人が持つコミュニケーションの力を磨く・鍛える・呼び覚ますーコミュニケーション・ワークス公式ブログー

 

 

 

 

 

 

 

一昨年の夏、

苗を買ってきて、

小さな寄せ植えの鉢を作ったことがあり。

 

 

 

「姫もこう」

「ハーデンベルギア」

とあと一つ、名前は忘れましたが、

 

おしゃれな黄緑のもふっとした植物の3種を植えて、

ベランダに飾っていたのです。

 

(ちなみに、「姫もこう」も「ハーデンベルギア」も

花屋で初めて知った植物で)

 

 

 

 

それはそれはお洒落にできたんですが、

いかんせん、

 

「継続」

 

させる方法を知らないもので、

結果、

ハーデンベルギアと黄緑のもふもふは枯れ、

姫もこうだけが

 

「姫」

 

の愛らしさはどこへやら…

今や、やまんばの頭みたいな状態で、

鉢に生い茂っています。

 

 

 

 

 

 

 

で、

お話はここからでして。

 

 

 

 

数日前、

家へ帰ろうと、植え込みの横を歩いていたら…

 

 

植え込みの中に、

紫の小さな花がちら…と咲いてるのです。

 

わあ、可愛い~、と近寄ってみると、

あれ、コレどっかで見たような…

 

 

 

 

そう。

葉っぱの形といい、

花といい、

長く伸びたつるみたいな形といい、

どう見ても

「ハーデンベルギア」

なのです。

 

 

 

そして、振り仰ぐと植え込みの真上が我が家のベランダでした。

 

 

 

 

そうなのです!

うちのハーデンベルギアは枯れてしまいましたが、

種が飛んで来ていたようなのです。

(それはどう見てもハーデンベルギアで、

自生するようなものではないだろうし、

やっぱりわたしのだと思うのです)

 

 

 

 

 

すごい!と感心するやら

嬉しいやら、

 

2年も経って、また巡り会えたことが、

とても不思議な感じがするやら…

 

 

 

 

 

翌日。

 

移植ゴテを持って植え込みに行き、

4箇所伸びているハーデンベルギアのうち、

一番小さい一つを掘り起こし、

再び家に持って帰りました。

(あの人植え込みで何してるんだろう、と思われないか、

ちょっと恥ずかしかったですが)

 

 

 

 

 

買った時は、ポットに入った小さな苗でしたが、

大地に根を下ろしたハーデンベルギアは、地中に深く深く根を張り…

ちょっとやそっとじゃ掘り起こせないくらいにたくましく。

 

 

 

*    *    *

 

 

という体験談を、

この数日で図らずも2人の方にすることとなりました。

 

 

なかなかにたくさんのメタファーに富んだ話だと思うのです。

 

 

 

 

今、わたしの中でヒットしているのは

「コミュニケーションにおける大人の責任」みたいなもののメタファー、でしょうか。

 

 

 

 

 

 

わたし達のすべての言動が、

 

「種」

 

になりうる。

 

 

それは、たとえ蒔いた本人が忘れていても、

風に乗って、誰かを伝い、

多くの人の間を旅するだろう。

 

 

 

そして、

どこかの誰かの中に必ず残り、やがて思わぬ力強さでしっかと根を張り、

いつかきっと花を咲かせることもあるだろう。

 

 

 

 

そうれあればこそ。

 

 

 

だからわたし達は、蒔き続けなければならない。

あきらめず、手を抜かず。

そして、できるならば、良い種を。

美しい種を、巻き続けなければならない。

 

 

なんて感じ、でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

夕方、道端でたくさんの子どもたちとすれ違うとき、

いつにも増して大きな声で「おかえり!」

と言っている自分がいます。

 

 

 

 

 

 

 

《追記:オンラインセミナー、はじめました》

 

 

 

「おでんはじめました」

 

みたいなノリですが…。

 

 

 

オンラインは苦手だなと思いつつ、
7月末から試しに始めたZOOMセミナーですが、

 

やってみると、
オンラインならではの氣軽さの他にも、
オンラインだから出来る様々な可能性を山ほど発見し、
愉しくなってきたところでの、
皆さんへのお誘いです。

 

 

 

 

このZOOMセミナーは、
毎日のコミュニケーションの場面から一つ、
選んだテーマを真ん中に置いて、
そのテーマを通して、

 

・人の話をじっくりと聞く
・自分の考えを話す
・自分の感じ方を話す
・共感する
・意見を交わす
・合意をつくる
・自分のストーリー(伝えたいこと)を語る

 

などなど。

 

コミュニケーションにおいて必ず発生するこれらを、
少人数で丁寧に体験する時間です。

 

 

 

