「声と言葉で世界を拓く」〜自分の響きを存分に奏でて生きたい人を応援するコーチ、中村公子の公式ブログ

「声と言葉で世界を拓く」〜自分の響きを存分に奏でて生きたい人を応援するコーチ、中村公子の公式ブログ

声と言葉で自分を開く、世界を拓く〜自分の持って生まれた響きで世界と関わりたい人のためのコーチ、中村公子の日々の手帳

 

 

 

コーチングというものに出会って15年。

業界(?)の中ではすっかり当たり前。もはや空氣なことでも、

外の世界に触れて、

「え、未だに…?」

 

と思うことが数々あります。

 

 

 

 

大坂なおみ選手の全米オープン優勝。

メンタルの成長を支えた!と,

若きドイツのコーチ、サーシャ・バイン氏が話題になっていました。

試合中の大坂選手への声掛け。

椅子にかける大坂選手の前に膝をつき、

 

 

「何にイライラしているんだい?」

「僕に何かできることがあるかい?」

「聞きたいことある?それともアドバイス?」

「うまく行っていると思うよ。君は1セットとったんだ」

「ナオミならできるよ」

 

 

視線を揃えてペース&リード。

現状を言語化させ、自身で整理させ。

選択はするのはあくまでも本人。

うまくいっていないところではなく、できているところに意識を集中させる。

心からの期待を伝える。

 

 

 

これら全てコーチングのスキルでもあるのですが、

テレビのコメンテーターや解説者のコメントによると。

 

 

 

「優しい~❤︎」

「こんなイケメンにこんな距離でこんな風に言われたら、誰でも言われた通りにやっちゃいますね」

「コーチは、言葉だけで説得して(説得ってなんじゃい、と思うわたし)大坂選手を導いたんですよ」

「これからは、厳しくいうのではなく、こんな風に優しく言ったほうがいい」

「持ち上げても慢心する人もいるから、大坂選手にはこれがあっていた、ということ」

 

 

 

バインコーチがやっていることの「本質」をわかっている、

突いているコメンテーターは、今日見たいくつかの番組において、

一人もいませんでした。

スポーツの解説者や、過去の有名プレイヤーも、誰も。

(この人たち、スポーツの専門家でしょうに、とそのことにも驚き)

 

 

 

「褒めて伸ばす」か「厳しく叱る」か。

その二つで話は進み。

 

で、

未だ、いまだ…指導には、その二つしかないのか!?

二者択一ですか!

と驚いたわけなのでした。

さらには、

「褒める」の中に「選手を持ち上げる」というニュアンスまで入っている。

(壮大なる誤解です)

 

 

 

 

声を大にして言いますが、

コーチングは「褒めて伸ばすコミュニケーション」ではありません。

それは、あくまでもほんの小さな一側面であって、

そうですね…

フンだけを観てゾウの全体像を語るくらいに的外れです。

ましてや相手を持ち上げるものなどではない。

 

言葉はや雰囲氣は穏やかでも、

伝えねばならないことを厳然と伝える場面は多々あります。

 

 

 

 

 

「コーチング」と呼ばれるコミュニケーションスキル。

コミュニケーションのあり方の「本質」は。

 

 

「自分の持つほんとうの力に軽やかにつながり、

 自由自在かつ存分に発揮して自分らしく人生を生きる。表現する。

 そのためのアクセスの回路を、その人自身の中に作るプロセス」

 

 

と、今日はそんな風に言ってみましょうか。

 

アクセスすることを妨げる思い癖や価値観を手放し、

新しい回路を作り、繰り返し体験し、定着させる。

その人に最もあった方法で。

 

 

ちなみに「コーチング」なんて横文字で呼ばなくとも、
それをやれている名リーダーは昔からたくさんいた。

 

 

 

 

何より大切なのは、

「コートに」最終的に立つのは選手である、ということ。

その時、そこにコーチはいてあげられない。

 

であればこそ、

いついかなる時も、選手が自分でそれができるように、

選手の身体に根ざした、染み込んだ「使える叡智」となるように。

 

 

毎日毎日の言葉の選択、声かけ、

ボディメッセージ、

そして、自身の存在のあり方そのもので、

瞬間瞬間コーチは「それ」を表現し続ける。

 

 

 

「世界は素晴らしい。

 人間は素晴らしい。

 人は、自分自身を生きるために生まれてきた。

 君には出来るよ。

 さあ、行こう」

 

 

と。

それは、

「優しくいう」とか「褒める」とか、そんな浅薄なレベルの関わりではない。

 

 

 

 

コーチがコートに入れなかった今回の大会。

大坂選手は、きっと自分の中にもはや生きているコーチの問いかけを繰り返しながら、

冷静さを保ち、自分を信じ、戦ったのでしょう。

そして勝った。

 

 

 

 

 

 

テレビで言っていた

「バインコーチ、巧みな言葉で勇気付け♪」「魔法の言葉♪」。

とやら。

 

 

 

 

 

