人が持つコミュニケーションの力を磨く・鍛える・呼び覚ますーコミュニケーション・ワークス公式ブログー


 

 

 

先週の金曜日に森田先生の講演会に行ったのですが以下、そのメモ。

(わたしの意訳が多分に入っています。そしてメモが正確ではないところがあるかもですが)

 

 

鹿児島以外の方で、それ誰??の方のために下にリンクを貼っておきますと。

 

 

夕張に育ててもらったコミュニティードクター/医療経済ジャーナリスト/

医療を市民にひらくことで医療から暮らしを守る医師。元夕張市立診療所院長、の森田洋之先生。

今は鹿児島の川辺というところにて開業されています。

 

 

 

 

では早速。メモ。


⚫︎病人はベッドの数で作られる
(と、いきなり意訳。森田先生はこういう言い方はしていないですが)
ベッドを埋めないといけないから病人が増える。

⚫︎ベッド数が多い県は病人も多い。
(そして我が鹿児島県は全国二番目のベッドの多さ)

⚫︎西欧諸国は病床を減らし、なおかつ平均寿命は伸ばしている。
 
⚫︎ヨーロッパは医療がビジネス化されていない。
医療は「公的機関」。医療従事者は公務員。だから「患者を減らす」ことに注力できる。

⚫︎なぜ日本はベッド数を増やしている?
日本と韓国は医療がビジネス化されている。
従ってたくさん患者がいて、なおかつ「満床に」しないと経営が成り立たない。
日本の医療は堂々と言っている。「満床をめざしましょう」。


⚫︎病床数世界一の日本。5倍持っている(どこの5倍だったっけ)


⚫︎今の日本の7割は高齢者医療。


⚫︎CTもイギリスの10倍持っている日本。検査すればしただけ儲かる。


⚫︎医療は「売りたい放題」。
ラーメン1杯800円として、
たくさん売りたくてもそんなに頻繁に来てくれるわけじゃない。
でも、医療だとめちゃくちゃ売ることができる。

【理由1】
「高齢者はラーメン1杯80円で食べられますよ、という仕組み」
(皆保険によるコスト意識の麻痺)


【理由2】
「情報と権力の非対称性」
あなたは週2回ラーメンを食べに来なさいと医者は言える仕事。
知識、情報を医者が持ち、指示できる。医者は売りたい放題。

普通に売れる量の10倍を仕入れたとして、ラーメンだと売り捌けない。
でも、CTなら売れる。


⚫︎もっと医者は自制しなくてはならない。
医者の数は少ないのに、CTもMRIも山ほど持っている日本のお医者さん。


⚫︎医者は情報提供量を減らすべき。
お客に1日3杯もラーメンを提供して、それで忙しくなって
「人員不足だ」と言っている医療業界。

提供を「適正な量」に減らすべき。


⚫︎適正な医療とは何か?
日本の医者は「過剰医療はない」と思っている。
これが普通、適正、と思っている。


⚫︎病院は無くなっても健康に関係ないんだな(実証)

夕張は、医療費はめちゃくちゃ下がって、
死亡率は変わらなかった。救急車の出動率は半分。


⚫︎夕張のお年寄りは幸福度も上がったはず。家にいられるから。
人間の「生活」として、病院は質が低い。自由がない。


⚫︎医者の出番をどんどん少なくすることが医者のミッション。
(上質の)介護と看取りがあれば、
医療はほとんどいらないことがわかる。
適正な医療の量は下がる。ほとんど出番はない。


⚫︎健康な生活って何?
身体的・精神的・社会的に良好な状態
「社会」が残っていれば、高齢者は医療に依存しない。


⚫︎(事例)たま子さん。
過剰な医療で生活を奪われ「社会」も奪われていた。
良かれと思って、病院に囲う〜これが過剰医療。
本来のたま子さんのポテンシャルを医療が奪った。
(退院したら身体の機能も心の状態もずっと元気になったたま子さん)


⚫︎療養病院の大部屋。
医療的に管理されながら生活している。
(ベッドに括り付けられているお年寄りたちの写真)