(もちろん、
その日のテーマについての知識と技術も深まる時間です)

 

 

 

9月のテーマは
●24日「リフレーム」
●29日「イエスアンド」

 

 

のんびりお茶を飲むような、
氣の合う人たちと語らいに興じるような、

 

そんな感覚で氣楽にご参加ください。

 

 

 

それぞれの場所から、
「生活の空氣」と一緒にこの場にINしてくださる方々とつくる、
この独特で貴重な語らいの時間を、
楽しみにしています。

 

 

 

*   *   *

 

《セミナー詳細》

 

①9月24日(木)20:00-21:30
「自分にとっての現実は自分で作る
ー存分に自己を表現して生きるための『リフレーム』力を鍛える」

 

 

 

ある出来事があったときに、
どこに視点を向けるのか?
そこから何を見出すのか?

 

それは、面白いくらい人によって違います。
みんなに共通の「真実」というものがあるのではなく、
実はそれ(真実)は、星の数ほどある。

と、

この数ヶ月、いろいろな人の言動、感情の動きを
見て聴いて感じるに、
あたらめて感じたこの数カ月。

 

 

 

それならば。

どうせなら、自分にとって「力づけとなる」ことを
そこに見出せたほうがいい。
プラスの面を見出せたほうがいい。

 

 

そういう視点が大事、
とわたしたちはもちろん知っているわけですが、
「知っている」
ことと
「すぐ出来る」
ということはまた、違うわけで。

 

それをみんなで練習するセミナーです。

 

今すぐ、この瞬間からのわたしたちの生活を支える
「思考パターン」
の一つになるといいなと思います。

 

 

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆ 

 

 

②9月29日(火)20:00-22:00
「瞬発力を持って発想し、自信を持って創造する力を磨くインプロワークショップ」


 

 

インプロビゼーション【improvisation】
=即興。 特に、即興演奏や即興演劇のこと。

 

 

 

「即興力」というと、

 

「自分はお芝居をやるわけじゃないから」
「自分には必要ない」
「うちのチームにはそういうものを発揮する場面はないから
(そういう仕事じゃないから)」

 

などの言葉を聞くことがあるんですが、
本当にそうかなあ、と思うわけです。

 

 

 

「即興力」とは、そもそも

・どんな状況下でも
・フリーズすることなく、
・自分やチームにとっての最善を見つけ、選び、行動し、
・自分(たち)にとっての最高を「表現し続ける」

 

力。
そして、今ほど「先が見えない」「予測が立たない」
ときはないのでは?と思えるわけです。

 

 

 

今回のセミナーでは、
インプロゲームの中でも、
「即興力」の中でも特に大切な、

「イエスアンド」
(アイデアを受け取り、発展させる)

の力を、言葉を使ったゲームでもって磨きます。

 

 

 

◆インプロで鍛えられる「7つの力」◆

 

●「自分の感覚を信じる力」
自分の能力や考え、選択を信じ、瞬時に必要なものを選び出す力

●「受け入れる力」
相手の発信を拒否することなくいったん受け取り、そこから創造する力

●「伝える力」
互いの発信を素早く正確に理解し、コミュニケーションをとる力

●「集中する力」
場に集中し、コミュニケーションに必要な情報を素早く正確にキャッチする力

●「転じる力」
どんな状況からでも新しい視点を生み出す力

●「行動する力」
どんな状況でも積極的かつ前向きに動ける力

●「笑う力」
リラックスし、状況を楽しむ力

(「インプロであなたも『本番に強い人』になれる」池上奈生美著より)

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

参加費はいずれも3000円。

参加ご希望の方は、

 

 

https://form.run/@co-co-1600488291

 

 

 

 

こちらより必要事項をお送りください。
参加費振込のご案内ならびに参加URLを送らせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やることを忘れてしまう」「いつも通りに仕事が進まない」

 

 

ので

頭の中を整理したい!

というクライアントさんの話を聞き、

 

 

「それはもう、忘れたりすっぽ抜けて当たり前でしょう」

 

 

と、たいそう思ったので、

わたしが送ったのが下の図。

 

 

 

(脳のキャパの例えの図)

 

 

 

 

 

以前NHKの「あさイチ」で、

 

 

「今、みなさん脳の中はこんな感じです」

 

 

と、とてもわかりやすい例えで説明していたので、

それを描いてみたもの。

 

 

 

 

 

わたし達は、この数ヶ月、自分で思うより、ずっと、

 

 

「不安で」

 

 

加えて、

 

「氣を使っており」

「やることが増えており」

 

 

しかもそれは、

 

「まったく体験したことのない初めてのこと」

 

であり、人によっては、

 

 

「大切な人の健康と、人によっては命を守る」

 

 