それは、魔法でも何でもなく、

あなたにも、誰にでもできるものなのです。

 

その覚悟さえあれば。

(セミナー等で「わかっちゃいるけど出来ないんですよねえ〜」

という方が結構いらしゃるので、あえて言ってみました(笑))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳鼻咽喉科の待合室から、

 

 

「診察室からこの世の終わりのような泣き声が聞こえてくる。

きっとさっきの女の子。

頑張れ!と密かに応援中」

 

とフェイスブックにアップしたところ、

年若い一人の友人がこんなことをコメントしてくれました。

 

 

 

「前、歯医者に行ったとき、

待合室で向かい側に座った母親が、

怖がる子どもに

『ほら、あのお兄ちゃんは全然怖くなさそうだよ。だから大丈夫』

と諭してて、

(ゴメン、お兄ちゃんも実はめっちゃビビッてるんだ…)

って内心ドキドキでした。

 

とりあえず、あの子どものために、

どんなに痛くても、戻ってくるときは笑顔で戻ってこようと、頑張りました」

 

 

 

素敵だなあと。

まだお父さんでもない、こんなに若い人でも、

いざ、という時には、

 

「大人の矜持」

そして

「大人の責任」

 

 

というものがちゃんと立ち上がってくるんだなあ、と。

 

 

 

 

 

で、

ふっとクライアントさんがおっしゃっていたことを思い出したんですが。

カートや自転車といったスポーツの話。

 

「コーナーを回って、目の前に誰もいない、と分かった瞬間に心が折れる」

 

と。

誰かがいる、

追いつける、と思って走るのと、ひとり行かないといけない、

というのとでは、心の持ち方が全く違うのだそう。

 

誰もいないと、見る間にタイムが下がって、

後続集団に飲み込まれたりするのだそう。

 

 

 

「自転車なんかでもそうで、

一人で走るより、3人以上で走った方が絶対タイムがいいんです。

誰かがいた方がいいんです。なによりラクです」

 

 

 

風よけ、という理由ではなく、

なんですって。

もうほんとうにそれは、人生と一緒ですね、

と頭の中で呟きながら、続きを聞きます。

 

 

 

 

「沿道の応援なんかもそうで、あったほうが絶対に頑張れる。

特に子どもたちの応援がいるときなんか…もう、すごく力が出ます。

そこだけ急に早くなるくらい。

 

みんな、直前までぐだぐだのヘロヘロ。

でも

子どもたちの前だけでは、

シャン!として手を振って、声援に応えるんです。

後ろから見ると『知ってるぞ(笑)』(←さっきまでぐだぐだだった癖に^^)

って思うんですけどね」

 

 

 

 

 

それを聞いて、

なんてなんて美しくて、

そしてホッとする話だろう、と思ったのでした。

 

 

 

 

 

「大人」と呼ばれる年齢になって久しく、

ちゃんとしなければ、

成果を出さなければ、

結果を残さなければ、

と。

 

これでいいのか自分!?

と日々自分の不甲斐なさにガックリし。

 

まるで何もできていないような。

何の価値も無いような。

何ものも生みだせていないような。

そんなふうに感じる日。

それでも、半歩を踏み出さなければならない日。

 

 

 

 

 

もしかして、

父も母もじいちゃんもばあちゃんも…そしてたくさんの先人たちも、

案外そんなものだったんでは、とふと思えたのでした。

 

 

震える足を踏みしめつつ。

もうダメかも自分、と思いつつ。

それでも、

 

 

「ここだけは!」

「今だけは!」

「この子たちの前だけでは!」

 

 

 

自分の中の「矜持」を。

自分の中の「美しさ」「かっこよさ」を表現する。

ぐだぐだになりながら。

 

 

そして、

そんな、たくさんの「一人」の「一日」が積み重なって、

今のわたしたちの生活がある。暮らしがある。

そして歴史がある。

 

…もう、心からのありがとう、しかありません。

 

 

 

 

描きながら、

今、少し元氣をなくしている方などに

読んでいただけたら嬉しいなと思っています。

 

 

さて。

年若い、繊細な友人のコメントに、結構感動しつつ、

「…大人って案外多分、そんなものだから!(だから大丈夫よ^ - ^)」

と、種明かししたいような氣分にもなったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

友人の中に生まれた感情を

「大人の矜持」「責任」と書きましたが、

もっと質の違うもの…

無意識の「願い」とか、「より良きものを手渡す」

といったような、もっと大きなものなんじゃないか、

 

と、書き終わってから思い至っています。

 

 

(最近氣になる戸隠。行きたい!)

 

 

 

 

 

先日、教員だったころの生徒さんたちと会うことがあったんですが。

(現在彼らは30代)


 

 

中学生男子の、意味のない会話の感じってわかります?