⚫︎高齢者の「生活」を奪わないことはものすごく大切。
でも、医療は良かれと思いつつ病院で管でつなぐ。
そしてベッドは埋まっていく。


⚫︎「病院で、管で繋いでいたら、もっと長生きできたんじゃないか?」
それは、医療側の理屈。
それを決めるのはその人生の当事者(高齢者)。
援助はするが、決定権はない。それが医療。
けれど「決定権あり」と思っている医療従事者が多すぎる。


⚫︎健康な生活を医者は目指さなくてはならない。
医者はそれを阻害しかしていない。
精神的にも社会的にも幸せじゃないと幸せじゃない。
「生活」をお年寄りから奪っては、絶対にいけない。


⚫︎寄り添う介護。これが「適切な医療」(森田先生がたどり着いた)
医師の出番はほとんどない。
医療は少ないけどみんな健康。
生活を支える介護力と、でしゃばらない医療が必要。


⚫︎医者は、医療という「刀」はいつも磨いておく必要がある。
そして、それを振り回すのは戦場である「病院」。
街中で(生活をする場の中で)戦場と同じ意識で
刀を振り回してはいけない。


*   *   *   *   *


大まか、このような感じのお話でした。
他には皆さんやはり興味のあるワクチンの話など。


わたしはFacebookでチラと見て、
「会場も近いし」と氣軽な気持ちで聞きに行ったのですが、
遠方から(関東や、九州内)からいらしている方々もいて、
本質(医療のあり方とは、真の健康とは)を求める人たちの
「切なる思い」
のエネルギーの充満を実感した時間でした。

遠方から来ていた看護師さんになってまだ数年、
という若い人たちの言葉が印象的で。


「医療に依存すると楽。
管を入れると最悪生きてはいける。
けど、人間として扱えているか?
寄り添えているか?
と思う。
病院の中でできることをしたいけど。
限界を自分で決めてはいないけれど。
限りがある。

人として寄り添っていけるよう勉強もしているけれど、
どうしたら思いだけでなく、行動できるのか?」


感極まって、
涙を流しながらの言葉でした。




さて。

「こんなもんだ」
「これが普通なんだ」
「みんなそうしているし」

となんとなく、ただ思い込んでいたことが、実は全くもってそうではなく。



「健康」ってなんだろう。
老いてゆくってどういうことなのか?

自分の言葉としても、形にしてみたいことは、
胸の中にあるのですが、
まだぐるぐる混沌としているところです。




ただ、お年寄りがみんな、
生き生きと笑いながら毎日ちゃんと
「一番居たいところ」で暮らしを営んで、
その延長に、立木が静かに枯れゆくような「自然な」死が、
(生から次の状態への軽やかなる移行のように)訪れる。



それが「普通」になったとしたら、
それはお年寄りだけでなく、
もう、全員にとって「いい世の中」になっているに違いない、

ということはしみじみと思っているところです。




 

 

 

 

 

2週間ほど前、

ちょっと動くと途端に首がバリバリと痛くなることが数回あって、

考えた挙句、

 

 

「重い荷物を腕だけで持ち上げようとする」

 

 

のが原因だなあ、と気づきまして。

筋力の衰えに反して(筋力が落ちているのも問題ですが!)

持ち歩く荷物の重さは変わっていないもんなあと。

 

 

 

そうなると「腕から動く」のをやめる必要がある。

腕の力のみに頼るのをやめて、

 

 

「中心から動く」。

 

 

「古武道の身体の使い方を介護に活かす」

的な番組で見た知識を思い出しながら、

臍の下。丹田と呼ばれるあたりから動く。

そこを意識して、連動して動く。

 

を意識しているのだけど、

そうするとだいぶよいのです。楽になった。

(今やすっかり首は元気です)

 

 

 

 

ここで思い出しているのですが。

 

 

ダンスを踊る際に、

「腕を動かす」「足を動かす」というような意識の踊り方だと、

一見、派手に上手に踊れているように見えても

バタバタした素人くさいダンスになってしまうのです。

 

 

 

身体の中心に落ちた一滴の水。

その波紋が同心円状に全身に広がっていくような感覚で動くといい。

 

身体の中心で起こった静かな揺れが、

指先、足先までしんしんと広がっていくような動き。

そして、自分の手、足を通り越して、

空間全体に「わんわん…」と広がっていくようなイメージで動くと、とても美しい。

 

