人が持つコミュニケーションの力を磨く・鍛える・呼び覚ますーコミュニケーション・ワークス公式ブログー

 

 

 

 


昔、教員をやっていた頃、

「将来の夢」といった作文を書いてもらうことがあったのですよね。


で、一人、白紙を持ってきた男の子がいまして。
今でもその時のことをたまに思い出すのです。



その彼なのですが、
「書いとくか、とりあえず」の子や、
「マジな力作」の子や、いろいろな中で、
本当に困ったような、悲しそうな表情で、


「ない。僕は思いつかない…」


と。

 



 

今思えば、「とりあえず書いとくか」などという考えすら浮かばず、
真剣に原稿用紙に向き合い、
そして時間を過ごした結果をそのまんま、
正直に持ってきたのだな、と。



その子の表情と、
大柄な背中のいつもより窄まった様子を思い出すたびに、
胸がキュ、と痛むような感覚を覚えるのですが。




さて。
「将来何をしたいか」(いわゆる「進路」)を考えるときに。

私たちは「外界にもはやある基準」、
世の中にもはやある「概念」「区切り」を通して
そこに「自分」を当てはめようとする癖がある。

というか、ずーっと、そのようにして
「自分」を「もはやある型」に当てはめ、
生きていくように「躾けられて」きたように思う。



「何になりたいの?」➡︎
「サッカー選手」「お花屋さん」「パティシエ」「公務員」…





そうではなくて、本当は。
「それ」を通して、
「何を(どんな感覚を)味わうのが好きだからそれをしたいのか」
を見なければならないのだ。



「うちの子は、ゲームばっかりして困るんです」
ではなく、
「うちの子は、ゲームの中でいつも『助けて』ばっかりなんです」



と、言えるようにならなくてはならないのだ。親は。


(詳しくはこちら。
『子どもを動かす『動詞』ー今日から家庭でできる進路さがし』
私もまだ読んでいないけれどきっと良書)
https://www.maruzenjunkudo.co.jp/products/9784908555831





明治大学の斎藤孝先生も、
「動詞」に注目せよ、と言っている。
そこに、その人の「本質」(特質=ずーっと発揮していられる才能)
が隠されているのだから、と。



斎藤先生は「練る」ことが好きだったらしい。
とても好きだったらしい。
子供の頃は、駄菓子屋の水飴を白くなるまで練るのが本当に
好きだったらしい。

そして今、その「練る」という本質を、
自身の仕事で存分に発揮しているのだ、と。



ずーっと何かを「磨いていた」子はいないだろうか。
いろんなものを「合体させて」ばかりいた子はいないだろうか
「普段人が開けないところを開けて」ばかりいた子はいないだろうか。
(私のクライアントさんは、これ。「仕組みの本質」を

なんでも見て取れるので、独自のやり方で製作するお仕事を

なさっている)




私の仕事も、
「コーチ」と一括りには、とてもできない。
その中で「発揮している特質」はそれぞれ千差万別。
(理論肌・分析肌・直感肌・五感肌…)
完全に「その作り出す世界」は一人一人が別物のように思う。





話戻って。
あの頃、あまりにもざっくりとした、
なんの繊細さもない授業をしていたことに、
本当に、土下座したいような気持ちになるのだけど。

あの頃、こういう知識があったなら。
こういう視野を少しでも持てていたら。

彼も、あんなに肩身の狭い思いをしなくて済んだのに、と思う。
そもそも、ああいう授業自体、しなかった。




みんな。
大切な人のことを、世間の「区切り」ではない、
曇りのない眼でじーっと見てみてほしい。
そして、何より「自分自身」を見てみて。
深く深く、自分を見てあげて。



あなた自身の「本質」は、
一番あなたに見つけて欲しがっているのだから。






*  *  *  *  *



《お知らせ》

この文章が、ちょいと心に響いた方のために、
場を2つ、しつらえました。

どちらもテーマは「本質」。
あなたは、何者?
それを「もうある形」「既存の形」に当てはめて探すのではなく、
「自分の中からででくる感覚」から
探そうよ、という場です。

どちらも、気軽に遊び感覚で体験いただける場です。



❶9月21日開催
【コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回】
ー「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」ー

⚫︎少人数で静かに進む、小さな対話と体感のワークショップです
⚫︎「何者かにならなきゃ」から少し離れて、自分の感覚に帰ってみる時間
(詳細・お申し込みはこちらへ)
https://fb.me/e/5i0ACrXld



