13日の参院予算委員会の公聴会。過労死防止を訴えた過労死遺族に対して「お話を聞いていると、週休7日が人間にとって幸せなのかと聞こえる」と発言した人物がいました。居酒屋チェーン「和民」の創業者であり、自民党の渡辺美樹氏です。

 

ご存知の通り渡辺美樹氏は、2008年6月に従業員を過労死させています。そんな彼をなぜ質問者に選んだのか、自民党の感覚を疑いたくなりますが、何よりも、彼が発した言葉から、事件への反省が無いことが透けて見えてきます。

 

労災認定を受けた日も、こんなツイートをしていました。

労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理 できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです

— わたなべ美樹 (@watanabe_miki) 2012年2月21日

 

この時もやはり反省の色が見えません。特質すべきは、「会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです」の言葉です。おそらく多くの人には、この言葉を偽善や詭弁に聞こえるでしょうが、当の本人は本気でこの言葉を発していると思います。

私がなぜそう思うのか。本記事では、この言葉の背景について述べていきたいと思います。

 

 

悪意のない幸せの押しつけ

渡辺氏は、心の底から「働くこと=幸せ」だと考えています。そのことに対して渡辺氏は微塵も疑っていないはずです。だからこそ、過労死遺族に対してでも、自然とあの言葉が出てきたのだと思います。

 

私も経営者ですから、渡辺氏の気持ちは理解できる部分があります。そもそも経営者になろうとする者は、労働に対して“金銭以外の何かしらの悦び”を知ってしまった人です。その悦びをもっと得たくて起業するのです(もちろん、お金のためだけって人もいますが)。

 

特に渡辺氏は、かなりストイックな仕事観を持っています。起業時も相当努力したと記憶しています。その分、目標を達成したときや困難を乗り越えたときの悦びは、人一倍だったでしょう。そうんな成功体験を重ねていれば、「働くこと=幸せ」になっても無理はないのかなと私は思います。

 

渡辺氏と他の経営者(ホワイト)が違う点は、その幸せを押しつけているか否かです。渡辺氏は「働くこと=幸せ」を微塵も疑っていないからこそ、その価値観を従業員に押しつけてきます。そして“善いことをしている”という感覚すらあるのです。

 

 

大なり小なり、「幸せの押しつけ」は誰もがしているのかも

以前、20代から定年退職者まで集まるビジネス系の交流会に参加したことがあります。その時、乾杯の挨拶をした定年退職者がある夢を語りました。「今の若者は、本当の幸せを知らなくて可哀想だ。だから私は、余生を使って、若者に本当の幸せというものを伝えていきたい……」。

 

くだらな過ぎて細かくは覚えていませんが、論旨はこんな感じす。一言で言えば、老害予備軍でした。ただ、この老人も悪意がありません。むしろ、“自分は善いをしようとしている”という認識なのです。

 

このように人は、「自分が考える幸せは、他人も同じ」との思いに至った時、悪意のない幸せを他人に押しつけようとしてきます。

大規模レベルで言えば、キリスト教徒は、何世紀にも亘って世界中にキリスト教を押しつけてきました(ほかの宗教でも同じです)。アメリカも民主主義を押しつけてきました(賛否あると思いますが)。小規模レベルで言えば、親は自分が思う幸せを子に押しつけたりします。

 

渡辺美樹氏の発言を抽象度を上げて考えた際、発言の後ろにある「幸せの押しつけ」は、誰にでも起こりうる事象だなと思った次第です。

 

 

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