やけにうるさくて、

中身はなくて、

妙に笑える…

 

 

教員だった頃は、まるで(いい意味)宇宙人を見るような氣持ちで、

彼らの発するそんなエネルギーの中にいたものでしたが、

(人間だ、自分と同じだ、と思うから腹が立つわけで^^)

 

お酒も入って、完全に「そこ」に戻っている彼らを見ながら

 

 

 

…恐ろしいほど、変わってない(唖然)。

 

 

 

「人の個性は変わらない」。

それをしみじみと再確認して帰ってきました。

わたしとしては、人の本質は、と言った方がやっぱりしっくりくるんですが。

 

性格、というよりは

もとのもと、その人の核、魂が発している空氣・リズム・律動…というかんじでしょうか。

その子の出している微細な振動・波動の質。

(これが一番しっくりきます)

 

 

楽器で言うならば、

ティンパニーの子はずっとティンパニーです。

フルートの子はずっとフルート。

奏でる音色、

周囲と響き合う音色や音の強さ、質はずっと同じ。

 

 

 

 

 

中学の頃、よくある、

「将来に何になりたいの?」という質問。

それを書く用紙に、家業の商売を書いた子。

 

 

先日のその酒席に、

どこのアーティスト!?という感じの格好でふわ~っとやってきたその子は、

全く違う職業についていました。

でも、その仕事は、自由で風が吹くような彼女の質にとてもあっており。

 

わたしの中で、妙に腑に落ちたというか、安心感というか、納得感。

 

 

 

ああ、結局、

自分にとって一番無理のない、自分でいられる、

(そして自分の特徴を発揮できる)

道をちゃんとみつけて、選だんだな、と。

 

わたしはそこに立ち会うことはできなかったけれど、

自分で考えて、ちゃんと頑張ったんだなあ、と。

 

 

 

 

 

さて、世の親御さん方。

 

子どもの本質は変わりません。

もし、もしも、こう生きてほしい、こうなってほしい、という

(親御さん都合の)願いをもってらっしゃる方があるとしたら

…さあ、(いい意味で)あきらめて(笑)!

 

子どもの持って生まれた質を見極め、

生かし、最大限に発揮して生きる道を拓いてあげること。

親の仕事はそれだけです。

 

 

 

 

そして、

今、もし、少しだけ人生迷っている若い人たちがいるとしたら。

 

答えは、外にはありません。

答えはあなたの中に。

 

 

 

あなたの好きなもの。

愛してやまないモノ。

好きな感覚。

いつまでも味わっていたい感覚。

心ふるわせる細胞の響き。

それらすべてに、あなたの生きる道が示されています。

 

 

だから…あなたも、いい意味あきらめて(笑)!

あなたはあなたにしかなれないのですから。

というか、

そのために生まれてきたんですから。

 

 

 

 

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金足農業高校の選手の皆さん、準優勝おめでとうございます。

 

わたしは鹿児島在住なので、今大会、一回戦で鹿児島実業が金足農校に敗れ、

それ以来応援していたのですが。

下記の文章は一回戦が終わった翌日にフェイスブックにアップした文章です。

 

 

❉       ❉        ❉

 

《(鹿実に勝った)金足農の校歌が美しいなあと思いまして》

 

 

うましき郷  我が金足
霜しろく  土こそ凍れ


見よ  草の芽に  日のめぐみ

 

農はこれ  たぐひなき愛
日輪の  たぐひなき愛

 

おおげにや  この愛
いざやいざ  共に承けて

 

やがて来む  文化の黎明(あさけ)
この道に  われら拓かむ
われら  われら 拓かむ

 

 

 

「霜しろく 土こそ凍れ」
って、南国の校歌ではまず歌えないですね。
(当たり前ですが^ - ^)


ああ、
そんなところでこの生徒さんたちは生きているんだなあ。
だからこそ
太陽の恵みを「愛」と
高らか歌いきるんだなあとそんなことを思いました。

 

 

格調高い言葉に、特に若い頃にたくさん巡り会える人は幸せだ、
と思います。
それは、その人の無意識層に染み込み、その人の人生を助けるものとなるからです。

 

 

❉     ❉     ❉

 

この日以来、

各試合を見る時には、試合はまあ、見るとして

どちらかというと、終わった後の各校の校歌を一生懸命聞くようになりました。

おかげさまで、

 

「校歌に使われる言葉ベスト20」

 

が書けるくらい^^。

 

 

見た限り、

やっぱり、金足農校の歌詞が一番うつくしい…といいますか、好みでした。

 

 

何が好みかと言いますと、

金足農の校歌は

 


「実際に使う人の身体感覚と結びついて発せられる言葉」。

 

という感じ。


聞いていて、その言葉の向こうに、その人たちの生活、息遣いが感じられる。

「農はこれ かぎりなき愛」

のところなどもう…

土に生きてきた秋田の先人たちの思いも含め、

しっかりとこちらに伝わってくる、という感じでしょうか。


さすが、農業高校!