(わたしが教員だった頃の教え子さんでこういう動きをする人がいましてね。

肩先をピクン、と動かしただけなのに、

場の空気を一瞬にして変えるような彼女のダンスを今でも思い出します。

微かな動きの中に、

彼女の中心から湧き出る『律動の強さと純粋さ』を感じたものでした)

 

 

 

 

 

 

そして。

これは身体の動きに限ったことだけではなく。

(と言いますか、一時が万事。共通している)

 

 

語るということ。

言葉で伝えるということも全く同じなのです。

 

 

 

 

自分の中心で起こった振動。

(思い。感情。意図)

 

 

自分の中心で発生する、

純粋な「最初の一滴」を常に捉え、

そことのつながりを保って、そこから言葉を発するといい。

 

 

自分の「最初の一滴」から生まれた振動が、

同心円状に外にしんしんと広がっていくように、

声を出し、言葉が出せるととてもいい。

 

 

そこには余計な飾りなど発生する余地は全くなく。

 

「どう言おう?」

 

も、

「かっこよく言おう」

「いいふうに言おう」

「ウケないといけない」

「面白くないといけない」

 

も何も存在しない。

 

 

 

 

そういうふうに、

「本当の言葉」

「自分の中心としっかりと繋がった言葉」

「その瞬間、その場で、その相手との間にしか生まれない、鮮度100%の言葉」

 

を出している人や場面に出会うと、

本当に心動かされます。

 

 

 

「立て板に水」とか、「話すのが上手いよね」

などとは全く次元を異にする語り手。

そんな人が、いるものです。

(そして、実は誰でもそういう言葉を持ち合わせている)

 

 

 

 

 

 

ちなみに。

わたしは先に書いたダンスの上手い教え子さんの語る様子も好きでした。

 

ゆっくりと、時間をかけて、

言葉を探し出すように話すときの視線。

自分の中に深く降りて、

最もしっくりくる言葉を丁寧に捕えようとするその雰囲気が。

 

 

もしも。

言葉が「一語いくら」と値段がついているものであったら、

一瞬たりとも、一語たりとも無駄に使うことはできない。

みんな、自分の「真の意図」を最も表現できるものを、

探して探して、厳選して選び出すだろうなあ、と思います。

 

 

 

そして、

実はそれくらい意識して言葉を使ってもよいのでは、

とも思っています。

 

言葉は確かにただですし、

湯水のように溢れるようにダダ漏れさせても誰も何も言わないし、

いくらだって走らせることができる。

 

 

 

けれど、

 

「自分の中心と繋がっていない言葉」

 

は人に届かない時代に、これからますますなっていくように思います。

届かないどころか、

自分の人生に対して。

自分の大切な人たちの幸せに対して。

早晩しっぺ返しが来るような氣すらするのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

一昨日、知人の腕時計を見せてもらったんですが、
それが、

「中学生の時から使っている」
というものだったのです。
お祖父様からのプレンゼントだそうで。

お祖父様、本当にいいのもを選ばれたのだなあと、
その思いや、大切に使っている知人の思い。
また、丁寧で繊細な生活の仕方に本当に感動してしまい。




で、
ふと思い出したのは、仕事机の引き出しの中で眠っている自分の時計。

分解清掃もしてもらい、大切にしていたのですが、
最後に電池が止まってから、なんとなくそのままにしていたのですよね。




理由は、
⚫︎分解清掃しても、電池のもちが徐々に短くなっていた。
⚫︎「丁寧にメンテナンスしながら使うに足る時計は3万円くらいからかなあ〜」と、

時計屋さんからのレクチャーを受け、なんとなく気持ちが「しょぼん」となっていた。




と、そんなところでしょうか。
けれど。
気に入って買ったものなので、
そしていろんな時間を共にしてきたものなので、

自分が気持ちいいのが一番、と。
時計屋さんに走って行ったわけなのでした。





時計屋さんで、早速にわたしの感動、
(知人の腕時計の話です^^)
それからあれこれ…


「この時計、今の仕事を始めた時に買ったもので、
思い入れがあるので大切に使おうかなあと思って」


などと勝手に決意表明までしていたところ、
時計屋さんがニコニコと満面の笑みで、




「いいですねえ😃✨✨
それに、今日はちょうど『時の記念日』ですしねえ」




で、ますますテンションが上がってしまったのでした。



時の記念日?
時の記念日に、止まっていた時間が動き出すなんて…
なんていいタイミングなの⁉︎
なんて素敵なの!




