがダンス?って感じだった。
ただし、明らかに劇団が作る舞台とは一線を画していて、それはストーリーがあるようでない部分とか、台詞は確かにあるし、若い男性が父親への恨みつらみを芝居じみた口調で吐き出すクサイ場面もあるんだけど、その台詞は実は作品の中では大した意味がなかったり、むしろ彩りというかエッセンスのようなもの。印象に残るのは、その独特の空間。やたら天井が高いんですね。それでセットのものすごく上の方に窓があって、そこは外の世界から隔離された地下の空間で、まるでそこだけ時間の流れが止まったかのような不思議な場所で、ものすごく寓話的な世界。わしはむしろ、ピナ・バウシュとかいうより、インバル・ピント&アヴシャロム・ポラックの『DUST-ダスト』を連想しました。

登場する全員がダンサーではなくて、老人役のレオ・デ・プールの本業は画家だったり、その息子を演じるシモン・ヴェルスネルは声楽家だったりする。そしてダンサー達だって、ダンスしてるより演じてる方が長い。そして唐突に踊りだすダンスがくねくね曲芸みたいな動きでダンスっぽくない。
時間が止まった老人ホームで流れる音楽は全て懐メロで、それが心地よい。Feelingとか久々に聞いたよ。「老い」というシリアスなテーマを扱っており、実際、舞台上で自身も介護を受けることになったシモンが老いた裸体をさらしてベッドで横になり、されるがままになるという生々しいシーンもあるのに、全く暗くならない。全体的にシュールで、どちらかというと映画の世界に近い。舞台で女性ダンサーが歌っているシーンとかあったせいか、映画『ブルー・ベルベット』を連想した。あと、登場人物が皆変わってるという点で、ティム・バートンの世界観にも近い。
しかも舞台には地元の素人老人たちも登場する。今回は世田谷の会場だったので、世田谷区在住の老人達に演技指導してやらせたらしい。皆さんなかなかいい演技をされてた。というかプロじゃないほうがこの作品には合うと思う。

 

ま、何が言いたいかというと、かなりオススメということです。見て損はないです。ダンス興味なくても全く問題ないです。ダンスというより、海外の演劇を一度ぐらい見てみよう、という程度でちょうどいいと思います。台詞は英語ですけど、わかりやすいし、英語わかんなくても、ダンスという身体表現があるぶん、普通の演劇見るよりはるかに面白いです。
東京公演は終わりましたけど、地方公演が残っています。料金も高くないし、ほんと、時間さえ合えば行ったほうがいいです。

 

<国内ツアー 2017年3月>

◎松本公演
会場:まつもと市民芸術館 実験劇場
日時:3/5(日) 14:00
料金:一般 4,000円、U25 2,000円
 

◎豊橋公演
会場:穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
日時:3/12(日) 15:00
料金:一般 4,000円、24歳以下 2,000円、高校生以下 1,000円
 

◎兵庫公演
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
日時:3/15(水) 18:30 
料金:A \3,000、B \2,000
 

◎滋賀公演
会場:滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール
日時:3/18(土) 14:00
料金:一般 3,000円、青少年(25歳未満) 2,000円
 

PEEPING TOM オフィシャルサイト
http://www.peepingtom.be/en/

 

手裏剣


■ライブ・パフォーマンス「コンタクトゴンゾによるコンタクトゴンゾ」
主催: 
ワタリウム美術館 
日時: 2017年2月25日(土) 14:00~16:00
パフォーマンス: DJ方×コンタクトゴンゾ

コンタクトゴンゾは塚原悠也と垣尾優(2009年以降フリーのダンサーとして活動)が2006年に結成。現メンバーは塚原のほか三ヶ尻敬悟、松見拓也、NAZEを加えた4名。「contact Gonzo」は、集団の名称であると同時に自分たちが実践する方法論の名称を意味する。ニューヨーク近代美術館やヨーロッパ各国のダンスフェスティバル、森美術館や国立国際美術館など数多くの舞台で作品を発表。昨年もKYOTO EXPERIMENT 2016(足立智美との協働作品)、オランダ・アーネムのソンズビーク2016、瀬戸内国際芸術祭2016などに参加している。

 