身体を動かし、触れ合い、体験する、ということが学びの中心ですものね。

 

 

 

 

わたしの出身校(小・中・高校)の校歌を思い出しても、

結構「パターン化」されているのですよね。

並んでいる言葉自体は美しいんですが、あまり実体がないと言いますか。

そこに、身体を震わせるようなしっくり感があまりない。

 

 

山がそそりたったり

平野をみはるかしたり

うるわしかったり

ひかりがあったり

しているんですけれどね。

(やはり普通科などだと、どうしても言葉が抽象的になりがちなのでしょうか)

 

 

 

 

金足農が勝ち進むたびに、

「またあの美しい校歌が聞けるかな♪」

 

という思いもあって、ますます楽しみに応援していた今回。

 

 

 

 

今日、あの美しい校歌を聞くことは残念ながら出来ませんでしたが、

彼らの身体と心と精神を培い、

今日、ここまで連れてきてくれた

「うましき郷」に。

 

彼らを育んだ土と日輪の恵みのあふれる北の大地に

満面の笑顔で凱旋してね、と思うことです。

 

 

 

 

 

§関連記事
【朗読のすゝめー 日本語のエネルギーを次代へ手渡す】
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12174837237.html

 

 

 

 

 

 

 

 

クライアントさん(男性)のお子さん(男の子・3歳)
は、おしゃべり。
クライアントさんいはく


「ず~っとしゃべってます(笑)」。


とにかく、たいそう言語能力が発達している、と。
「やりたい理由」「やらない理由」を
順序立てて並べて、言葉で幼稚園の先生を説得するのだそうで、

「とても理路整然としていて、反論できません(笑)」
(by 幼稚園の先生)




そんなクライアントさんが今、探しているのが
「身体を使って遊びながら言葉を学ぶ場所」。

「うるさい」とひとくくりにせず、
この言語能力を伸ばしてあげたい、と思っていらっしゃる。
すごいです…。



「でも、そういうところって、英語の幼児教育のところしかないんですよね」
と。
まずは「日本語の力をしっかりと」とのことで。



なので、本をご紹介。
1冊は
谷川俊太郎の「ことばあそびうた」。
もう一冊は
斎藤孝の「子ども版 声に出して読みたい日本語」。



どちらも絵本なのですが、
絵も楽しくて、なにより
言葉がよい。
(わたしが声に出して実証済み)
美しい。
いいリズムです。

声に出していると身体の底から楽しくなる言葉とリズムが満載で、
日本語の魅力が体感できます。




クライアントさんからお礼のメールが来ました。

「最近、子どもの感情の起伏が激しく、泣きわめいたり。
度を超すと、それを表す言葉が見つからなくて、ただ悲しいとう様子になったり。

言ってしまえば『わがまま』なのですが、それだけでぶった切ってしまうのも
どうなのかなと思ったり。

今の氣持ちを表す言葉がわからないというのは、
つらいかなあと。


教えていただいた本を読んで、
言葉(日本語)を知ってゆくことは、
とても役立つような氣がしています」



話が飛びますが、
この方。
お子さんが生まれたときに、記念として、
ご自分のものとお揃いで、誂えたものがあります。

それは「包丁」。


特注で誂えたそれは、
子どもの手で使えるサイズのものながら、
鍛冶屋さんの手打ちでつくられた一品。


「そうそう、昨日、はじめてあの包丁を持って
料理を作りました!
もう卵も割れます。
豆腐を切って、出汁をとって、一緒に味噌汁を作りました」






私がこのクライアントさんについて思うのは、


「世界と子どもをつなく『回路』を
出来うる限りたくさんつくってあげようとしている」


ということ。






3歳ということもあってか、
それが、「知識」ではなく、
わたしから見て、子どもの身体レベルに刻まれるであろう、
リアルな「生きる力」レベルであることが面白い
(そして、とても素晴らしく、すごいことだ)
と思えます。



言葉ということで言えば。


「言葉を知らない」=その人にとっては、その概念(世界)自体が存在しない。


ということになります。

身体感覚としっかり結びついて使える言葉の分だけ、
人は世界を繊細に、細やかに「見て、聞いて、感じて」
生きてゆくことが出来るのです。


自分の感情をていねいに言い表す言葉が
いくつ、音楽のように自然に身体に染みついているか、なんて
これはもう、
幸せで安定した大人になる力、他者と良い関係を築く力と直結しています。

(ですから、クライアントさんの中には、個人セッションの場で
感情をさぐり、言語化しながら、「それ」を開発しなおしている方も
多くいらっしゃいます)





「子どもと世界を繋ぐ『つなぎ目』をつくるのが大人の役目」。





回路の数。質。
それによって、その子が大人になったとき「見えている世界」は決まる
=「住む世界」は変わる。

感知できるものが、その人の人生に「存在するもの」となる。


このクライアントさんのお子さん。
たくさんの回路を通して、
それはそれは生き生きと、豊かに世界とつながっていく氣がしてなりません。


そして、それこそがつまりは
「コミュニケーションの力」。



コミュニケーション力とは、つまりは共鳴・共振の力。

他者と。
環境と。
自然と。
先祖と。
文化、歴史と。


とつながり、分かり合える力、ということであり、

そして、それらはすべ最終的に、
幸福に生きる人すべてが持っている、


「自分自身としっかりとつながる力」


に還ってくるものなのです。
(だからこそ、より美しいもの、やさしいものに

世界はあふれていてほしい、と思うことです)