と、言葉にするとそんな感じでしょうか。
時計屋さんが「なぜ今日が記念日か?」まで教えてくださり。
(語呂合わせではないのですよ。
天智天皇の水時計まで遡る、立派な記念日なのです)





で、最後に
「時の記念日来店記念」で
可愛いものまで頂いてしまいました。
(いい柄、いい色合いだと思いませんか☺️)






今日、つまり何を言いたいかと言いますと、


「時計が動きだして、嬉しい」
「なんか、来てる気がする(いい感じのタイミングが!)」

以上喜びの報告、2点なのですが、
何より大きいのは、




「これでスッキリ」




ということでしょうか。



心の中に、微かに、微かに。
日頃忘れていても。思い出しもしないくらいに微かなことであっても、

それでも、「小さな気掛かり」は、
積み重なって、

わたしたちのエネルギーを奪う。
微かなる「エネルギー漏れ」は続いていく。


なので、「穴は塞ぐ」。
徹底して塞ぐ、ことが大事。





つまり「未完了を完了させる」。
コーチングでは、とても大切な視点&日々の行動の一つになってます。
(の割に、こういう気掛かりを放っておいたりするのですが)



とにかく、
今日は本当に「スッキリ」しました。



 

 

 

 

 

 


鹿児島は磯街道沿い。

島津の殿様の別邸、仙巌園で開催中の「だんドーン」原画展に行ってきました。
(写真は会場でアンケートに答えるともらえるオリジナルポストカードです)

 

 


よくよく考えてみれば、今につながる警察の土台を作った人、
ってすごいことだよなあ、
と思うのだけど、なのに鹿児島では語られることのたいそう少ない郷土の偉人。

そして、明確に、明らかに「嫌い」と公言する人もいる、という薩摩の偉人。
それが「川路利良」。


(一応書いておきますと、
「だんドーン」はその川路が主人公の漫画。作者は「ハコヅメ」の泰三子。

この方、鹿児島出身じゃないかという噂がある)

 

 

さらに鹿児島以外の人のために書いておくと、

川路が鹿児島で「嫌われキャラ」なのは、

「西郷どんを殺そうとした男」

「故郷に弓引いた男」

ということになっているから、です。(西南戦争の際のあれこれでですね)





 

わたしが川路利良を意識したのは、
東京で歴史イベントに参加した際、そこで【川路の大ファン❣️】
という人に会ったからで、その人が書いた、

「サムライたちの警視庁」

という本がとても面白かったからなのです。
(明治初期、警察機構の黎明期にお巡りさんになった
サムライたちの経歴、お墓を網羅した珠玉の一冊)



その方が、
「鹿児島行った!皆与志から鹿児島中心部まで、
川路が毎日歩いていた道を自分も歩いてみた!」

と嬉しそうに言ったわけで。
(何キロあるか忘れたけれど、ゆうに10キロは超えている結構な距離。

歴史の好きな人って、それくらいサクッとやってしまうんですよね。
ちなみにわたしの夢も「旧暦の6月5日に、新選組と同じ重さの装備を背負って、
四条から三条池田屋まで走りたい」です)






さて。
鹿児島の幕末〜明治史というもの。
わたしにとって身近にありすぎて、
しかも結構感情が絡んでしまっており。

 

と言っても大した感情ではないんですが。


子どもの頃、父親や周りのおじさん連が西郷どんが好きすぎて、
色々と押し付けられすぎて、
なんだかもう「いい加減にしろ」な感じでして。

 

 



わたしにとって、西郷や大久保といった「有名どころ」は、
残念なことに、学校の副読本の暗い色の表紙に象徴される、
自分を縛り付けていた、ままならぬ、なんとも言えない
「鹿児島的なるもの」。
固定され、動かない閉塞感と言ったような感覚と
しっかりと結びついてしまっている。





話戻って。

そういう感じなので、何度本を読んでも、大河ドラマを見ても、
西郷どんが何をして、どういう人だったのか、
理解できないという…。
(知識としては知っているんですけどね、もちろん。
リアルな人間としての姿が立ち上がってこない)




で、この「だんドーン」。

…立ち上がってきております!