❷【「自分の才能」で生きる】
― この秋、あなたの才能(本質)に出会うコーチング体験セッション ―

⚫︎自分の中に長くあった「問い」を、
言語化してみたい方のためのセッション
⚫︎何かが動き始めるきっかけとなる“場”としてのセッション
⚫︎自分の「響き」を取り戻したいと感じる方のためのセッション

10月からスタートします。
また詳しくはお知らせします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この夏は、いつもよりたくさんの戦争関連の番組を意識して観たように思う。

 

その中に、

「戦争から戻った父親からの虐待を受けて育った子どもたち」

という内容の番組があったのだけど。

 

 

 

ほとんど全ての日本人が、何らかの形で、

大きな傷と挫折を心身ともに負った時代が、あの時代だったと思う。

 

ずっと信じてきた価値観が、脆くも根底から崩れ去った人。

目の前で、大切な人が死ぬのをただ見ていなければならなかった人。

戦場で、言葉には一生できないであろうものを見、

言葉にはできないであろう行動をしなければならなかった多くの人。

 

 

 

 

その「傷」は、

きっと一人ではとても耐えられるものではなく。

 

 

「戦争から帰ってきた父親は、狂ったように

自分たちに暴力を振るった」

 

 

その記憶を、今、

70代、80代を迎えた人たちが

やっと、ポツポツと語り始めている、と。

 

 

 

そして、さらにその「傷」は連鎖している、というのだ。

(それはそうだろうなあ、と思う)

子から、その子、また次の子へと。世代を超えて。

 

 

 

 

 

学生の頃、

「自分」というものにふっと興味が湧き、

それで「日本人」ついて、調べたことがあった。

(「菊と刀」なんかも読んだ気がする)

 

そして、

島国であることから形成された民族の特性、などを読んで、

妙に落ち着いたというか。

自分の性格的な「難」(だと当時、捉えていた部分)

に「理由」「ルーツ」「起源」が見つかったような。

腑に落ちた気がしたことを覚えているのだけど。

 

 

 

 

さて。

「虐待は連鎖する」。

 

 

戦後80年。

子ども達は、もはや「その出発点が何であったか」もわからないまま、

ただ順送りにされてきた、重い鬱屈したエネルギーだけを、

理不尽に受け取り続けている(かもしれない)。

 

 

 

(ちなみに「虐待は連鎖する」と書いたが、

私がここで問題視しているのは、

「目にみえる暴力や暴言」だけではない。

 

「自分を信じられない」

「何か、自己が不安定である」

「自分たちのルーツを大切にできない。誇りを持てない」

「自分たちの文化・心根の土台を軽んじ、継承できない」

 

これら全てが「虐待」と同じであり、

長い目でみた「自殺行為だ」と捉えている)

 

 

 

 

 

 

 

今日は、だいぶ重たいことを書いた。

 

日本人は他民族に比べて「自己肯定感の低さ」というものがある、

と何かで見たことがあるのだけど、

それが、この

 

「民族の集合無意識に、刻み込まれた悲しみと挫折と傷」

 

からも、きているのだとしたら。

 

 

 

さあ。

どうする?

大人たちよ、どうする?

 

 

今この瞬間、人ごとではない。

「あなた自身の」中にある、親から、そのまた親から、

そのまた親から無意識に受け継いだ、深く深く積もった

「恐怖」が。

「挫折」が。

 

「自分を出してはいけないのだ」

「私たちは間違っているのだ」というような…

そんな「悲しみ」と「恥辱」が。

 

 

 

もしも、そんなものが私たちの中にあるとしたら。

そして、今この瞬間、子ども達に「それら」の欠片が

伝わっているとしたら。

 

 

 

 

 

再度、問いたい。

で、

あなたはこれからどうする?

どう生きる?

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

《お知らせ》

 

私たちは、確かに親から、

その親から、そのまた親から

「負の遺産」

も、受け継いだかもしれません。

 

 

けれど、

それ以上に美しいもの、素晴らしいものも

たくさん受け取っています。

 

 

これから、私たちが「自分らしく」

「誇らしく」

「自信を持って」

「自分の自然な在り方(特質・よさ)を存分に発揮して」

軽やかに生きることと、

 

「受け取った素晴らしいもの」

「日本人的感性」

とアクセスすること、は

無関係ではないと思っています。

 

 

このワークショップも、

根っこにそういう「構造」を秘めている、

と言えます。

(中身は、全くもって難しいものではないので

安心していらしてくださいね!)