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この間。

 

道ですれ違った高齢の女性の荷物を持って、目的地付近までお供をして、

勇氣を出して声をかけてよかったなあ〜とすっきりした氣分になっていたのですが、

 

 

 

そのあとお茶を飲みながら

青空に雲を見ていたら、ふっと、

 

「あの方は、わたしの申し出を(わざわざ)受けてくださったんじゃないだろうか」

 

と、そんな氣がしてきました。

 

 

(城山ホテル鹿児島のカフェ。鹿児島市内を見下ろす山の上で、ただでさえ氣持ちのいい場所ですが、

「ブラタモリ」でここが鶴丸城の郭の跡と知って以来、ますますぼんやり坐っているのが楽しくなりました)

 

 

 

 

確かに荷物は多かったけれど。

そして、確かに休み休み歩いてらっしゃいましたが。

「あらあら、見かねたのね。まあまあ」

 

 

と、そうおっしゃっていましたっけ。

 

 

 

 

役に立った、立たなかったとか、

実際どうだったとか、そういうことはどうでもよく、

目的地までの少しの時間、

わたしはとても楽しくて、しかも氣分がよかった。

道すがらの少しの間の会話もなんとも嬉しく。

 

 

 

受け取ってもらうことで、

こんなにも幸せになる。

 

受け取ることで、人を幸せにする道もある。

と、

知ってはいるわけですが、

今日はみぞおちのあたりから、

温かい温度を伴って実感でした。

 

 

 

 

 

 

今朝、セッションで

「今、怪獣のバラードですね」

 

という喩えがつい口をついて出て来。

小中学生がよく歌う合唱曲です。

 

 

クライアントさん、

はじめは「なんですかそれ?」

だったのですが、そのあと、メールで

 

「youtubeで聞きました。

昔は何とも思わなかったけど、今聞くと泣けました」

 

と。

 

この方にも、

何度目かの旅立ちの時が訪れているようです。

 

砂漠を行くキャラバンの「旅立ちの鈴の音」を

聞いてしまった人は、

もう元に戻ることはできないのです。

 

住み慣れたあたたかい砂漠を出て、次の世界へ旅立つときが、

みな、人生で何回か、訪れるものです。

海を見るために。人を愛するために。

https://www.youtube.com/watch?v=_9VCTbHXfOQ&index=1&list=RD_9VCTbHXfOQ「怪獣のバラード」

 

 

 

 

さて、

今日は、本題はこちらでして。

今日はそのセッションからこっち、ずっと合唱曲を聞いています。

 

 

やっぱり、

教員だったころに子どもたちが歌っていたものが懐かしい。

 

「怪獣のバラード「大地讃頌」「マイバラード」「心の瞳」…

「空かける天馬」

も懐かしい。

 

こうやって聴いてみると、あらためて思うのは、

まあ、大きな言い方をすると「芸術のすばらしさ」(必要性)

です。

ひらったくいうと、子どもの頃に、

「質の良い、美しいものに触れることの大切さ」。

 

 

 

合唱はいいですね。

 

ただ「触れる」(見る、聞く)だけでなく、

自分の身体、呼吸、全細胞を使って表現する、

しかも、マックスにエネルギーを出して表現する。

 

歌詞と、自分の心の中にある感覚と感情を結び付け、

増幅して、自分の想いを乗せて思いっきり発する。

 

 

 

 

どなたかがテレビで、

中学校で合唱コンクールがあるのはとても理にかなっている、

ということを言った人がいましたが。

 

 

 

なかなか感情が言葉になりにくいこの時期。

身と心に溢れる、得体のしれないエネルギーをもてあますこの時期に、

「洗練された、美しい言葉」と「美しい旋律」を借りて

 

 

「自己を思いっきり表現する」

 

 

これは、計り知れない効果をもたらしているのでしょう。

 

 

 

そしてさらに。

その体験は、身体と心に、一生をつらぬく財産となって刻まれます。

 

Youtubeに書き連ねられている、

たくさんのコメントを見ていると、それをしみじみと感じます。

 

人生のたくさんの場面で、

「その曲の思い出」(と、そこから沸き起こる感覚感情)が

自身を勇氣づけていることを、多くの人がせっせと書きこんでいる^^

 

 

 

 

芸術は、人の魂の至高の発露。

 

絵も、書も、歌も、文学も、造形物も、踊りも…

いわば人の神性の発露。

 

多くの先人たちが、

身を削り、魂を削り、自身と向き合い、

その中から一瞬のきらめきのように見つけた「ほんとう」を

かたちにしたもの、それが芸術です。

 

 

学校で、なぜ、芸術が教科としてあるのか。

 

 

それは、畢竟

 

人としての生き方の美しさ、

人としての生き方の幅、

あい、

いつくしみ、

真善美を希求し続けるあり方、

 

 

そういったものを、

理屈ではなく、細胞に移すため。

瑞々しい細胞にそれを刻むため。

 

それから後の長い人生をくじけず、よろこびの中、歩いていくため。

 

そう思えてなりません。

 

 

 

親御さん。

先生方。

今、子どもたちが身近にいる方々。

どうぞどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

わたしも、

一人の大人として、責任もって、

この世界を「よきもの、美しいもの」で

溢れさせるよう生きたく思います(おー!)