きっと、世の中には怒る人もたくさんいるんだろうなあ。
「西郷隆盛。後に鹿児島土産のフリー素材になる男」
ですもんね。(西郷どんの説明が)



けれど、
わたしにとってはなんだか(やっと)風が轟々と吹き抜けて、
厚い雲が取り払われるような感じを感じており。



そして、この風が、
鹿児島の何かにも変化をもたらすんじゃないか、
と密かに思ったりもしているところです。
(少なくとも、川路を知る人が増えるだろう、
そして、「川路いいよね!」という人も増えるかなと)



結構いいバランスなんじゃないか、と思ったりしているところです。




 

 


 

 

 

 

この数日で、お礼状をたくさん書くことがあったのだけど、
うち2通はメールで送信。1通はPCで作成&プリントアウト。

署名のみ自筆で送りました。

ここではたと「もっと手を動かさなくては!」
と思い、ここから先は手書きで書くことに。
すると…書けない。
書けない!
(くずおれるわたし)



カッコよく字配りできない。
文字の中心がいまいち。
この言葉がこの位置に来てはいかんだろう。
流れがよくない。
見た目の悪いところで改行してしまった。
などなど…
そもそも、長時間「きれいな文字」を書き続けるのが、大変。





昔の人は、
(平安時代です)
ラブレターを書くとして、

どんな紙を選んで、
どんな香をたきしめて、
歌をどんなバランスで散らし書きして、
どんな線でもって…

と、
そんなセンス全部が備わっていないと、
恋が残念な結果に終わることも多々あったようですが、
(上記のようなことが全て「教養」の中に入っていたわけで)




そんな時代でなくとも、
「これはやばい😅」


と思ったのでした。
動きませんよ。手が。
イメージはあっても、その通りになかなかならない。


この日(昨日ですけど)
便箋の書き損じ、4枚。
封筒の書き損じ、1枚。
そして「ええい、もうこれでいいや!」の妥協で
なんとか仕上がった

数通の手紙。





パソコンですと、
何回も書き直せて、字配りもフォントも自由自在。
短時間で、なんかいい感じに手紙が「作れる」んですが、
(わたしももっぱら頼ってしまいますが)
たまには手書き、やってみてもいいかもです。



(仮名と和歌の伝統をせっかく持っているわたしたちなのに、
なんだか軽い敗北感😅)



皆さんにも「たまの手書き」をおすすめして
終わろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

このGW中にあったことを一つだけ書いておこうかなと。
(そうじゃないと、どんどん新しい出来事が生まれて、瞬く間に後ろに流れていってしまう)



知人からインド映画に誘われ、
自分ではまず選ばないジャンルなんですが、
屋上での上映&「マサラ上映(鳴り物ダンス応援OK)」ということで、

紆余曲折、色々ありつつ行ったのです。
で、この映画がものすごくよかった。
面白かった。



国が違って、文化が違えば、こんなにも違うものなのか、
と驚嘆するくらいに、
「初めてみた😳」世界でした。

同時に、わたしたちがずっと慣れ親しんできたのは、
「西洋的な」表現方法をスタンダードとしたものなんだな、
ということもあらためて感じ。




イギリスがインドを植民地支配していた時代の話で、
イギリスの法とルールによる武力(軍隊)の支配に対して反旗を翻す、

とまあ、言葉で書くとそういうような内容なんですが、
なんと言いますか、西洋の武器(銃火器)に対して
徹底的に、

「自然」
「大地」
「人間」
「身体」

そして、
「受け継がれてきたもの(先祖・神話)」



を土台にして戦うインド人主人公たちの姿のまあ、美しいこと✨✨✨
本当に、インドの神様に見えました😍
(そして、たまにそのアクションが凄すぎて
「それはありえねーだろ」とクスッと笑えたりする)

暮れていく空に、桜島。
吹き渡る風も心地よく。






で、
初めに書いたこの文章のタイトルなんですが。
会場に足を向けるまで、とても「うだうだと」していたのでした。


「遠くから帰ってきたばかりで体調がイマイチだ」
からはじまって


「人混みかあ…」
「あんまり賑やかなのは苦手だな」
「3時間って!無茶…」


最後は
「そもそもインド映画って面白いのか?」

まで。



けれど、帰りはアーケードの中、知人と踊りながら
(映画中のダンスを)
帰ったんですけどね。

ということで、まさに表題の通りのことを実感したんでした。


誘ってくれた知人に心から感謝しているところです。
(際どいところで機会を放棄しそうになりながらも、なんとか出向いた自分にも)