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

🔷9月ワークショップのご案内🔷

【コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回

「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」】

 

 

🔸今回はちょっと面白くて。

9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに

「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。

アセスメントや数値化ではなく、

「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、

参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。

 

 

 

自然と人と、自分のつながりを感じる時間

私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。

風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、

実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。

今回は、そんな「自然のイメージ」から、

自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。

 

 

 

*  *  *  *  *

 

開催概要

⚫︎日時:9月21日(日)14:00〜16:30

⚫︎会場:カクイックス交流センター 絵画製作室(5階)

⚫︎参加費:3500円

⚫︎募集:12名(先着順・残席5)

 

*  *  *  *  *

 

⚪︎イメージする力

⚪︎ 言語化の力

⚪︎観察する力

⚪︎感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)

⚪︎チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)

⚪︎自分を深く見つめる力

⚪︎対話の力

 

 

 

…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。

「感性で自分を探ってみたい」

「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」

「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたい」

そんなことに、

面白そう、と思ってくださる方と、

ご一緒できれば嬉しく思います。

(詳細はこちらへ)

 

 

 

 

 

 

 


 

 

この記事は、Facebookでシェアしたエッセイの再掲です。
秋の風が吹きはじめたこの時期。

よろしければ、静かな時間にご一読くださればと🍂

 

最後には、現在お知らせしているワークショップに関するご案内も添えています。
この文章と響き合うような内容になっていますので、

関心をお持ちの方はどうぞご覧ください。

 

 

*     *     *

 

 

朝夕涼しくなって、頭と心にも空間がやっと生まれてふっと「涼やかな風が吹く」と言いますか…。
自分の中に眠っていた「思いの種」もぽつぽつと拾い上げたくなるような、そんな季節になりました。



さて。
どこかの動画で「今が一番若いわけですから」という「よく聞く言い回し」を耳にしたのですが。
(なのでここから広がる可能性に目を向けましょう、みたいな)



「今が一番若いのだから」
「今日が一番若いのだから」



というこの言い回しに、
以前からなんでしょうね…ほんの少し、
胸の辺りが微かに詰まるような、微妙な感覚を感じていたのですが。



で、この微かな違和感は何かなあ、
と考えてみたのです。

つまり、この言葉には、
「若さ=正・よいこと」
「年をとる=負・マイナスなこと」

という王道の「前提」が入っていはしないかしら?
と思ったのですよね。



とても前向きなセリフに感じますが、
その奥の奥、土台には、
「年をとる」ということへの不安、怖さ、
そういったものが
やっぱりしっかりと横たわっているのでは、と。

なので、
決して「そこから自由に」なっている言葉、ではないなあと。





9月になり。
車の上に、
桜の葉が一斉に落ちてくる時期を迎えているんですが、
その葉っぱが美しくてですね。

あざやかな黄色で、そこにオレンジが混ざっていたり、
少し虫に食われてこっくりとした茶色の縁取りが入っていたりと。

とにかくどれも綺麗で、
フロントガラスから払い落とす時に、
つい、手に取ってまじまじと見入ってしまうのです。



花のときは花のとき。
青葉のときには青葉のとき。

全く「質の違う」美しさであって、
わたしにはとても「どれが優れていてどれは劣っている」
というふうには見えないし、
感じることも出来ない。






年をとるって、
つまりこういうことではないのかなあ、と。

「変化」は自然の摂理。
生まれた時から、変化は私たちの身体に
(まあ、この世界のもの全てに、ですが)
組み込まれているもの。

背が伸び、歩き出し、やがてたどたどしく言葉を話しだす。
…これも全て「変化」です。
(変化は祝福、とも言えるのではないでしょうか)

もしも、変化することがなかったら
どんなにか恐ろしくて、
寂しいことだろう、と思います。





なので、今。
毎朝、落ち葉の一枚一枚がそれぞれ美しくて仕方がないように、
自分の変化も、周囲の人たちの変化も、
実はそういうものなんじゃないかと。

うまく言葉にならないんですが、
そういうふうに感じているところです。
少なくとも、



「今が一番若いんだから!」



という言葉よりは、
ずっと「力が抜けて」「深く息がしやすい」感覚を今のところ
感じているところなのです。






*  *  *  *  *



上の文章を書いてみて、
暑さを過ぎてふっと方の力が抜けた感じのあるこの季節。

「自分の中のふとした感覚」
を拾い上げて、丁寧に見てみる、
味わってみるのに、適した季節だなあと。

そんなふうに思ったことでした。

こういう「自分の土台」と関わる時間は、
派手ではありませんが、
静かに、でも確実に「違いを生み出す」
大切なところだと思っています。
 
下記は、そういう時間の「ご案内」です。
ご興味ある方はぜひ。



🍁【コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回
「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」】