 

 

 

 

追伸;

クライアントさん、ただ今「宣言文」を作成中です。

これからどんな人として、どんな人生を歩むのかを言葉として明確に「宣言」する。

 

「怪獣のバラードをリピートしながら」

書いています、とメッセージがやってきました。

 

 

 

 

 

 

 

❉【今氣に入っている合唱曲「旅立ちの時」】

https://www.youtube.com/watch?v=oaYSb6nwqmk&index=4&list=RD_9VCTbHXfOQ

 

❉画像は映画「くちびるに歌を」から

 

 

 

 

 


クライアントさんと「体重を落とす」話になりました。
職場の検診も近くていらっしゃるのだそうで。

食べ物の量と質を節制中。けれど少々うまくいっていない。
「夜、つい食べてしまうんです…」
と少し元氣のないお声。



わたしはもちろん、ダイエットの専門家ではないのですが、
でも、「人の本質に沿った行動」
が、高パフォーマンスをもたらす、ということはよくわかります。

なので、
ダイエットの様子を聞いていて、
感じたことをフィードバックしてみました。



「今、あなたが食事から得ているものが、
ただ食べる、ということにとどまらないことがよくわかります。
とてもとても大切な時間なんですね」
  


忙しい。責任ある立場。緊張の連続。

そんな中、
この方にとって「夜、お店で色とりどりの食材を選ぶ時間」
そして「食べる時間」が、
一日の大切なリセットの時間であり、切り替えであり、癒しであり、
バランスをとる時間であり…

とにかく、「自分」に戻ってくるための
大切な儀式とのような時間ともなっている、と感じたのです。
いや、この時間がなくなったら、ヤバいでしょう。



「とにかく、まずは自分を満たしてほしいと思います」



との言葉がつい口を突いて出ていました。

食事のこと、というより、
とにかく日々、ハードな仕事を頑張っている自分、
夜遅くまで頑張っている自分をすごい、と認めてほしい。
よしよし、とOKを出してほしい。


やっとホッとしている自分の心に、
追い打ちをかけるように「否定」や「禁止」の言葉を投げかけることは
(「これはダメだ!」とか「またあれを食べたのか!」と)
とにかくやめてほしい、と心の底からそう思いました。







「まず、満たされること」。
「満たされたときに、はじまる」。


水か高いところから低い所に流れるように。
自然に、物事が「あるべきよき方向に」真に動き始めるのは
満たされたとき。






禁止や否定のエネルギーからの行動は、一時的には成果をあげますが、
でも、長続きはしません。


禁止・否定が生み出すのは「緊張」。
心と身体のガチガチの緊張です。
長期的には自分の心と身体をさいなむ「負のエネルギー」と化します。

ガソリンみたいなものでしょうか。
車を力強く動かすけれど、同時に環境を壊すガスも発するという。




地球と同じく、人を動かす原動力も、クリーンな方がいい。

 


クライアントさん。
フィードバックを受け取ってくださり、思うところがあったのか、


「夜、これまで禁止していたものも適度に食べる」


と、方向を転換。

禁止を解き、心と身体がリラックスすることで、
イライラが減り、トータルで余計な嗜好品を食べなくなる。
そんな感触が湧いてらしたようです。

何より、食べていい!というのは嬉しい!



「うん、これならうまくいきそうです」



成果のほどはこれからですが、
何より、そうおっしゃるクライアントさんの声が
ずっと元氣になっていました。

 

 

 

❉     ❉      ❉

 

《自分のためだけの作戦会議の時間を持つ》



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こういうのは特別な人が受けるんではないの?
特別なときに受けるんではないの?


と言われたことがあります。
 

 

けれど、
それは特別なことでもなんでもなく「普通のこと」なのです。


座禅を組む。
茶室で茶を喫する。

古くから、わたしたち日本人は心を整え、自分自身と対話し、
決断や判断に生かすことを大切にし、そのための時間を
生活の中に取り入れていました。

そしてその中には、有効な方法として

「問答をする」

という形も使われてきました。

「自分を理解する」
「道筋を見つける」
「決断する」

…それらのために「他者と語らう」ということは、
古今東西、多くの人々が普通に行っている方法の王道なのです。



コーチングは
「世間話」「おしゃべり」「相談」


とは一線を画したコミュニケーションの時間です。
あなたの希望、目的、望む姿に向かって明確な方向性を持ちつつ
会話が構築されます。

そして、使うのは「自分自身の中にすでにあるもの」。
自分の中に、答えも、たくさんのリソース(資源)も、
すでにあったことに驚くかもしれません。


そんな自分のためだけの時間を人生の一時期、自分に与えることは、
とても意味のあることなのです。

 