 

 




 

 

 

映画の写真を貼ってみましたが…
この絵だけ見ても、まず私は見に行かないなあと。
それだけに、とにかく楽しげにワクワクと誘ってくれた知人、グッジョブ‼️と思うのでした。

 

知人は「勧めてくれた」(すごくいいから!行こうよと)のではなく、

いかに自分が楽しみにしていて、見に行ったらどんなふうに楽しみたいか、

(あそこであれ買って、食べながらみよう、ドリンクはこれ飲みたい、外だから気持ちいいだろうな!と)

 

 

を熱く語ったのでした。



 

 

 

 

 

髪を切りにいって久しぶりにヘアカタログを見ていたんですが、
いろんな言葉が舞い踊っていました。

「大人世代の『愛され』ヘアカタログ💓」
「きれい大人の『褒められ』ヘア✨」

大人世代って(笑)。
(言うに事欠いてまた面白い表現を編み出したな←脳内つぶやき)



ああいう世界って、新しいことばの使い方がどんどん生まれますよね。
「若見え」とか「高見え」とか。
(カタログ中の一つ一つの髪型に添えられているキャッチフレーズを見て、
「誰が考えるんだろうこれは」としみじみ感心してしまいました)

「春の日差しに輝く永遠の憧れふんわり大人のアンニュイミディアム˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚」



みたいな。
(ポエムか⁉︎ポエムなのか?これは。
「実りの秋の森のキノコの氣まぐれシェフサラダ」を凌ぐ言葉だらけのヘアカタログ)




で、
美容師さんのYouTubeも見てみたんですが、
何だかみなさんものすごく「言葉を選んでいる」感満載で。
その姿はまるで、盾にヘルメットの完全防備で地雷原を行く勇敢なる兵士のよう。
(↑踏んだら終わり^^)



「わたしたち大人世代ですともうちょっと前髪を軽くするとよりステキに…(笑顔)」
「…顔まわりの髪の量、大人世代は氣をつけたいところですね(笑顔)」


わたしも若くみられたいし、
おばさんと言われるのは嫌だし、
年配の方々は、などと言われたとしたらちょっと悲しい(多分)。





そうなんですけど。
そうなんですけれどなぜか感じるこの違和感。
もしくは笑ってしまうこの感じ。
言葉にあえてするなら

「そこまで必死にならんでも…」

という感じでしょうか。
なんというか、痛々しい?



そんなにも歳をとるとはいけないことか。
受け入れ難いことなのか?
触れてはならぬ「禁忌」なのか😆?
(ドラゴンの棲む禁断の森じゃああるまいし🐉)





(近所の神社の桜です)




話が飛ぶんですが、
イギリスのドラマを見ていて、
女優さんたちがとても自然な顔だなあと最近思っていたところだったのです。

堂々とした目元のアップは小皺はっきり。
おでこのしわも生き生きと。(あちらは表情筋をよく動かすので)
そして鼻の横のしわも元氣に存在感のあること!

日本の女優さんたちとはちょっと違う雰囲氣。
そしてもちろんみな、とても魅力がある。





「大人世代」。
(「大人女子」というのもあったな。
この呼び方を聞いたとき「やめい!見苦しい😆!」と思ってしまいましたが。
↑あくまでも個人の感想なので、許してね)



40・50・60代にこのラベルを貼る
(貼らざるを得ない、もしくは「貼っとけばいいだろう」的な)
空氣に、

「若さこそ正義」
「自分の(こと外見に関する)価値を決めるのは外の基準」

の中で生き続けてきた日本女性たちの
余裕のなさ、張り詰めたような痛々しさと同時に、
なんとなくの「小馬鹿にされている感」を感じてしまうのはわたしだけだろうか。

 

 

 



そして、ここまで書いてみて、
今日書きたかったのは多分、



日本のおばさんのことも
もっと信頼してもらって大丈夫よ^^
と、そういういう感じでしょうか。



確かにそういう時代も長かったかもしれないけれど。
けれど日本の女も、
これまでにいろんなことを体験して、学んできたのです。
いろんな物事をじっと見つめて、静かに聞いて感じてきた。
もう準備はしっかりとできている。


何の準備?