🔸 今回はちょっと面白くて。
9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに
「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。
アセスメントや数値化ではなく、
「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、
参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。


🔸 自然と人と、自分のつながりを感じる時間
私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。
風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、
実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。
今回は、そんな「自然のイメージ」から、
自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。


*  *  *  *  *

🗓 開催概要
⚫︎日時:9月21日(日)14:00〜16:30
⚫︎会場:カクイックス交流センター 絵画製作室(5階)
⚫︎参加費:3500円
⚫︎募集:12名(先着順・残席5)

*  *  *  *  *

🌱 イメージする力
🌱 言語化の力
🌱 観察する力
🌱 感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)
🌱 チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)
🌱自分を深く見つめる力
🌱 対話の力



…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。
「感性で自分を探ってみたい」
「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」
「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたい」



そんなことに、
面白そう、と思ってくださる方と、
ご一緒できれば嬉しく思います。
https://fb.me/e/5i0ACrXld
(詳細はこちらへ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ニホンザルだかチンパンジーだか、の母親が一人で「ワンオペ育児」ができるのは、
「生まれてすぐに、小ザルの両腕が、母親の身体にしがみつける」

構造と力を持っているからなのだ、と何かで見た。



小ザルは、自らの力でぎゅっと母ザルの身体にしがみついて、
振り落とされなることはない。
なので、母親の両手は自由自在。(ここが大事)
子どもを身体にくっつけたまま、
自分も自由に餌を食べたり、どこへでも移動することができる。

だから、「ワンオペ子育て」ができるのだ、と。



が、人間はそうではない。
生まれたばかりの赤ん坊は、コロンと転がったまま、
放っておけばすぐ死ぬ。
1年間は一人では何もできない。
(1年過ぎても色々と大変そうですが)



母親は、常に、自分の両手で子どもを抱き抱えていなければならない。
(抱っこ紐があるやん、というツッコミはここでは
論旨がズレるので置いておく)





これは、改めて、よーく考えてみると、
すごいことだと思うのだ。
家の中に、「放っておくとすぐに死んでしまう」
「寝転がっているだけ」の
「最高に大切な」ものがいるのだ。
常にいるのだ。
24時間待ったなし!なのだ。



この緊張。
このストレス。
これを「死ぬ気で」「全精力使い果たして」産んだ、
その余波も冷めやらぬ身体で、
(帝王切開だったら、切ったお腹が痛いよー!な状態で)
やるのだ。





今、身体のことを書いたけれど、
精神的な部分の長期の「負荷」も含めて、
本当に、人間の子育てというものは、

「頭を大きく産み、代わりに1年間は寝たきりで、
庇護者がつきっきりで面倒を見る」

という出産形態を選んだ段階で、
「チームで行う」ということが「必要不可欠」になったのだ、
と思う。



そうやって人類は「二足歩行」と「知」の進化を、得た。
それもこれも、全部
「子育てはチームプレイ」あってのことだ。





そう考えると…
今、一人で。
または基本夫婦だけで、一生懸命子育てをしていたとしたら、
それは本来の「人間の本質」ではない、
とても「不自然な形」なのだ、と思う。
「何か」と切り離されてしまった不自然な姿。




なので何を言いたいかというと。
まずは、カフェで騒いでいる子を見たら
(静かにしてね、は言うけれど)

その庇護者さんたちに、心の奥底で
限りない愛と敬意を持っていたい、と
まずはとりあえず、思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

 

人間の本質は「つながり」によって生きるものである、ということです。

他者とのとながり、そして何より大切なのは自分自身とのつながり。

子育ての場面だけでなく、

わたしたちの日々の暮らし全てにおいて欠かせないものです。

 

来月の、そのための場のご案内を下記に。

一緒に語り、聴き、感じ合う時間。
「人と人との間」を体感しながら、自分を発見する時間です。

よろしければ、覗いてみてください。

 

 

 

🌱 コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回

「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」

 

 

9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに

「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。

アセスメントや数値化ではなく、

「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、

参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。

 

 

🔸 自然と人と、自分のつながりを感じる時間

 

私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。

風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、

実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。

今回は、そんな「自然のイメージ」から、

自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。

 

 

* 

 

 