ワタリウム美術館にて開催中のコンタクトゴンゾ展 Physicatopia(2月5日-3月26日)の関連イベントであると知って、一度彼らのパフォーマンスを見たくて行ってきた。大阪が活動拠点の方々なので、東京でそうそう見れるわけもなく、このチャンスにと思ったわけです。
ダンスというよりは、即興パフォーマンスです。どういうものかは、こちらの動画を見るとわかります。

 

★PopUp Contact Gonzo

 

 

私が行った回はDJ方というシュールな漫画から抜け出てきたかのようなDJとのコラボでした。
見ての通り、傍目には格闘技?喧嘩?と思うぐらいぶつかっていて、はたく、ど突く、引っぱたく、マウントするといったパフォーマンスで、よく怪我せんなーと思う。
インプロ=即興のパフォーマンスなんで、理屈とか一切なく、そのライブ感が純粋に面白かった。たまにこういうインプロもの見ると、感覚として何かしら刺激を受けるので、別にダンスに拘らずに機会があれば何だって見てもいいじゃんと思った。
今回、小さなお子さんを連れたお父さんとかお母さんもいて、これ子供に見せていいのだろうかと余計な心配をした。子供が真似すると危ないからね。そういえば、私が行った回には、ダンサーの島地保武さん、酒井はなさん夫妻も見にいらしてました。

ちなみに、今回の展覧会関連で、先に行われた別の日のパフォーマンスはこちらです。

 

★contact Gonzo with 植野隆司
https://youtu.be/4ErnDci6PPo

 

手裏剣

 

■Moratorium end
日時: 2017年2月26日 (日)
会場: 中野テルプシコール
出演・振付: 今津雅晴、上村なおか、笠井瑞丈、兼盛雅幸、小暮香帆、斉藤栄治、鈴木秀城、丸山武彦
作・構成・振付: 三浦宏之

私は虚無の中にありながら、存在している。
私の存在が、虚無を溶かしてゆく。
7年間の沈黙を破る。
M-laboratory活動再開公演。

http://worksmlabo.wixsite.com/m-laboratory/moratorium-end

 

個々では名前を聞いたことはあるけれども、実際にパフォーマンスを見たことがあるのは笠井瑞丈さんと小暮香帆さんだけ。ただ、バックグラウンドに舞踏を経験された方が多く、あまりダンスダンスしていないかも、という予想をたててはいた。
実際に見て、分類上はコンテンポラリーダンスなんだろうけど、わし的には日本人ダンスというほうがしっくりくる。

実は「日本人ダンス」とわしの中だけで分類しているダンサーはほかにもいて、黒田育世さん、岩渕貞太さん。それ以外にはそもそも見ていなかったりするのだけれど、今となっては、だいたい共演ダンサーとか、チラシでの公演の紹介文章見れば、ああ、こっち系ね、というのはなんとなくわかるようになってきた。日本人ダンスというのは、親舞踏系という感じで、必ずしも舞踏経験者じゃないんだけど、志向が近いというか、「ダンスをきれいに見せよう」という他者の目を意識したものではなくて、自分の内側からの表現する意識が根底にあるものという感じ。
個人的には、日本人独特の情感とか、間合いとかの感覚、あるいは体型とか、顔の作り、髪の色などの見た目の与える印象、そして日本という土地の湿度とか風土、そういうものからかけ離れていないダンスという印象です。そしてアングラな劇場がよく似合う。
(バレエとか西洋志向のコンテはその逆)

 

作品の感想jとしては、1時間30分弱というのは長すぎる気がした。ダンスに限らず、舞台一般でブレークなしで1時間30分集中できるかって言ったら、難しい。ストーリー仕立てとか、構成によってはありかもしれないけど、今回の作品ではこの長さは辛かった。
それと、途中、突然台詞が入って、死刑制度に触れた部分があったんですが、あれの意味がよくわかりません。白い衣装は死装束という意味だったのでしょうか。
それぞれのソロで踊る部分は、各自違った存在感で良かったと思うのですが、いろいろ入り乱れての大小の群舞、消化不良でした。時間の長さによるものなのか、構成によるものなのか、振り付けなのかよくわからないが、それぞれ全く個性が違うはずなのに、埋もれて見えるというか、全体を通して強い印象が残らなかった。