ということに直結している。

そんな(薄氷を踏むような)毎日を、もう数ヶ月間、過ごしてきたわけです。

 

 

 

 

 

このクライアントさんは教室を運営されてますので、

「人のお子さんを預かって」いるわけで、

その心労と行動面への負荷は察して余りあるものがある。

 

 

もうそれは、話を聞いているだけでも、

 

 

「それは…日常の、自分の生活のこまごまとしたことに氣が回らなくなっても、

当たり前ですね」

 

 

 

と、明確にわかる奮戦ぶりであった、

このクライアントさんなのでした。

(そしてまた、それが自分のこととなると余り

意識できなくなるのが面白いところで)

 

 

 

 

 

 

 

さて、

今日、何を言いたいかといいますと、

 

 

①人の脳にはキャパがある

②今、脳のテーブルには、相当大きな「余計な箱」が面責を占めている。

②が、人は自分では、なかなかそれに氣づかない。

(もっとできるはずなのに!なぜできないの!と自分については思ってしまう)

④「大変!」な人が今、必要なのは、

 

・責めない(自分も他者も)

・休む

・先を見過ぎない。「一個づつ」。

・自分への基準を緩める

・人に話す、頼る

 

 

 

 

 

 

今いる「自分の入っている箱」の中から外に出て、

客観的に自分を見る。

状況を見る。

 

 

 

その一つの手段として、

コーチングも役に立ちます。

 

 

 

「今こそ必要なのはコーチです」

 

 

 

との、このクライアントさんの声を受けて、

今これを書いているわけなのでした。

 

 

 

 

 

 

 

追伸:九州地方は、加えて台風9号と10号が見舞いました。

   話を聞くと、やはりみなさんいつもの台風より相当「頑張って」乗り切った感を感じ。

   

   (私も何を隠そう相当今回はピリピリしまして^^。

   初めて窓を外からダンボールで覆い、街中の立体駐車場に車を預けに行きました。

   心身ともに疲れた…)

 

   頑張ったみなさん。

   ゆっくりと、日常に戻りましょう。

 

  

  

   

 

 

 

 

 

 

 

 

と、

表題のように、

「禅」の番組を見ていてふと思ったわけです。

 

 

 

 

 

 

毎日掃除をする。

廊下を拭く。

落ちる枯葉を履く。

季節が移るごとに、日々の仕事(作務)は変わる。

 

作務は毎日毎日出現し、

そして繰り返される。

 

 

 

 

 

そういったものが、

昔はたまらず。

なかなか意味を見出すことができなかったのですが。

 

 

 

 

 

 

 

昔から、なぜか?

 

「何かを成し遂げなくては」

「ここではないどこかへ行かなくては」

 

という感覚が強く、

結局、目の前の「この瞬間」の物事はないがしろにされる。

という状況がわたし自身、

長いこと、あったように思います。

 

 

 

 

この、雲水たちの生活を見ていると、

その箒の「ひと履き」のなかに、

「すべて」が詰まっている、という感覚が

すうっと腑に落ち。

 

 

 

「その『ひと履き』こそが修行であり…」

 

 

 

と、禅では考えるようですが、

わたしには「自己表現」という言葉の方が、

しっくり来るような氣が。

 

 

 

 

どう履く

どんな重さの箒を使い

どちらから

どんな工夫をし

所作は

身体をどう使う

 

 

何であっても、昨日と同じ、というものは

実は存在しない。

 

毎日一見変わらぬものの中に、

小さな変化を見出し、

そこへ丁寧に創意工夫をすることの喜び。

 

 

 

 

 

すべては、

「自分」という人間が現われ出でたもの。

卓を右から左に拭く、その数10センチの行為にさえ、

そこに「喜び」を見出すことが出来る。

美しさを追求することができる。

 

 

 

 

 

 

昔、知人が(まだ年若い知人でしたが)

 

 

「このカップをどう洗うか?

その『洗う』

という行為に集中するのだ」

 

 

と。

 

 

あの頃は、

「今、ここに集中する」という

その意味が、頭ではわかっても、

(良いことだ、と)

身体では理解できなかったのですが。

 

 

 

 

今、やっと、少し、わかってきた氣がしています。

 

 

この「一瞬」に永遠が宿る、という感覚。

そぼふる雨の一滴に、全てが宿る、という感覚。

 

 

 

 

 

そして、

「やっとわかってきた」だけに、

それをずっと「やってきた」人たちがすごいな、と思うのです。

 

心から敬意を表したい、と思うのです。

 

 

どこかの禅僧とか、雲水さんとかのことではありません。

「あなた」のことです。

毎日頑張ってきた「あなた」のことです。

 

 