🌱 イメージする力

🌱 言語化の力
🌱 観察する力

🌱 感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)
🌱 チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)
🌱自分を深く見つめる力

🌱 対話の力

 

 

…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。

 

「感性で自分を探ってみたい」

「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」

「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたいよ」

 

とにかく、

面白そう、と思ってくださる方と、

ご一緒できれば本当に嬉しく思います。

 

 

📝 詳しくは下記のチラシをご覧ください。

 

 


 

 

 

 

 


知人にしても、クライアントさんにしても、わたしの周りには、
本当に魅力的で、smart(賢く)、才能のある、

いわゆる「しごでき」な人が多い。

わたしの古い友人なども、
学生時代から本当に「仕事ができる」人だった。
学園祭では大勢の人間を仕切り、
仕事についてからも、綿密な計画性と行動力で
未知の分野を切り開き、
バッサバッサとこなしている様子は漏れ伝わってきていたものだった。



が…
そんな彼女が、
「子どものこと」になると、ダメなのだ。
いや、「ダメ」というのは言い過ぎで、
一言で言うと「客観的に見ることができない」。



あなたのあの論理性はどこへ行った?
目の前の子どもの何を見ている?
(あなたの子はそんなにバカでもアホでもないし、
ずっとしっかりしているし大人だよ)



と、彼女の「子どもに関する心配」を聞くたびに、
思ったものだった。




また、子どもの進路選択を前に、
いわゆる「自分の価値観」「自分の不安」「自分の『常識』」
などなど…
を発動させないで済む親御さんって、
どれくらいいるものかしら??
と思うのだ。

「あなたの幸せは、わたしの考えたものの中にある」

これ、
文字で書くとなかなかにインパクトがある文言になりますが、
普通にみんな、他者に対して案外こういう感じではないか、
と思うのだ。
(自分を見返し、常に俯瞰しよう、
とする姿勢を意識して持たないとですね)

親じゃないわたしですら、甥姪に対して、
「え?それっていいの?」
「大丈夫なの?〇〇しなくて」

なんて、普通に思ってしまうのだから。





話を戻して。
わたしの「smartな」知人たちの母親っぷりを見るにつけ、
「不思議だねえ」「しようがないねえ…」
と思うと同時に、



「これが、神様がお作りになった『母親』という生き物なのだ」



と、しみじみと思うのだ。
こうであるがゆえに、無条件に子のために命を差し出し、
例えではなく、火の中にも飛び込むことができるのだ、と。




何がいいたいかといいますと、
だからこそ。
子どもは「みんなで」育てるものなのだ、と思うのだ。
その中には、
わたしのような「第三者」ももちろん、入っている。

子どもが「社会性」を身につけ、
自分の中に、人生貫く「幸せのための自分軸」
を持って巣立つためには、
多くの大人の力が必要なのです。
はじめっから。



なので、もしも
「自分たちがちゃんとしなきゃ」
「ちゃんと育てなきゃ」
「子どもの人生に(幸せに)責任持たなきゃ」
と必要以上に思って、
ちょっとキツくなっている親御さんがいるとしたら、
そんなことないよ、
(そもそもそれが無理ゲーなのよ)





と言ってあげたい…
というか
「言葉で言っても」なかなか染み入らないこともあると思うので、

「そういう仕組み」が自然とあって、
みんながそうやって大きくなっている、
のが自然な環境であったらいい、
とつくづく思います。



そして、まずは手近なところで、
明日もわたしは
「自身のクライアントさんたちとの対話に励もう!」
と思うのです。


 

*  *  *  *  *

 

 

 

わたし自身も「ひとりでがんばりすぎない」をテーマに、
誰かと“場”を共有できる時間を開いています。
よかったら、ご案内はこちらから。

 

 

 

 

🌱 コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回

「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」

 

 

9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに

「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。

アセスメントや数値化ではなく、

「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、

参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。

 

 

🔸 自然と人と、自分のつながりを感じる時間

 

私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。

風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、

実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。

今回は、そんな「自然のイメージ」から、

自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。

 

 

* 

 

 

🌱 イメージする力

🌱 言語化の力
🌱 観察する力

🌱 感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)
🌱 チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)
🌱自分を深く見つめる力

🌱 対話の力

 

 

…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。

 

「感性で自分を探ってみたい」

「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」

「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたいよ」

 

とにかく、

面白そう、と思ってくださる方と、

ご一緒できれば本当に嬉しく思います。

 

 