 

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アイヌは、その個性・役割が「名前」になっている、と
聞いたことがあります。


アニメ「ゴールデンカムイ」。
これに出てくるアイヌの女の子「アシリパ」は、
確か「未来」という意味だったような。

時は明治後半。
その名の通り、アシリパはアイヌの伝統を守りつつも、
旧習を打ち破り、大活躍。

 



 (※クリックすると公式サイトに飛びます。ご興味ある方はぜひ。

 アイヌの風習が詳しく描かれていて、出てくる料理がいちいち美味しそう)



わたしたちも、親から名前を授かりますが、
一方、子どもがその名前を選んでいる、とも読んだことがあります。

何で読んだのかは忘れましたが、
子が親に「その名前を思いつかせるのだ」と。




わたしの甥っ子。4歳と2歳。



長男はゆったり、ほんわりとやさしい子です。
おしゃべりで、「ねえねえ♪」とニコニコしながら近寄ってくる。
何だかいつも春風が吹いているよう。

そして、この子はまさに、Yの字からはじまる、
ゆったりした意味と音韻の3文字の名前の持ち主です。



翻って2歳の次男。

生れて2日目、病院に会いに行ったときには驚きました。
大きくてしっかりした手。長い指。
夜だというのに、しっかと目を見開いて、
かっとこちらを見据えるその視線の強さに、



「この子、ものすごく氣の強い子になるね」



と。
赤ちゃんをそんなに見たことのないわたしさえ、
ついそういってしまう眼力の強さ。

この子も生まれる前から「K」ではじまる名前をもらっていました。
うん、何があっても君は、この大海原を
ざんぶと渡っていけるよ…君にピッタリだね、

と、そういう感じの4文字の名前です。



そして、月日はたち、
彼はやっぱりそのように成長しています。
おしゃべりをしているのはおおよそ見たことがありませんが、

入園式の日にはその場に留まらず。
法事の日はお寺の祭壇によじ登り。
運動会の日は、一人フィールド内に突進して行っていました。(もちろん出番外)




その子の持つ「本質」。
もともと持っている「生」の響き。魂の響き。リズム。
それは厳然としてある。




わたしたちは、大人になると「仕事」をはじめます。
職につきます。
けれど。


そもそも「自分であること」自体がこの世界に対しての
大いなる「仕事」なのではないか?


と、あらためて、最近、思い始めています。
昔の…どれくらい昔かはわかりませんが、
例えば縄文時代とか?

その頃の集落では、その人の本質(特質・個性)がそのまま仕事、であり、
それを発揮し、交換しあうことがそのまま、
「皆で生きる」ことにつながっていた。

逆に、そうでなかったらあの時代、生き残れなかったのでは?とも。



「自分を生きる」ことが、
チームへの貢献であり、そのまま全体の繁栄にもつながっていた。




「未来を生きるもの」(アシリパちゃん)。
「ゆったりと時間を刻むもの」(甥っ子1)。
「未知を開き、航ってゆくもの」(甥っ子2)。




ゲームに、
「僧侶」「戦士」「魔術師」「賢者」「戦略家」「道化」…
などなど、出てきて、みんなで旅しながら
ミッションをクリアするものがありますが、
あんな感じでしょうか。



もっとも自分であり、
自分を輝かすことが出来る状態であること。
最高に自分自身であること。


結局、いつも同じことを言っている氣がしますが、
それよりほかにすることはなく、
それこそが最高のこの世界への貢献である、と思うのです。


*    *    *

7月・8月スタートの個人セッションのクライアントさんを募集します。

募集人員は2名となっています。


次のような方には特に活用いただきたい、またお役にたてるセッションです。

・忙しく時間だけが流れて行く氣がして、なんとなく焦りを感じている。
・生活の基盤を整え、手放すべきものは手放し、自分にとって一番大切なことに
 エネルギー(時間・意識・お金…)を注ぐ必要があると感じている。
・自分の良さが存分に伝わるコミュニケーション力を発揮したい。
・周囲のリズム、人、出来事に振り回されている氣がする。
 ふと振り返ると自分がない感じがする。地に足がついていない氣がする。
・人生の節目にあると感じている。
・自分らしさ、自分の本質を存分に発揮して仕事や生活を営む段階に
 シフトする時期が来たと感じている。
      ↓
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《なぜ「話すこと」が役立つのか》

人の無意識に乱れ飛ぶ情報は、夜空の星のように膨大です。
そして人はその中の、ほんの小さな一点しか把握できていない。
それはあたかも、広大な星空を、望遠鏡を逆さにして覗いている感じでしょうか。

広大な無意識という海の底から、自分にとって必要な情報を浮上させる方法、
それは「言葉にすること」。


言語化することで初めて「自身の手に取り」確認し、使うことのできる
「形ある」ものになります。



コーチは、セッションの中で、たくさんの役割を果たします。
「かがみ・共鳴板・伴走者・ナビ・指揮者・ストーリーテラー」…。
それらの力を使って、
一人の思索ではたどり着けない場所に、
早く、確実に行ける。