大切な人たちのために、

日々の暮らしを毎日毎日毎日…

 

時には愚痴なんか言いながらも、

丁寧に続けてきた「あなた」のことです。

 

 

 

そして、

その「継続」によって、

わたしたちに「良きもの」を文化、伝統、風習として

繋げてくれた、

たくさんのご先祖様たちのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝日。

露のにおい。

炎天の蝉の声。

鉢にかかる水の粒の美しさ。

夕餉のちょっと焦げた魚の香り。

 

 

 

 

挙げればきりがない「今、生きている感覚」。

 

日々の生活を味わい、

丁寧に生きたいものだと、

 

感謝とともに、

最近ますます思い始めている、この数ヶ月です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家のあさがおです。

 

 

 


先週、盛りを少し過ぎて、花屋で少し安く売り出されているのを買ったので、
花が咲くかなあと思っていたんですが、
一日2〜3輪づつ、毎日花をつけています。
(毎朝楽しみなんですよね😊)

 

 

 

で、昨日だけ、朝見たらいっきに8輪、咲いており、
「キレイ〜!」を通り越してちょっとぎょっとしたんですが。

 


理由はちゃんと分かっており、

YouTubeの

 

 

「朝顔の育て方・花をしっかり咲かせるには」

 

 

で「リン酸多めの肥料を与える」

というのを見て、
買ってきて少量パラパラっと巻いたから、なのです。

 

 

 


けれど…

いっきに8輪、に、

 


なんだか悪いことしちゃったような、

朝顔の背中を「いきなり急かして押しまくって」しまったような
無理させたような、そこはかとない罪悪感を感じ、


さっそく姉に相談しました。

返事は以下。

(何度か書きますが、姉は有機無農薬の専業農家)

 

 

 

 

 

「大丈夫、
8輪はちゃんとつぼみを持っていて、
スタンバイしてたんだよ。
肥料も効くまで数日かかるからこれから効いてくるよ。(^_^)」

 

 

 

 

 

 

ああよかった、と
ホッと一安心。
(なんにしてもプロの言葉は力強いものです)

 

 

 

 

 

「スタンバイしてた」

 

 

 

 

って、いい言葉だと思いませんか?

(なんて愛らしいつぼみたち。

「まだかなまだかな」

「お前いつ咲くの?」

「もう8月も半ば近いし、そろそろ咲きたいんだけどさあ〜」

みたいな)

 

 

 

 

 

 

 

スタンバイしている子には、
適切な滋養を与えると、
いっきに開花する。

(知っていたけれど、身体で改めて「わかった」今日の実感)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、2年前にFacebookに書いた記事なんですが、

今見ていたら、ふつふつと当時の感動となんとも言えない楽しさが蘇ってきたので、

こちらに掲載してみます。

 

 

 

*   *   *

 

 


昨日、遠方の知人から


「子どもの部活の九州大会引率で来鹿予定。ついては美味しいお弁当屋さん情報頼む!」

 

のメールあり。

 

 

 


こっちは、ンなこと言われたって…の知識情報の薄さ。

 

 

「ごめんね全然詳しくなくて」

 

 

と返してもよかったんですが、
どうしても「おもてなし心」がそれを許さず^^。
なので、
facebookのとあるグループに書きました。

 

 

 

 

「助けてっ❗️(涙)」

 

 

 

 

すると。見る間に…

 

いくつものお弁当屋さんの名前。
味の感想。
ありがたいことに電話番号まで。
それに、
男子中学生が好む弁当とは。
部活弁当に必要な手間の省き方。
フットワーク軽く動けるための注文のポイント等々…

 

 

 

もう、すごいのです。

 

 

 

そこには、
いつもわたしに見せている顔ではない顔がありました。

 

 

 

 

世の中と、親としてがっつりと関わってきた
百戦練磨のつわものたちの顔。

 

 

 

 

リアルに日々と格闘し、
子どもという「生き物」を
一人の人間に育て、世の中へ押し出そうと
全精力を傾けて毎日毎日を生きている、
真剣勝負の時間の厚い厚い蓄積がそこに。

 

 

 

 

カッコいい…カッコいいよ!みんな!!

 

 

 

 

みんなが親として生きてきた、
今日この瞬間までの時間を、
そして、明日からも続くこの時間を
わたしは心から尊敬する。

 

 

 

と、あらためてしみじみ思いました。

 

 

 

 

 

*   *   *

 

 

 

とまあ、こんな感じなんですが。

 

 

今年はまた、いつもとは違って、

多くの「親御さん」のご苦労も多いことと思います。

(その分、お子さんと一緒に「新しい世界」を開拓して、

体験できている幸福をしっかと味わっている人の話もよく聞きますが^^)

 

 

 

 

世のツワモノ達よ。親達よ!