📝 詳しくは下記のチラシをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 


思った経緯は長くなるので省きますが。



「自分のために」が十分に満たされていない人の選ぶ、
「みんなのために」は
なんだか無理があったり、ギリギリな感じだったり、
「〜すべきでしょ!」な感じだったり…

見ていて辛く感じる時がある。



子どもに「みんなのために」を要求するような場合には、
前提として、
その子の「自分のために」がたっぷりと満たされていること、
そういう環境がこれまでもあったし、
これからも
あり続ける、という「安心感」が必要だよなあ、

としみじみ思う。






そして、
「その環境がなかった」と思う人は、

幾つであっても、
もう、まず、必死こいて「自分のために」を満たすことから
やればいい、と思う。



その先に自然な「みんなのために」が、
喜びの中で花開く時がやってくる。

 

 




#自分を満たす
#みんなのために
#自分を一番にはワガママか
#自分を満たすのは自分

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

そのための(「まず何より、自分を満たす」の)時間として作った

来月のワークショップです。

 

ご案内はこちらに🔽

 

 

🌱 コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回

「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」

 

 

🔸たまには「直感と思いつき」にまかせて旅をする

 

9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに

「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。

アセスメントや数値化ではなく、

「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、

参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。

 

 

🔸 自然と人と、自分のつながりを感じる時間

 

私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。

風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、

実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。

今回は、そんな「自然のイメージ」から、

自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。

 

 

* 

 

 

🌱 イメージする力

🌱 言語化の力
🌱 観察する力

🌱 感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)
🌱 チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)
🌱自分を深く見つめる力

🌱 対話の力

 

 

…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。

 

「感性で自分を探ってみたい」

「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」

「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたいよ」

 

とにかく、

面白そう、と思ってくださる方と、

ご一緒できれば本当に嬉しく思います。

 

 

📝 詳しくは下記のチラシをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回記事から、とても間が空いてしまいました。

結構たくさん文章は書いていたのですけれど。

(ここまで辿り着かず)

 

 

そうこうしているうちに、来月のワークショップのご案内です。

 

 

 

 

 

お申し込みフォーム

https://form.run/@maikaze--LJ1V8NRFJwvcC5hlfdDc

 

 

 

 

 

下記は、このワークショップ紹介のために書いた文章です。

 

 

*   *   *

 

「人と会いたい」「集いたい」と思うのは

どんなときだろう?

「疲れているとき」

「なんだか寂しいとき」

「とにかく語りたいとき」

いろんな「とき」があるだろう。

 

どうしてわたしたちは「人と会いたく」「集いたく」なるのだろう?

 

 

 

 

セミナーやワークショップを作るときに

ずっと前から湧いてくるイメージがあって、

それが「祭り」。

 

かつては村々で行われる「祭り」がその役目を果たしていた、

「人の再生」。

 

 

生きることで「すり減る」わたしたち。

 

仕事。

家族のためのあれこれの時間。

世間や常識。

「普通は…」

「男なら」「女なら」「親なら」「上司なら」「⚪︎歳なら」…

 

たくさんの「⚪︎⚪︎なら」に

振り回され、合わせるうちに、

いったい何が本当の自分なのかわからなくなる。

そんなときー

 

火を囲み。

語らい。

歌い。

踊り。

太鼓を叩き。

思いっきり発散して。

 

 

そうして、仲間との時間を通して元気を回復していく。

 

それが祭りの役割。

 

 

しかも実はその奥で、

 

「自分への信頼の回復」

「ご先祖とのつながりの回復」

「自然とのつながりの回復」

「神様とのつながりの回復」

 

そんなことが全部、同時進行で行われていたのだから、

祭りというものは本当に、すごい。

 

まさに「けがれ=氣枯れ」を取り払い、

人が「つながり直し」「復活する」場。

それが古来からの「祭り」の姿、なのだ。

 

 

で、

話戻って、ワークショップ。

「知識の伝達」はもちろん大切なのだけれど、

今思い返してみると、

この仕事を始めた頃から、どんなお堅い場所での研修であっても

もちろんコーチングのセッションでも、

 

「そこ(知識の伝達)」をゴールにしていたことは、

一度も、ない。

 

 

わたしの中の「何者か」が、

いつものたまうのだ。

「祭りを、せよ」「祭りを起こせ」「人を震わせよ」

「響きを起こせ」

「目の前の人を、(本人だけが知っている)あるべき場に戻せ」

 

と。

 

 

これはもう、それこそ「持って生まれた響き」、

特質、なのだから仕方がない。

違うことをしようとすると身体が動かないのだ。

変えようがない。

 

 

なので、今回も。

 

「コミュニケーションの体感を鍛えるワークショップ・第4回」

も、そんな「祭り」をイメージしつつ、準備を進めています。

 

楽しみたい、という人はもちろん、

もし、どこか疲れているかもと感じていたら。

 

そんな人にも、ぜひきてほしい、と思っています。

何より「場の力」が、

わたしたちを元氣づけてくれるのではと

思うのです。

 

太古の昔から、人は「場の力」で元氣になってきたのですし。

 

 

 

 

 

 

 

何度かご紹介している(いや、もしかして初めてだったか??)