それがコーチングの効果であり、醍醐味のひとつです。

 

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生徒に暴力をふるってしまった先生へのアンケートがあるそうです。

「なぜ手をあげてしまったのか?」

そのもっとも上位の答えは、
「言葉が出なかったから」。
的確に、自身の感情と言葉を合致させられなかった、が理由。

な、なんとある意味わかりやすい。
「そのまんま」。




暴風雨。
たまりにたまって溢れそうな水を、適切に放出することが出来なかったダムが
耐えきれず決壊してしまうように、

溢れ、暴れる感情。
それを適切に「開放」するすべを知らなかったがゆえに
「身体で」放出するしかなかった、ということでしょうか。





日頃から、
自分自身の感情と「言葉の回路」をしっかりとつなぎ、
なおかつその回路を「太く」しておくことはとても大切です。

この回路が細い、あるいは詰まっていると大変です。
そして、例えば若い世代を見ていると、
この回路が「豊かに開いている子」が多い反面、

「泥が詰まりまくって水が流れない水路」
もしくは、
「ほとんど使ったことがないんじゃない?}


というくらいに、もう、ストローくらいに細い子も見受けられます。
前者は感情豊か。
表情も生き生きとしています。

そして、いつも多くを見て、多くを氣づける。
周囲へ向けての繊細なアンテナが
のびのびとしっかりと世界に向けて、健康に張り巡らされているのを感じます。


後者は、表情が乏しい。
石のような表情で、身体もガチガチに固まっている子が多い。
そして、自分が本当に、何が好きで何をしたいのか、
ということがわからない、と訴える子が多いかなと。




感情を言葉にする。
これは、「そうしましょう」と今聞いたから、
明日からすぐできる、という
類のものではなく、慣れが必要です。


1.今、自分が何を感じているか?に敏感になること。

2.感じている感情が「何であるのか」を探索し、
 適切な「ラベル」をちゃんとつけることが出来ること。 

不快な感情があった場合、
・それの正体は何か?「悲しさ」なのか?「怒り」なのか?「悔しさ」なのか?
 それとも…。
・腹が立つのだったら「何に?」「誰に?」「言えるなら何と言いたい?」
「自分はどうしかたった?」「自分は何を望んでいる?」等…
 ちゃんと、自分の感情を「言語化」してあげること。





最近、他者の身体を無差別に攻撃する事件が相次いでいます。

きっと「自分の氣持ちを丁寧に言葉にする」とは無縁の状態で
ずっと生きてきたのかな、
ということはなんとなく思うのです。




何が何だかわからなかったものに「名前」がつく、
言葉として表に取り出される、というだけでも、
楽になります。
そして解決への一歩がはじまります。




居心地の悪い感情…怒りや悲しみや、
そういったものとわたしたちは無縁では生きられない。

そんな中、
自分の感情に振り回されることなく生きる。
自分の感情に振り回されることなく、
他者や物事とコミュニケーションをとる。


そのための第一歩は、
感情を抑えることでも、
見て見ぬふりをすることでも、
否定することでもなく、

「そこにある」

と見てとり、認め、そして、それを言葉に変えること、です。




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それを相手に直にぶつけなくても、
(適切な方法で伝えられればなおよいのですが。そしてその方法はあります)
まずは、自分の中で、



紙に書く。
誰かに聞いてもらう。



どんな方法でもよいので、まずは、
自分の中の感情の「かたまり」をよく見て、分解し、
正体を明らかにし、光のもとに連れ出してあげること、です。





大人は、
子どもの「氣持ち」を丁寧にきいてあげること、です。
子どもがゆっくりと、自分の感情の海に分け入り、光を当て、
海面に浮上させ、言葉にできるように導いてあげることです。

丁寧に、丁寧に、繰り返し。
それが「当たり前」になって、自分で自然と出来るようになるまで、
習慣づけてあけることです。


そして何より、
「自分の感情はどんなものでも受けとってもらえる」
(※「受け取る」と「受け入れる」は別)
「自分の感情はどれも大切なものだ」


ということを、子どもの無意識にしっかりと、
刻み込んであげることです。



そして、まず何より大人自身が、
感じることを怖がらず、
そのことを自身に対して行う。
それこそが大切だと思うことです。

 

 

 

 

 

 

 

✱個人セッションのクライアントさんを募集します。

枠は2名です。(7月より募集を開始しますので今しばらくおまちください)

 

 

◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆
今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
自分の人生の軸を明確にしたい方。
自分の中に今ある方向性をさらに力強く開花させ、前へ進むための後押しが欲しい方。

◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆
毎日の生活の中のちょっとした「氣になること」「終わっていないこと」
がわたしたちから奪っているエネルギーは案外大きいもの。
それらを「見返し、整理し、手放す」ことで、注ぎたいところへエネルギーを注ぐ準備を!