変わらず応援しています!

 

 

 

 

 

(きっと、こんなのを連れて遠征してきたんだろう。我が知人)

 

 

 

 


久しぶりに本を買いました!と知人から、

メッセージが送って来ました。

いわゆる「大正浪漫」の香り華やかな、きれいな表紙の写真とともに。

 

 

 

「久しぶりに文字にゆっくり触れて、
言葉の言い回し、
綺麗な言葉、
綺麗な漢字を見ては読んではうっとり♡

日本に生まれてよかったなとしみじみ感じているところです^^」

 

 

 

 

この方、まだお若く、
20代後半にやっとなったくらい?でしょうか。
(けど、3人のお子さんのお母さんなんですけど)

 

 

「若者」が、
「綺麗な言葉、綺麗な漢字」
と書いてらっしゃるのが嬉しくて、今これを書いているわけです。

 

 

 

 

 

「綺麗な漢字」。

 

 

 

 

音と同時に、その形からも、
しんしんと意味とセットで私たちにたくさんのものを伝えてくる「漢字」というもの。

 

 

 

表語文字
(ひとつひとつの文字が「意味」と、「発音」を同時に表している文字体系のこと

…昔は「表意文字」と教えた覚えがあるけれど)

 

である漢字を、表音文字である
ひらがな、カタカナとまぜまぜにして使っている私たちですが、

 

 

 

 

これまで日本の長い歴史で、2度ほど
この「漢字仮名交じり」方式、危機を迎えたことがあったそうで。
(幕末と、戦争後の2回。漢字、いらないでしょ、と。

漢字、ダサい。漢字、難しすぎ。ALLローマ字に変更!と)

 

 

 

そんなバカなことにならず、

残って本当によかった。

 

 

 

 

 

 

この、
「漢字仮名交じり」であることは、

 

私たち日本人の理解力、思考力、学問の深まりにも、
大きな役割を果たしているわけですが、
それはおいておき。

 

 

 

 

 

日常で情報をやり取りするツールが、
同時に美しかったり、面白かったりもする。

 

単純な、その字が持つ「意味」以外の、いろんな「空氣」をまとうことができる。

「芸術」の一端をに担ってしまったりもする。

 

 

 

 

 


そういうものを味わっている人を見ると、
とても嬉しくなってしまいます。

 

 

 

 

 

(本文中の本と、写真は関係ありません💞)

 

 

 

 

 

 

 

小二の算数の時間に、

 

 

「あれ…なんかわかんないかも…」

 

 

と、意識がすっと遠のいていくような、

全身が冷たくなるような感じを味わったのを今でも覚えているんですが(笑)

 

 

 

 

 

それ以来、数学は苦手、ということになっています。

教員時代も、クラスの人数分けなど、とっさの計算が必要な場面は、

 

「えっと、こっから先よろしく」

 

と、生徒たちにやってもらっていました。

 

 

 

 

 

 

数学ができない、というわけではないのです、多分。

いわゆる「模擬テスト」などでは、

それなりの点を取っていたこともあったので。

 

 

ゆっくりと、時間をかけて理解して、慣れていけば、

出来る。(多分)

 

 

 

 

けれど…。

とにかく前提として「苦手だ」というのがあり、

この意識がますます数字に対して

心と身体をフリーズさせるような氣がするのでした。

 

 

 

 

 

 

と。

 

どうしてこういうことを思い出したかというと、

イベントを共に企画した知人が、

その材料のグラム数に至るまで細やかに計算して金額を出してくれたので、

(それがまた早い)

 

 

「氣を遣わせてしまったようで…(スミマセン)」

 

 

的な意を伝えたところ、

 

 

 

「最近、数字で認識するのに改めて喜びを感じてしまう自分を認識中」

 

 

 

という(とんでもない)旨の返事が帰ってきて、

軽く感動した、ということがあったからなのです。

 

 

 

 

「私はリケジョでして。

(なので、お気遣いなく)

 

 

工学部建築科に進学してまして。

若き頃はハウスメーカーにおりました。

 

(中略)

 

今の仕事場では、周りの人は完全に文系さん達で、

学生時代の数学は(わたしも)全く得意と言えるレベルではなく

相当苦労していたのだけど、

 

文系さん達の数字苦手は桁違い!と感じる事多し。

 

時々数値での分析すると物凄く有り難がられる、又は理解してもらえない。

面白がってしているレベルなんで、その反応も楽しくて!