知人の「発酵教室」。

この6月がまた、今に「ピッタリ‼️」の内容なものですから、皆さんにもシェアしたく。

 

 

●「自然の甘みで体の中から元気に❣️ーはじめてでもできる!ミニ甘酒ドリンクづくり」

 

そして、

 

●「冷蔵庫に”おいしい発酵”常備しませんか❓ー麹でつくるお漬物ミニ講座」

 

 

 

 

 

(よくないですか?楽しそうではないですか😃?)

 

 

わたしの住んでいる鹿児島県の奄美大島には

「ミキ」

という伝統的な発酵飲料がありますが、

 

 

 

夏は特に、

お年寄りに必ず飲んでもらう、

と言っていた施設があったように覚えています。

まさに「飲む点滴」なのです。

 

 

 

 

 

甘酒も。

糠漬けも。

 

 

 

昔からある、おいしくてそれでもって

身体を健康に保つための知恵。

 

何よりわたしたち日本人の体に馴染み、

そして昔からこの地でわたしたちと「共生してきた」

菌たちの力で生み出される「健康食材」です。

 

 

本当にすごいなあ、

ありがたいなあと単純にいつも思うのです。

(そして、繋いでいかないとね、活用しないとね、と)

 

 

 

 

 

わたしの周りには、

わたし含め、興味のある(ありまくる)方が

すごく多いんじゃないかなあ〜と思いつつ、

 

知人の居住地は長崎なもので、

(鹿児島と長崎は、同じ九州内とはいえ、結構離れているのですよ)

 

「さあ、行きましょか♪」

 

となかなかならないところが残念なのですが。

 

 

 

こちらのブログをご覧になった方、

お近くの方はぜひ行ってみていただきたいなあと思い、

紹介をしました。

 

 

 

 

 

*   *   *

 

 

 

知人の「発酵教室Harmoni」のインスタではこちら。

知人は、元理学療法士。

患者さんと直に触れ合う現場から、理学療法士を世の中へ送り出す指導者へ転身。

そして、

現在は「発酵プロフェッショナル/発酵マイスター上級麹士/薬膳麹士」として活躍中です。

 

理論とハートを兼ね備えた、

バランスの良い(わかりやすくてあったかい✨)独自の講座を展開なさっています。

 

https://www.instagram.com/na_na21_s/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「コーチは、100%あなたの味方」
という言葉をよく聞いたのですよね。この仕事を始めた頃。
いろんな人が(コーチが)この言葉を使っていた。

そして、わたしも類似の言葉を書いたりしていたと思います。





で、
これはその通りなのですが、
「あなたの味方」の意味、というのは、正確には、


「真のあなた(あなたの魂)の欲求」
「真のあなたの願い」
「真のあなたの行きたい場所」



に対して、100%コミットする、応援をする、という意味だよね、

と。
3日ほど前、ふと言葉で再確認したところだったのです。
なので、ここには例えば
「同情」

「無意味な同調」
などは入っていない。





そして。
「これはこの人の真の響き」ではない、
「それが出ていない」
「この人は何か、違うものに従っている」
と感じた時には「容赦なく」(というのも言い過ぎですが^^)

それを指摘し、
時には両肩を掴んでガクガクと揺さぶったりもしなければならない。
(喩えですが)



「起きろ!あなたは何をやっているんだ!あなたはそもそも何者だ?」と。



これは、
考えようによっては、そして人によっては、
中々にきついことであったりすると思うのです。
(そうする、と決めることがですね。
そして、そうあり続けることがですね)





自分自身の価値観というものもありますし、
「エゴ」(と呼ばれるもの)もありますし。
それに、
「大変ねー」「わかるわあー」と言っておけば楽、
ということもありますし。
(そもそもよく思われたいですし)



そういった意味で、
毎日、瞬間瞬間
「鍛えられるなあ…」
と思うことなのです。





きっと、
今日もたくさんの人たちが
(親御さんたち、先生たち、そのほか、
たくさんの「人を導き、人に影響を与える」場所にいる人たちが)



そんなみんなが、
瞬間瞬間、そういう場面に直面しているんだろうなあ、
そしてつまりは「自分自身と」対峙しちゃってるんだろうなあ〜

(みんな、今日も頑張ってるねえ。
 お互いリラックスして行こうよね!)