んー、そうですね。
真に成熟した男性たちとともに、自由自在にのびのびと、
成熟した関係性や世の中を作っていく準備、でしょうか。
(と、湧きいづるまま思考を通さない言葉を書いてみましたが、
ちょっと自分でもよくわかっていないところ)

 

 

 

わたしの周りにいる女性たちの多くは、
「自分の本質を生きることこそ、うつくし」。
とある瞬間にしっかりと決めた、
そのプロセスを経て、ここにいるように感じています。



 

 

 

 




こちら鹿児島は雨続き。

(皆さんのお住まいのところはいかがですか?)

 

 


ああ、雨だねえ〜…

ということで、なんとなくしょぼんとしたり、
外に出るのをやめたり、
歩道に散り敷く桜の花びらを
ちょっと寂しい気持ちで眺めたり。

知り合いのお花見延期の知らせをSNSで目にしたり。

 


(雨に濡れる桜も綺麗ですけどね。
けれど、青空の下で思い切り深呼吸して、
木の下でゴロゴロ転がって、
満開を味わってからのそれだろう!とつっこんでいるところ)



みんな。
ここでエネルギーを落としてはなりませんよっ😃❗️
元氣に参りましょう。





昔から大得意の
(先人たちもやってきたところの)
見立ての力や想像力を駆使して「桜」を楽しむ。
(イメージの力は偉大なのです)



そして隙あらばさあ、桜の木の元へ!
明日、明後日は晴れるみたいですし。



一人で見あげる桜もよし。
みんなで囲む桜もよし。





かつては秋の実りを先立って祝うのがお花見でしたが、
今ならばきっと、これから味わう一年間の「幸せの場面」の予祝、
でしょうか。

 

大切な人たちとの喜びの場面が、

今年も何度も訪れますように、の「予行演習」。

一人静かに、心満たされる幸せの時間も何度も訪れますように、の予行演習。

 

それがお花見。

 


この季節はわたしたちに特別な元氣をくれる氣がしています。



(なのでしっかりと楽しんで味わうぞ、と氣合を入れているところなのでした)




 

 

 

 


F1種の広がりによって

「在来種」「固定種」と呼ばれる昔ながらの作物はどんどん作られなくなっている、

(というか絶滅の危機?)
ということは、知っていたのですが、
先日こんなものを見つけ、早速買ってみたところなのです。

 

「伊敷(いしき)長なす」のたね。

 

 

 

 

「伊敷長なすは、昭和40年ごろまで鹿児島市の伊敷町などで盛んに生産されていた伝統野菜です。
生産が早いナスと比べると、中身がつまり、味は濃厚です。
ところが今はこうした伝統野菜が消滅の危機に直面しています。
そこで玉江小の子供たちと一緒に復活プロジェクトに取り組みました」
(鹿児島大学教育学部の技術専門教員 中野さん談)

 

 

 

ちなみに「伊敷(いしき)」は鹿児島市内にある地名で、

「伊邇色(いにしき)神社」

という神社が氏神様となっていることからも、相当昔からある地名かと。

(全国区の民謡「おはら節」にも、出てきますしね)

 

 

 

さて、話戻って。

 

その作物が作られなくなる、ということは、
種子を採取できないということで、
早晩、種子自体も無くなってしまう。
その作物自体が無くなってしまう。

 



「種子も消滅」。

 



なんと言いますか、こういう状態はなんだか怖い。

とても怖い。

 

 

 

何にしても、
(先日の「秋田のナマハゲ考」でも書きましたが)
https://commu-w.net/2024/03/24/なまはげの社会適応/

 

 


「消滅する」
「昔から受け継いできた繋がりが切れる」
のは本当に簡単なことで、ちょっとしたことでそうなってしまいます。
(伝統文化、精神の全てにおいて)

 

今の時代は特に。

 

 

 


だからこそ、そこには
「知ること」「意識すること」
そして
「伝えること」
が必要になってくると思うのです。
 

 

 



そういった意味で、
この伊敷長なすを「伊敷の子どもたちが」再び復活させた、ということは、
とてもすごいことだな、と思えるわけです。
(「伊敷長なす里帰りプロジェクト」と銘打ったプロジェクトなんだそう)
 