(このあと大きなニコニコマークが2つ)」

 

 

 

 

 

そうそう、そうなのですよ。

「桁違い」なのですよ。

苦手意識の高きことエベレスト並みなんですよ、

 

 

 

と呟きながら、

 

 

「違う世界を見ている人がいるんだなあ」

 

 

 

と思ったのでした。

そして、この知人の「見ている世界」の話を聞いてみたい!と思いました。

なんだこの軽やかな楽しい感じは!

一体どんな世界が見えているのか?

 

 

 

この世に生まれて、半分しか世界を見ていないような、

とても片手落ちな氣がしてきたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

クライアントさんに一人、数学の先生がいらっしゃり、

この方の話を聞いた時も、

全く知らない世界の淵を覗いたような氣がしたものでした。

(だいぶ昔の記事で書いたことがあるんですが)

 

 

 

 

「夜のしじまに、数学の神様が降りてくる」

 

 

 

 

とおっしゃった、んだったかな?

 

 

 

 

「数学の世界は美しい。いい式は美しい」

 

 

 

 

とも。

 

 

 

 

 

 

 

 

数学は面白い。

数字の世界は面白い。

数字は友達♪

 

 

 

とまではいきなり行かなくても、

「その世界を愛し、そこで生きている」人の話を聞いてみたい、

と今、そんな欲求がふつふつと高まっているところなのです。

(これは、何げにすごいことだと思うのですよ)

 

 

 

 

 

 

 

わたしの手を引いて、

はるか昔、入りそびれた大いなる門の入り口に。

 

またある時は、未知の世界の入り口に。

いざなってくれる…

 

 

わたしの心のハードルをいとも易々と越えさせてくれる、そんな先達は、

 

 

 

 

 

 

いつ、いかなる時も、

難しさや権威とは真逆のところにある、

 

何よりその世界に「愛あるオタク」なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大河ドラマ歴代最高視聴率」

と呼び声高い割に、当時あまりちゃんと観ていなかったので、

「麒麟がくる」休止に伴う特番、

 

 

 

『戦国大河ドラマ名場面集、第一回「独眼竜政宗」』

 

 

 

「へえ〜、こんな感じだったんだ」

 

と観ていたんですが。

 

 

 


ラストシーン。

死に際、迎えにきた母の呼びかけに無邪氣に走って行く幼年の政宗、

少年の政宗、そして、

手を差し伸べる老いた政宗

 

を見て、

 

 

 


「よかったねえ」としみじみ。

 

 

 

 

詳しくない方のために注釈しておくと、
(って、私も非常にぼんやりとしか覚えていなかったですが)

 

 

 

 

 

 

・幼年の政宗→「梵天丸は醜いか?」(疱瘡で片目をなくし)
・青年政宗→「これが心尽くしの膳にござるかっ…!」
(実母に毒入り料理を食べさせられ、縁先でゲロゲロ吐く)

 

 

 

 

 

 

これだけでも、
なんだかもう、根っこの土台がハードモードな人生。

 

 

 

 

 

うちにあるインナーチャイルドの本に、
幼い頃からの、各年代の、たくさんの自分(悲しかった自分・辛かった自分…)
を連れて、統合するというワークが載っているんですが、
このラストは「まさに、それじゃん」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の政宗がどうだったかは知らないですが、
人生のある地点で、

 

 

「完了する」「すべて許す(自分も他者も)」

 

 

というのはとても大切なことで、

 

 


死の間際であれ、その瞬間であれ、
すべてのわだかまりが解け、母に駆け寄って行けた幼い政宗たち、

母に手を差し伸べ、

本当に欲しかった言葉を母から受け取ることのできた老いた政宗に、
 

 

 

 

 

「本当に、よかったね(涙)」

 

 

 

 

 

と、もうそれしか言えない私なのでした。

(↓これが、そのラストなんですが、なんだかこの写真では私の感動があまり伝わらない…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、上記のようなことをfacebookに書いたんですが、

 

 

「自分の中の『それ(インナーチャイルド)』もそろそろどうにかしないとな」

 

 

と、コメントをくださった方あり。

「そういえば確かに」

という方あり。

いく人かの方には「響いた」ようで。

 

 

 

 

 

 

 

「インナーチャイルド」という表現もまた一つの「比喩」で、

自分の体験、感情のあれこれを整理しやすくするための

「捉え方」「表現の仕方」の一つだと思うのですが、今日はそれで進めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの中にも私の中にも「待っている子ども」がいるかもしれない。

 

「いつ迎えに来てくれるんだろう」

「いつ約束を果たしてくれるんだろう」

 

と、

膝を抱えて。

あるいは、「あの場所」にいまだ立って、

 

 

待っている子が。

 

 

 

 

ちょっとどき…とした人は。

 

迎えに行ってみてもいいかもしれない。

(いえ、ぜひ迎えに行って欲しい)

 