という氣持ちと共に、
ふと浮かんだ

「わたしはあなたの味方…」
「あなたのために…」

にまつわる雑感を書いてみました。







写真はベランダのプチトマトの花。
今年は実がなるか…⁉︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《追記》

 

この数日ご案内していた6月15日開催予定の下記ワークショップ

無事満席となりました。

(シェアしてくださった方々、記事を読んでくださった方々、そのほかたくさんの方々、

誠にありがとうございました)

 

 

 



 

 

 

 


今朝、ふと、
「もし、お腹の調子が悪かったりしたときに、病院でなんと説明するか?」
ということを、考えるともなしに考えていたのです。
(朝からすいません、な話題ですいません💦漢方胃腸薬の箱を見ていたからか?)




病院では、先生にわかりやすいように、できるだけ詳しく説明しなければならない。
出だしはなんと言えばいいだろう?

「先生、トイレに行きましたら…」
なんか周りくどい。

「先生、実はちょっと便が…」
(朝から本当にすみません💦)

いや、この出だしはダメだ。
なんか言いづらい。
かといって、上記の「幼児語」はもっとダメだ!



なんと言えばいいか?
うーん、
あの言葉は使いづらい、
アレもちょっと直接的すぎないか??

などなど考えていたら、


「そうか!日本には『お通じ』という、雅やかで便利な言葉があったぞ!」



と氣づき。
(朝からアレな話題で本当にすみません)


「いい言葉だなあ〜。これでもし、という時は心置きなく説明できるぞ!」


と一安心したんですが。







日本語って、
本当に「いい」というか「すごい」。

おトイレ一つとっても、
「お手洗い」「手水(ちょうず)」「厠」「化粧室」「はばかり」
「雪隠」「洗面所」…

本当に豊かな品揃えで!
おかげで、本当に「心安く」使えているなあ、
と思います。
だって、
「選べる」んですから。



場面、相手、状況に合わせて自由自在の選び放題。
(同じものを表していても、全部微妙にニュアンスが違うのも面白い)

これが「一つしか」なかったら、
窮屈で、楽しくなくて、
なんか使うたんびに「ドキドキ」したり
ストレスが溜まったり…

きっと、大変なことになっているのではないか?
と思うのです。




雨も、雲も、色彩も。

もしこれが「一つしか」言葉がなかったとしたら、
(雨、としか言えない。雲、としか言えない。赤、としか言えない)
どんなにか世界は単調で、一緒くたで、
のっぺりとセメントに塗り固められたようになってしまうことだろう、
と思うのです。






自由に「選べて」初めて「表現」となる。
といったのは、演出家の鴻上さん。
(だったと思う)



そして「選べる」幅がある、というのは、
文化的背景もありますが、

やはり豊か、ということではないか、と思うのです。
言葉の「多さ」というのは、
人の繊細で、重層的な感覚や、感情の「層の厚さ、複雑さ」と
圧倒的に、
関係しているように思います。
(何せ、言葉の数は「世界を表す絵の具の数」なので)




特に「いい感じの結論」はないのです。
だた、
「ほんとにいろんな言い方があるよなー」
「日本人(日本語使い?)でよかったわー」
(こういう感じの言葉の世界観がわたしは本当、好きだわー)



と思った、
という話でした。



(もっと深く掘れば、とてもいいテーマになると思うんですが、

何せ出だしが出だしだけに、

また別の言葉で掘ってみたいと思うことです)

 





*   *   *   *   *


【「その声」しか出せないなら、それは単なる「癖」。
「選択肢」が増えて、初めて「あなたの表現」となる。
自分の大切な言葉を載せて毎日「走って回る」自分の声を
「癖」から「相手と場に合った適切な『表現』」へ】


●コミュニケーションの体感を鍛えるワークショップ
 第2回「”伝わる力”の根っこにあるものはー声をめぐる冒険」

◉日時     6月15日(日)14時ー17時
◉所     カクイックス交流センター
◉受講費 3500円



【詳細】
https://commu-w.net/2025/05/28/

【申し込みフォーム】
https://form.run/@maikaze--E7aT08ji9a56ogH0pEpf