 

 

 


地域のみなさん。
「伊敷長なす」の種子を買ってください。
そして、子どもたちに「すごいことやり遂げたんだね!」
と声をかけてください。
「ありがとう」と言ってあげてほしいなあと。

 

 

 



伊敷長なすは、
「こくがあってぎっしりと実が詰まっている感じがして、とても美味しかったです」
「僕はなすが嫌いだけど、伊敷長なすは美味しく食べることができました」
なんだそう😊

(と、子どもたちの感想に書いてありました)
 

 

 

 



土地の個性、風土に合わせて、
美味しくなるようにと先人たちが時間をかけ、
養い育ててきた伝統野菜。

 



「そこに根付いたことに意味がある」
「その環境ならではの空氣、養分が『それ』を作った」
「そこだからこそ、この素晴らしい個性が育った」
 

 

 



自分たちの「根」はどこにあるのか?
わたしたちが忘れてはならない大切なことは、
野菜でもなんでも、皆同じであるように思えるのです。

 

 

 

 

「伊敷長なす里帰りプロジェクト」をやっている「鹿児島市立玉江小学校」はこちら。タネも買えます。

 

 

 

 

 

 


秋田で仕事をしていた姪からのお土産が届き、
スモーキーで味わい深いいぶりがっこや


「かき飴」
(牡蠣エキス入りの飴。甘いのに海産物の味もちゃんとする😳)

など、
南国人からすると大変珍しいものがたくさん入っていたのだけど、
その中でも見た目のインパクト大(だい)!だったのが、

『なまはげのおくりもの✨✨』

という秋田のお米で作ったサブレで、
ふわっと軽い味で大変味しかったのですが、

 

 

 

 

 


偶然にもその日の夜、
「なまはげの社会適応化」
というのを番組でやっており、
なまはげサブレの興奮も相まって、興味深く見たのでした。




「泣く子はいねが〜👹」

と、大晦日の夜、家を回り、
子どもに大きなトラウマを残す「ナマハゲ」。
(確かに、映像に残る昔のナマハゲは激しい!これは子どもは怖いだろうなあと😊)



これが、時代とともに、今風にいうと
「コンプライアンス遵守(笑)」

な言動に変わり、
(入り口でインターホンを押し「はいってもいいですか?」と聞き、
靴を脱いで揃えて上がり、そこから「泣く子は…」となまはげモードに入る^^)

担い手不足に伴って、外国人のなまはげが生まれ、

さらにはコロナによって、
「窓越し、ガラス越しのなまはげ訪問」

に至る、という…

まさに、社会適応化の「歴史」。



お笑い芸人さんの番組なので、
その「変遷」につい笑ってしまうのだけど、
その向こうには、
どうにかして「ナマハゲ文化」を伝承したい、
しなければ、という男鹿半島の大人たちの願いと工夫がひしひしと垣間見え。



サブレの袋のインパクトある可愛らしいナマハゲを見ながら、
「こんな苦労と歴史があったのか…」
と、色々と感じ入ってしまいました。





ここでふと思い出すのですが、長崎くんち。
たった2年休んだだけで(コロナで)
「伝承」が危うくなってしまった町がある、という話を思い出し。
(知識と技術を「つなぐ」ために大変な苦労をすることとなった人たちの話を見たんでした)



なくなってしまう(途絶えてしまう)ということは、
食であっても風習であっても、「モノや行事がなくなったね」では終わらない。


とても多くの、たくさんのもの…
つまり、そこに込められ、先人たちが大切にし、
なんとか繋いできた、

「心」「価値観」「精神性」までもがもはや伝わることのない、
失われたもの、になってしまうということなのだ、
(だからこんなに努力しているのだ)



と、そのくんちの番組を見た時に、
強く感じたのでした。





さて。
これから、ナマハゲにどんな将来が待ち構えているのか?
それは分かりませんが、
それでも。

これからもナマハゲに幸あれ!
男鹿半島の皆さんに幸あれ!
日本&世界中の、
「自分たちの土地の伝統、文化、風習」を大切に守り伝え、育て続けるすべての人たちに
(つまりわたしたち一人一人の中にあるその心とDNAに)
幸あれ!



と心から思ったところです。