そして、手をとって「長いこと待たせてごめんね。さあ、一緒に行こう」

と、歩き出す。

 

 

 

それはすなわち、

私たちの人生に、大きな大きなエネルギーが戻ってくることにつながる、

とそんなふうに感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「声のワークショップ*リハビリ♪」

 

 

 

なるものを5月末からやっています。

 

 

ご時世で、セミナーを休んで約3ヶ月。

研修業務も休み。

身体が鈍るなあと思い、トレーニング方々始めたのですが、

一人でやるよりは、と思い、

 

 

「来たい人来てね」

 

 

と声をかけ、密とやらにならぬよう30畳の大広間に少人数で…とやっているのですが。

 

 

 

 

 

 

で、

その第2回に、小2の女の子がやってきました。

 

 

高校生より下はセミナーをやったことがないので、

「おう、小さい!」

となんだか物珍しい可愛い生き物を見るような感じもあり。
 

基本、「お子様の扱い」というのもはわからないので、

いつも通りだったんですが、そう言いながらも観察するに、

 

 

 

 

「すべての活動において、なんら遜色ない」
「一度の説明でスルリと理解し、参加してくる」
「リズム感、文章の波に乗ってくる感覚はむしろ大人よりいい」

 

 

 

 

しかも。

 

 

一つの作品を、「どう読むか?」と…
つまり、どこをどうばらけ、または一緒に声に出す、
などなど…その場で軽く、いわば
「演出プラン」をみんなで出し合いながら、
サクッと作っていくんですが、

 

 

明らかに、彼女がぽそっと呟く「プラン」をみんなでやってみると
「いい」。
「しっくりくる」。
「盛り上がる」。

 

 

 

 

 

 

 

私が持っていったものは流石に漢字だらけで、
(またもや講談を持っていった^^)
紙に「ふりがな」を書き込む余白すらなかったので、
この日はやらなかったんですが、

 

 

 

きっと彼女は、
「読み仮名」さえ書ければ、
とっても楽しんでくれたろう、
(見てみたかったな。残念だったな)

と思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度かブログにも書き、
熱く語っていますが、

 

 

 

「子どもを見くびるな」
「子どもにこそ本物を」
「口当たりのいい(大人が勝手に「子どもにはわからないだろう」と改変した)紛い物ではなく、

噛みごたえのある良質のものを」

 

 

 

 

 

 

子どもは、
私たちが思っているよりずっと、
「見えている」
「知っている(知識ではなくても、身体が知っている)」
そして
「出来る」

のです。

 

 

 

 

 

(思い出せば、教員の頃、生徒をみていてもそうでした。
いつもはるか予想を超えて、創造し始める。
任せれば任せるほど生き生きと、すごい力で成長していく。

 

 

 

 

だからこそ、私たちの仕事は、

「未だ世に出る前の、目の前の、なんでも吸収してしまう
若木たちに、どれだけ、

 

『自分の心身でちゃんと生きて、

体感してきた(ココ大事)本物を提示できるか』

 

 

であった、

し、今もそうだ、と思うのです。単なる知識ではなくてですね)

 

 

 

 

 

 

*   *   *

 

 

※私の「リハビリ」に付き合ってもらっているという形なので、

参加料は無料なんですが、一つだけ持ってこないといけないものがあり、

それは、

 

「自分が声に出して読みたいもの、語りたいもの」

 

 

氣張ったものを持ってこなくても、

例えば好きなお店のコースメニューでも、家電の取説でもOKよとお伝えしているんですが。

 

 

 

 

 

この日は、下記の「お題」が集まりました。

 

 

《この日のお題》

①いるか
「ことばあそびうた」より
谷川俊太郎 詩
瀬川康男 絵
福音館書店

 

②そうだ村の村長さん
阪田寛夫
「しゃべる詩あそぶ詩きこえる詩」より
はせみつこ 編
飯野和好 絵
冨山房

 

③わらべうた
♪ほ ほ ほたるこい
♪ほたるこい
譜「にほんのわらべうた④楽譜とCD」より
近藤信子
福音館書店

 

④「Happiness」(ハピネス) 嵐

 

⑤【ちょっと一息】
「みるなの座敷」(ご参加者演じる「素話」)

 

⑤風の又三郎より一部
「声に出して読みたい日本語」より
斎藤孝
草思社

 

 

 

 

 

 

 

 

NLPのコースに行っていた頃、

人を変化、変容へ誘う(いざなう)ことのメタファー(たとえ)として、

 

「ジャングルで数十年間戦い続けた日本兵」

 

というのがあった。

 

 

 

 

戦争が終わったこともわからず、

ずっと、戦争中の「任務」をただひたすら守り続け、

一人ジャングルにこもって戦い続ける日本兵。

 

人々が戦争を忘れ、どんなに戦後復興を遂げ、豊かさを謳歌し始めても、

彼にとっての「真実」は未だ戦いの中にある。

 

彼はかたくなで、

投降を進めるビラも、わざわざ現地に行ってマイクで呼びかける親族の声も、

全て、

 

「敵の罠」

 

というフィルターを通してしかみることが出来ない。

したがって、絶対にジャングルから姿を表さない。

 

 

 

 

 

どうやって、彼の心を開き、

「変容」

にいざなうか。

 

 

答えは、

「当時の上官を連れて行き、ちゃんと、作法に則って

上官から『任務解除』を伝える」。

 

 

 

 

 

「変化」は誰にとっても恐ろしい。

 

人を変容に導くということは、

その人の見ている世界、住んでいる世界に寄り添い、

丁寧に「お邪魔し」

そして、相手の気持ちと状態を最大に尊重しつつ、行われるべきことなのだ、

 

と。

 

 

 

そういう趣旨のたとえだったように覚えている。

結構胸に響く、好きな逸話として印象に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、

なぜ、いきなりこんなことを書いているかというと、

ついさっき、偶然にも、

 

「陸軍中野学校」

 

の映像を見たからなのです。

(全く違う映像を探していたんですが、

ふっと、なんとなく、上がっていたのをクリックしてしまい、

結局最後まで見てしまった)

 

 

 

 

 

そして。

ずっ~と、なんとなく「イメージ」として描いていた

「上官による任務解除」

の瞬間を、しっかりと画像で確認してしまうことに。

 

 

(小野田少尉、上官の谷口さんから30年経って任務解除を言い渡される)

 

 

す、すごいインパクト。

わかってはいたつもりでしたが…

「本当にあったこと」なのですね。

 

 

 

 

 

このドキュメントで、

当時の小野田さんの同僚たちが、

思っていたよりも、もっともっと、ずっと小野田さんに、

「寄り添い」「工夫して」

この時を迎えたことを知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと出てこない日本兵がいる。

 

 

その時、

中野学校

(※陸軍中野学校→戦争中、情報将校・ゲリラ戦をする兵を育成した機関。

 小野田さんもここの出身)

の出身者だけは、その気持ちが手に取るようにわかった。

 

 

 

彼らは、

現地へ行き、自分たちだけがわかる「校歌」を歌い

ジャングルに呼びかける。

さらに、

当時の上官を探し出し、

 

 

「この人なら

当時とほぼ顔が変わっていないから小野田は覚えているだろう」

 

 

と、そんなところも配慮して、

現地で「復員命令」を伝えてもらう。

 

 

(ここまで、昔あった歴史バラエティ

「驚き桃の木20世紀」情報ですので悪しからず)

 

 

 

 

 

*  

 

 

 

今、私の周囲で、

(いえ、私も含めてかもですが)

 

 

自分の中の、

「ず~っとジャングルに隠れていた自分」

(NLPでは「パート」と呼びますが)

 

 

が、ひょこ、ひょこと顔を出したり、

暴れている人がいるように感じています。

 

「あの時は辛かったんだ」

「寂しいよ」

「変わりたくない」

「外は怖い」

 

 

今の、世界の状況的なものもあってか、

皆、変わらざるを得ない現実の変化を前に

不安定になることも大いにあるでしょう。

 

 

 

 

 

そんな時は、

思い出してみて欲しいのです。

 

自分の中の「それらのパート」。

それに、一番寄り添わねばならないのは、

何より自分自身なんだということを。

 

丁寧に、丁寧に、扱って欲しいのです。

 

言葉をかけて欲しいのです。

 

「頑張ったよね」

「よくやってきたよ」

「大丈夫だよ」

「君がどれだけ頑張ってきたか、よく知ってるよ」

(じゃないと、ますます、ジャングルから出てこなくなります)

 

 

 

 

まかり間違っても、

「馬鹿野郎グズグズ何してんだ」

「お前間違ってるよ」

「いつまでそんなことやってんだ」

なんて罵声を浴びせ、

無理やりジャングルから引き摺り出すようなことはしないで欲しいのです。

 

 

 

 

あなたの中の「パート」は、

昔の体験から得た「命令」(ルール)を今も、純粋に、

信じているだけなのですから。

 

 

 

 

丁寧に語りかけ、

そして、もしその「ルール」が今のあなたの幸せにそぐわないものだったら、

優しく解除してあげて欲しいと思います。

 

 

 

 

 

それが、結局変化への

「一番の早道」だということなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

追伸:それにしても…昔(教員時代)

   全然寄り添わない「変化の強要」を、していたこと、あったなあと

   今思えば反省しきりです。